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悲哀とはどういう意味?使い方や悲哀...(続き2)

また、口に出すと「愛情」と勘違いされてしまうことも多いため、文字として表現することの方が多い言葉でもあります。

哀情とは、その意味の通りに悲しいと思う心です。

例えば親しい人を亡くした時や、仕事で失敗して酷く落ち込んでいる時、また大切な人と気持ちの擦れ違いを感じている時や、大きな問題を抱えている時など・・・とても簡単に言葉には言い表すことができないような悲しい気持ちをあえて言葉にして表現する時には、この哀情という言葉を用いることがあるでしょう。

哀情とは、そう簡単には心の内で片付けることのできない感情です。

どうしようもなく辛くて悲しくてその場から逃げ出してしまいたくなったり、または誰かに縋りたくなったりと、衝動的な悲しい気持ちでありまた、一歩もその場から動くことができなくなってしまうほどに重たく苦しい気持ちでもあります。

悲しみ

人の持つ感情や気持ちには、名前を付けることはできないでしょう。

けれどもあえて名前をつけることによって、自分が今どんな気持ちでいるのかを、相手にも伝えることが可能になります。

感情に付けられた名前はみな、そうやってコミュニケーションをとる上で便宜上必要だからこそ名前が付けられているものばかりです。

もしも目を閉じて、何も口にしなくても自分の気持ちを相手に伝えることができたなら、言葉など世の中から不要になってしまうでしょう。

しかし、どんなに時代が変化して進んでいっても、まだそこまでは辿り着くことができません。

だからこそ、人は喜怒哀楽の感情に名前を付けています。

悲しみもその内の1つです。

心の中にずんと重たく沈んでいる辛い気持ちや、泣き叫びたくなるような衝動的な苦しい気持ちなど、人によってどんなふうに感じているのかはさまざまですが、誰もがそうしたどうしようもなく重たく暗く、沈んだ気持ちを言葉にする際には「悲しい」と口にします。

そして悲しいと言われた側の人間は、自分の中の悲しいという感情に置き換えることによって、相手がどれだけ悲しんでいるのかを理解しようとするでしょう。

2.強く悲しみに沈むこと


悲哀とは、日頃自分が感じるような悲しみや哀れみの感情よりも、さらに強くそれを感じている状態を表わしています。

すなわち、強く悲しみに沈むことでもあります。

その悲しみは、一晩寝れば消えてしまうようなものではありません。

何日も何か月も、もしかしたら何年経っても消えない悲しみなのかもしれません。

大切な存在との離別や、自分にとって大きなショックとなる出来事が起こった時に、その悲しみのために立ち直ることができなくなってしまうかもしれません。

「もうこれ以上動けない・・」「もう一歩も進むことができない・・・」そんな強い悲しみに沈んでしまった時、人は1人で悲しみに明け暮れたり、または誰かの救いの手を待ち望んだりするのでしょう。

痛み

人は強い悲しみによって心が沈んでしまった時、それに痛みの感情を伴うことがあります。

例えば何か悲しいことがあった時、心がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えることがあるでしょう。

しかし、それよりもっと悲しみの感情が強くなると、さらに心がズキズキと痛んだり、ヒリヒリしたりする感覚を覚えることがあると思います。

強すぎる悲しみの感情は、時に痛みを引き起こすこともあります。

それゆえに、悲哀の類語には「痛み」も含まれているのです。

心が痛くなると、それが気になって他のことは考えられなくなってしまいます。

痛すぎて、自分ではどうしていいのかも分からなくなってしまうことがあります。

心の痛みを感じる時、その人の心はまさに悲鳴を上げている状態なのでしょう。

その心の叫びを無理矢理に抑え込もうとしてしまうと、痛みがさらに増してしまうでしょう。

心が痛みを訴えている時、その痛みを少しでも和らげる方法を模索する必要があります。

3.悲しいこと

「悲哀」とは、悲しみや哀れみのことです。

そしてそれは、どちらも悲しいことでもあります。

悲しいことがあると、人は落ち込んだり、涙を流したりします。

顔からは笑顔が消え、表情や雰囲気は暗くなってしまいます。

そうしたいかにも暗い雰囲気が出てしまうと、周りの人たちも「何か悲しいことでもあったのかな?」と想像することでしょう。

悲しい気持ちは、例えどんなに隠そうと思っても、完璧に隠しきれるものではありません。