例えば家に帰った時に、朝とは家の中の様子がどこか違っているのに気づいたら、ぞっと背筋に寒気が走って、何とも言えない恐怖心をおぼえてしまうことでしょう。
泥棒が入った形跡もなく、誰かがいた気配もなく、けれどもなんとなく家の中の様子が朝家を出る前とは違っていたら・・得体のしれない恐怖心や不安感が心中に広がるでしょう。
そんな時に、「そこはかとない恐怖と不安をおぼえた」と使うことがあります。
そこはかとなく疲れた面持ちをしている
例えば会社で同僚に会った時、その同僚が何だか妙に疲れた顔をしていたということはありませんか?
振舞いや言動はいつも通りなのに、何があったのか表情は普段よりも少し暗くて、何となく疲れた様子に見える時、その同僚に対して「そこはかとなく疲れた面持ちをしている」と使うことがあります。
自分では同僚に何があったのか分かりませんし、聞いても教えてくれないかもしれません。
けれどもいつもの様子よりも、何となく疲れているような気配をうかがえた時に、このように使うことがあります。
そして同僚から実際に具体的な話を聞き、何故疲れた様子だったのかが分かった時に、初めて「ああなるほど」と納得した気持ちになり、そこはかとなかった感情は、きれいさっぱりとなくなってしまうでしょう。
「そこはかとない」感情は、その原因や理由がはっきりしない限りは、いつまでもそのもやもやが晴れることはないのです。
秋はそこはかとない悲しみを感じる
秋になると、何となく悲しい気持ちや寂しい気持ちになることがあります。
それはもしかしたら、徐々に涼しくなってくる風や秋の匂い、緑の葉が紅葉したり、枯れたりする景色を目にすることなどから、心に何ともいえない悲しみや寂しさの感情が沸き上がってくるからかもしれません。
しかし、はっきり「こういう理由だから悲しくなる」と自分では分からない場合に、「秋はそこはかとなく悲しみを感じる」と表現することがあります。
季節の移り変わりは、時に心を晴れやかに、穏やかにしますが、季節によっては物悲しい気もちにさせることがあります。
それらの風情を感じる心には、はっきりとした理由は必要ないのかもしれません。
あえて感覚を大切にして、明確な答えを出さずに「そこはかとなく」と表現する場面も必要なのかもしれませんね。
そこはかとなく書き綴ったら一冊の本になった
例えば毎日、その日にあった出来事をメモや日記に残していたとします。
今日は何が起こったのかを詳細に書くこともあれば、短く詩にして書き留めておくこともあるでしょう。
そうして毎日何気なく書き綴っていたら、いつの間にかそれが一冊の本になっていた時に、このように表現することがあります。
本にしようと自分で意識していたわけではなく、なんとなく毎日書いていた結果そうなったのですから、まさに「そこはかとなく」と表現出来るでしょう。
正しい意味を知って正しく使おう
「そこはかとなく」は、あまり普段使いをする言葉ではありません。
だからこそ、正しい意味が理解出来れば、自然と「使ってみたい」という気持ちになることもあるでしょう。
また、せっかく覚えたのですから、忘れないように機会を見つけて「そこはかとなく」を使っていくことで、いつでも自然とそれが使えるようになるでしょう。