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「意識高い系の人」と「意識が高い人...(続き2)

自分の携帯に何人の情報が入っているかが勝負だと考えているのです。

しかし、そんな携帯に入っている人脈など、何の信頼関係もないペラッペラの関係のほうが圧倒的に多く、ただ携帯のメモリを埋めて満足しているに過ぎないのです。

とにかくいろんな人と繋がることに必死ですから中身なんてありません。

誰々のことを知っている、誰々とは友達なんだということを言いたいだけなのです。

もしこういう人が困ったとき、いざという時に手を差し伸べてくれる人が何人いるでしょうか?正直ほとんど皆無だと予想されます。

その程度の人脈なのです。

たしかに、世の中を渡っていくためには人脈は大切です。

しかし、それは自分の人生の目的や必要性にあった人脈が作られていくべきであって、誰でもいいから知り合ったらいいということではありません。

4、本やイベントに参加しただけで満足する

本屋に行くと自己啓発系の本がずらりと並んでいますが、意識高い系の人はこの自己啓発本が大好物です。

本を読んで自分ができる人間になったと錯覚し、そのくせその本に書いてあることを実際行動に移すかと言えば結局何もしません。

で、しばらく経つとまた次の自己啓発本を読み始めるということをループします。

また、どこの誰だか分からないような意識高い系の人が開いたセミナーに参加し、あたかも自分もイケてるというのをSNSでアピールします。

実際にそのセミナーをのぞいてみると全く盛り上がることもなく、数人の意識高い系人間が寄り集まって満足しているだけなのです。

5、意識高い系は言ってることが難しい


意識高い系はやたらと難しい単語を並べて話そうとします。

特に横文字を多投することで、あたかも自分が知的な人間、できる人間だということをアピールしたいのです。

意識高い系は簡単なことを難しいことのように話すのが得意ですから、全く無知な人にとっては難しいことをすらすら話すこの人は、できる人かもしれないという印象を与えるのかもしれませんが、わかっている人からすると、こんな簡単なことをなぜ複雑にして話すのか。

もっとシンプルに話してくれと思っているでしょう。

業界用語や横文字を使いたがる

意識高い系は本当に業界用語や横文字が大好きです。

「能力」と言えばいいのに、わざわざ「リテラシー」と言ってみたり。

普通の人なら簡単な日本語をわざわざ英語にして話されると聞いているほうはイラっとします。

ですが、情報弱者と呼ばれる人達にとっては横文字を並べられただけで少し圧倒されてしまう人もいるのでしょう。

しかし、話の内容と言えば薄っぺらい内容ということが多いです。

6、相手に評価されることを嫌う

意識高い系は自分の基準こそが正しいと考えているので、相手から評価されることを嫌います。

あんたに評価されなくとも俺はわかっているからとでも言いたいのでしょう。

それでいて自分は相手のことを評価したくて仕方ない。

それも自分の基準にあてはめて、あーでもないこーでもないと言って批評家気取りをしたいのです。

相手に客観的に評価されてしまうと自分が実は内容のない薄っぺら人間ということがバレてしまうので人からの評価を嫌うのかもしれません。

なんとか自分に対する正確な評価をされるのを先延ばしにして、生き延びたいのでしょう。

7、自己向上のためだけに行動する

自己を向上させるためだけに行動している人がいます。

目的も何もなくただ自己を向上させるために本を読んでみたり運動したりと。

しかし、どこへ向かいたいのか目標がないため意味のない行動になっています。

こういう人達は人生の目標とかには興味はなく、ともかく自分を向上させ人よりも能力を高くみせることが出来さえすれば満足するのだと思います。

しかしそんなことをしていても人生のどこかの時点で遅かれ早かれ、自分には何も中身がない人間だと気づくことになるでしょう。

自己を向上するために鍛錬することは非常に良いことです。

しかし、それが最終目的になっていたのでは本末転倒になります。