それを断ろうものなら「せっかく親切にしてやったのに。」と悪口をまたあちこちで言い触らします。
口さがない人の性格を周りがよく分かっていれば、いちいちその人の噂話を鵜呑みにすることはないでしょう。
しかし例えそうであっても、言われる当人たちにとっては苦痛以外の何者でもないのです。
そうした口うるさい人を指して、口さがないものからは、いろいろ言われることもあると言うことがあります。
悪口が広まり、口さがない女達の話題にのぼった
人の良いところというのは、なかなか話題にはのぼらないものです。
それは、善行をしたところでそれをいちいちもてはやす人がいないということや、人の良い部分を意図的に認めようとしない捻くれた性格の人がいることなどが理由として挙げられます。
良いことをしてきちんとそれが周りに評価してもらえる人は、日頃から周りの人間関係を良好に保っている人や、周りに素直に人を褒められる人がいる場合が多いです。
一方で、人の悪行というのは一瞬にして周りに広まります。
それは自分たちの中から悪いものを排除しようとする人の自然な行為と、野次馬精神によるものが大きく関係しているでしょう。
ある例え話に、「人は悪口を言い合うことで仲良くなる」という言葉があります。
人の良い部分を褒め合って仲良くなるよりも、「自分も相手もあの人のことを嫌っている」という悪口を互いに言い合うことである種の共感を得たり、心地よさを味わったりする方が比較的早く仲良くなることができるのです。
そうした心理的な要素がある上に、女性というものは元々男性よりもおしゃべりな性格をしていますので、女性同士で悪口や噂話を言い合うことが多いです。
そうした女性を表現する時に、「口さがない女達の話題にのぼった」などと言うことがあります。
そんなひどいことをしたらただでさえ口さがない連中がなんと言うか
周りの人たちが口さがない連中だと分かっていたら、自らの発言や行動は慎む人が多いでしょう。
自分が何か余計なことを言ったり動いたりすれば、すぐに周りがそれに反応してあれこれと口うるさく言って回ることでしょう。
それが分かっている人は、迂闊な発言や行動はできません。
しかし我が強い人や周りの意見などまったく気にしないタイプの人は、そんな周りの人たちなどお構いなしに、自分で好きなように行動するでしょう。
そんな人に忠告しようとする時などに、「そんなことをしたらただでさえ口さがない連中がなんと言うか」と使うことがあります。
いい相手でもできたかと口さがない同僚にからかわれた
人によって性格はさまざまです。
優しい性格の人もいれば意地悪な性格の人もいますし、余計なことには首を突っ込まないタイプの人もいれば、自ら進んで冷やかしや噂話に首を突っ込むタイプもいます。
人は誰でも、自分のことを周りに認められたいとは思っています。
しかしその反面、あることないこと言われて注目されたり、悪い意味で噂されたりするのはとても嫌がります。
「自分にとって都合のいい話はして欲しいけど、都合の悪い話はしてほしくない」というのは、誰でも当たり前に持っている感情です。
しかし人によっては、やっかみや冷やかし、好奇心から心にもないことを他人に平気で言う人もいます。
恋人ができたばかりの人に対して、「別れるまでどれくらいかな。」と悪意のある言葉を平気で口にしたり、別れたばかりの人に対して、「何かあなたに問題があってフラれたんじゃないの?」と傷口を抉るような発言をしたり。
そうしたからかいの中で、例えばある会社に勤めている人が、最近気になっている人がいるとします。
するとその人の様子に目敏く気付いた同僚が、周りに聞こえるように「最近調子が良さそうだけど、誰かいい人でも出来たのか?」とからかうようなことを言ってきます。
そうした口さがない人に対して、例文のように表現することがあります。
口さがない連中が多い
人は誰でも少なからず野次馬精神を持っています。
そんな中で、自分の好奇心で誰かを傷つけてしまうかもしれないというリスクをよく分かっている人は、例え好奇心がわいても下手にそれを表に出すような真似はしません。
しかし、世の中はそんなできた人ばかりではないでしょう。
あなたの周りが良い人ばかりなら平穏に人生を送ることが出来るでしょうが、もしも口さがない人たちばかりに囲まれていたとしたら、とても平穏に過ごすことなど出来ないでしょう。
そうした口さがない人たちに囲まれている状況を指して、「口さがない連中が多い」と言うことがあるでしょう。
口さがない人々を避けた
誰だって、口さがない人を嫌だと思うことでしょう。
同じように人の悪口ばかり言い合っている人たちも、悪口を言って共感し合いながらも、本心では相手のことを見下していたり、相手の方が性格が悪いと思っていたりするものです。