これらの同義語は、「すべからく」の代わりとして使うことはそこまでないでしょう。
なぜなら、別の言葉に置き換える場合には、本来の意味である「当然」や「ぜひとも」といった言葉で表現することが多いからです。
とはいえ知っておいて損はないため、「すべからく」の同義語として覚えておきましょう。
「すべからく」の間違った認識
「すべからく」は時々使われることのある言葉ですが、実は間違った使われ方をしていることが少なくはありません。
文化庁が平成24年に調べたところ、約4割の人が「すべからく」の意味や使い方を間違っていたことが判明しています。
4割という数字は決して低くはありません。
そのため、あなたの周りでも「すべからく」を誤用している人がいるかもしれません。
また、あなた自身、本来の意味を知るまで誤って認識し、使っていたかもしれませんね。
とはいえ、この機会に誤りに気付いてそれを正すことが出来るのであれば、決して落ち込む必要はないでしょう。
ある意味で、同じように間違って使っている人が少なくないのですから、もしかしたらあなたのこれまでの誤用に誰も気づかなかったかもしれません。
けれどもやはり誤用したままではいずれ恥を掻いてしまうことになりますので、今この時から正しい意味や使い方を身に付けておきましょう。
では、「すべからく」はどのような間違った認識をされているのでしょうか?誤用や何故そのような誤用が起きているのかについてご紹介していきます。
全て
「すべからく」は本来「当然」や「ぜひとも」といった意味がありますが、文化庁によれば約4割の人がその意味を間違って認識しています。
その間違った認識と言うのが「全て」という意味です。
「すべからく」の意味を「全て」だと間違って認識してしまっている人たちが、その意味として言葉を使っているため、本来は「当然~であるべきだ」という使い方を、「全て~であるべきだ」と間違って使ってしまっているのです。
例えば「全ての学生は勉強に励むべきだろう」というところで「すべからく学生は勉強に励むべきだろう」と使っていたり、また「全ての人は平等であるべきだ」というところで「すべからく人は平等であるべきだ」と使っていたりします。
次で詳しく説明しますが、この間違った認識や使われ方は、一見間違いだとはとても気付きにくいです。
そのため間違った認識のままで社会人になってからも「すべからく」を使っている人は実は少なくはないのです。
誤ってしまうのはなぜ?
「すべからく」が本来の意味とは異なり、「全て」という意味で誤用されているのはなぜなのでしょうか?
理由は大きく分けて2つあります。
1つ目は、「すべからく」の「すべ」の部分が、「全て」と響きが似ているため意味を間違って認識してしまうことです。
2つ目は、誤用しても意味が通じてしまうため、意味や使い方が間違っていると認識され難いことです。
1つ目の理由は、何となくのイメージが定着してしまっていると言えます。
確かに「すべからく」の「すべ」の部分と、「全て」という言葉は響きが似ていますので、「すべからく=全て」だと勘違いをしてしまうのも無理はないかもしれません。
しかし、本来の意味とは違いますので、例え言葉の響きが似ているからと、間違った意味で認識してしまうのは良くないでしょう。
また、2つ目の理由については、言葉にした時にそれが誤用かどうか判断しにくいという難点が挙げられます。
先に挙げた「すべからく学生は勉強に励むべきだろう」の例から見ると、本来は「当然のように学生は勉強に励むべきだろう」という意味になります。
しかし、誤用の意味である「全ての学生は勉強に励むべきだろう」という文章でも、それ自体は何らおかしくも違和感もない文ですので、一見間違った使い方をしているとは気づきにくいのです。
そのため、「すべからく」の本来の意味を知っている人から見ても、間違った使い方をしている人の文章や言葉が本当に間違っているのかを見極めるのは難しいでしょう。
安倍総理も誤って使用していた
この「すべからく」の誤用は、実は安倍総理大臣も度々間違って使っています。
例えば第三次安倍内閣発足時の記者会見において、安倍総理大臣は次のような発言をしています。
「デフレ脱却、社会保障改革、外交・安全保障の立て直し。
どれも困難な道のりであります。
私は全身全霊を傾けて、戦後以来の大改革を進めています。
すべからく新たな挑戦であります。
当然、賛否は大きく分かれ、激しい抵抗もあります。