例えば1人が入ってやっとの狭い空間にいる時や、限られたスペースの中に大勢に人たちがひしめき合い、窮屈な状態の時などに「せせこましくて辛い」などと使うことがあります。
また、いつもせかせかと慌しく動いていたり、見るからに心のゆとりがなさそうだったりする人に対して、「あの人はせせこましい人だなぁ」などと使うこともあります。
「せせこましい」は、その言葉の響きからも、いかにも狭苦しくて窮屈で、ゆとりのないことを指しています。
ひどくせせこましい感じに聞えた
例えば仕事で忙しく、バタバタしている人が同じ職場にいるとします。
その人に同僚が話しかけようとした時に「後にしてくれない!」とイライラした様子で返されました。
または、質問した時に「それくらい自分で考えて!」などとキツイ返し方をされたりしたら、いかにも気持ちに余裕がなさそうだなと思えますよね。
そうした見るからに気持ちに余裕がなさそうな人がする言い方に対して、「〇〇さんの言い方は、ひどくせせこましい感じに聞こえた。」などと使うことがあります。
せせこましさは仕事だけでなく、その人の私生活や性格などでも感じられることが多いです。
見るもの聞くもの一切がせせこましく小さい
人間性がせせこましい人に対しては、「見るもの聞くもの一切がせせこましく小さい」と表現することがあります。
例えば一緒に食事をしている相手が、セットメニューも単品も値段が変わらないとメニューに記載されているにも関わらず、しつこく店員に「単品なのだからもう少し安くできないのか。」と文句を言っている姿を見た時、「この人はせせこましいなぁ。」と感じることがあるでしょう。
せせこましい人と一緒にいることで、自分まで恥ずかしい思いをすることがありますので、そうした相手とはなるべく一緒にいたいとは思わないでしょう。
また、例えばせせこましいと噂の人と話をした時に、その人がいかにもケチ臭い持論を展開していたり、自分に「いつも忙しくて本当に余裕がない。」と愚痴を零していたりしたら、やはり「せせこましい人だ。」と感じてしまいますよね。
この人のせせこましさが嫌い
せせこましい人は、気持ちに余裕がないためにいつも他人に対してきつく当たったり、自分の忙しさや不遇さを嘆いたりしています。
ですが、もしせせこましさを改善させたいと考えていたところで、一生懸命に努力しなければそれはなかなか改善できるものではありません。
せせこましい人は愚痴っぽく、何かと言い訳をしたり、誰よりも自分が一番大変だと大袈裟に主張したりするため、周りの人からは嫌がられることも多いのです。
そうしたせせこましい人が嫌いな人が、「〇〇さんのせせこましいところが嫌いだ。」などと言うことがあります。
「せせこましい」の類語
せせこましいの類語には「所狭い」、「窮屈」、「ケチ臭い」などが挙げられます。
せせこましいは、狭苦しさやゆとりのなさを意味する言葉なので、これらはそれと同じような意味を持つ言葉です。
せせこましいは、元は方言ですので、関西以外でそれと同じような意味の言葉を使う場合には、方言ではなく標準語の類語を用いた方が相手にも伝わりやすいかもしれませんね。
所狭い
所狭いとは、「場所が狭い」、「狭くて窮屈である」などの意味があります。
例えば「部屋一面に所狭しとフィギュアが置かれている。」などと表現することがあります。
文章や言葉として用いる場合には「所狭い」ではなく「所狭し」と形容詞で使われることが多いです。
何か物が部屋一面に置かれている時には、「物がたくさんあって部屋が狭く感じる」といった意味合いも含まれています。
「場所が狭い」や「狭くて窮屈である」といった意味は、「せせこましい」と意味がとてもよく似ていますので、代用することができるでしょう。
また、「所狭い」の場合は、単に場所の狭さや窮屈さを表わす言葉ですので、精神的な意味でのせせこましさを表現する場合には用いることはありません。
あくまでも、場所の狭さを言葉で表現する際にのみ使います。
窮屈
窮屈にはいくつかの意味があります。
「空間にゆとりがなく、動きが取れないこと」、「思うように振舞えず、気詰まりな状態」、「形式張って堅苦しいこと」、「融通が利かないこと」などの意味があります。
物や金が不足しているといった意味も含めて、どの意味も「せせこましい」と代用できる意味ばかりです。
単純に場所が狭苦しいことを指す言葉でもあり、また精神的な気詰まりを指す言葉でもあります。
空間的な意味でも、精神的な意味でも余裕やゆとりがない時に、「窮屈で仕方がない」などと使うことができるでしょう。
「せせこましい」と使うよりも、誰に対してもその意味が伝わりやすいかもしれませんね。
ケチ臭い
せせこましいは、単に場所の狭さや心のゆとりの無さを示すだけではありません。