CoCoSiA(ココシア)

「いずれ」と「いづれ」はどちらが正...(続き2)

実はこれ、表記自体はどちらも正しく、合っています。

「いずれ」は現代仮名遣いであり、また「いづれ」は歴史的仮名遣いです。

そうした仮名遣いの違いから、表記がそれぞれに違っているのです。

では、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いとは、どのようなものなのでしょうか?以下に具体的にご説明していきます。

いずれ:現代仮名遣い

現代仮名遣いとは、現在一般的に用いられている仮名遣いのことです。

現代語の発音に基づいて書き方を定めており、助詞の「へ」や「は」「を」などはもとのままで用いるなど、一部に歴史的仮名遣いによる書き方を残しているという特徴があります。

例えば「ゐ」を「い」、「ぢ」を「じ」と読んだり、「てふてふ」を「ちょうちょう」と読んだりするのが現代仮名遣いです。

「現代仮名遣い」と聞くと小難しい印象を受けるかもしれませんが、要するに私たちが日常的に目にしている仮名遣いのことです。

そのため、当たり前のようによく目にする仮名遣いが現代仮名遣いで、普段は見かけないような仮名遣いが、歴史的仮名遣いと判断して良いでしょう。

いづれ:歴史的仮名遣い

歴史的仮名遣いとは、語を仮名で表記する際の方式の一つで、典拠を過去の文献に求める仮名遣いのことです。

つまりは、過去の歴史で記された語をもとにして、その仮名遣いを決めているという特徴があります。

この歴史的仮名遣いは、普通平安中期以前の万葉仮名の文献に基準をおいています。

明治以降に現代仮名遣いが公布されるまでの間、ずっとこの歴史的仮名遣いを用いてきました。

歴史的仮名遣いでは、例えば「じ」を「ぢ」、「い」を「ゐ」と読みます。

私たちが日頃あまり見慣れない仮名遣いであり、また古典のように古い文章でよく見かける仮名遣いが歴史的仮名遣いです。

「いずれ」「いづれ」で言えば、「いづれ」が歴史的仮名遣いであり、「いずれ」が現代仮名遣いです。

現代では「いずれ」を使うべき

仮名の表記自体は「いずれ」も「いづれ」もどちらも合っていますので、間違いということはありません。

とはいえ、現代では「いづれ」よりも「いずれ」の表記の方が多く見られます。

LINEやメール、手紙や授業のノートを取る際などにも、「いずれ」の表記を用いるのが一般的とされています。

そのため、日常生活の中では「いずれ」を使った方が良いでしょう。

もしどちらの表記でも合っているからと、わざわざ「いづれ」の仮名を使っていると、その文字を見た人は違和感を覚えてしまうかもしれません。

また、人によっては「字が間違っている」と指摘をするかもしれません。

年配の人であれば「いづれ」の書き方をしても違和感を覚えることはあまりありませんが、若い年代の人が「いづれ」と書いていると、それを見る相手に不自然さを感じさせてしまうかもしれません。

そのため、基本的には「いずれ」の表記を用いるようにしましょう。

「いずれ」「いづれ」の意味

「いずれ」「いづれ」には、どのような意味があるのでしょうか?辞書で引くと、不定称の指示代名詞とあります。

「どれ」や「どちら」「どっち」などともいいます。

「いろいろな過程を経た上での結果をいう」という意味や、「あまり遠くない将来をいう」といった意味があります。

この意味自体は、「いずれ」も「いづれも」まったく同様です。

「いずれ」「いづれ」を文章として用いる際には、例えば「いずれは結果が出るはずだ」「いずれ分かる日が来る」などの形で用いられることが多いです。

はっきりとは定めないときに使う言葉

「いずれ」「いづれ」は不定称の指示代名詞ですので、はっきりとは定めないときに使う言葉です。

例えば社交辞令として「いずれ食事でもしましょう」と相手に声をかけることがありますが、この場合は実際にその気はなくても形式的に口にしているだけですので、はっきり「いつ」と定めることはしていません。

また、歯医者嫌いの人が「いずれ歯医者に行く」と言った場合には、本当はまだまだ行くつもりはないけれども、とりあえず「行く」と口に出しているだけで、いつ歯医者に行くかをはっきりと定めてはいません。

さらに、別れ際に「では、またいずれ」と言って別れることがありますが、この場合はその相手と次にいつ会うかも分からず、またお互いにはっきりと次に会う予定を立てることはしないけれども、「また会えたらいいね」程度の挨拶として用いています。

このように、「いずれ」「いづれ」ははっきりと物事や日付を定めない時に使うことが多い言葉です。

わからないままに物事を言い表すのに使う言葉

「いずれ」「いづれ」は、はっきりとしたことが何ひとつ分かっていない時に、それが分からないままに物事を言い表す際にも使います。