人生に疲れてしまった時や、大切な人と永遠の別れを迎えてしまった時など、どうしようもなく悲しくて寂しくて、虚しい気持ちになっている人が悲哀を感じることがあります。
ちょっとした寂しさや悲しさとは比べ物にならないほどに辛い気持ちになっている時に、その何とも言えない悲しみの気持ちを悲哀と表現しますが、この悲哀の意味や使い方について、詳しく知っているという人は案外多くはないでしょう。
普段は使う機会があまりないからこそ知っておきたい、悲哀の意味や使い方、そして悲哀を感じる瞬間についてご紹介します。
悲哀とは?
「悲哀」とは、「悲しく、哀れなこと」という意味です。
悲しいという字と哀れという字がどちらも使われているので、通常の悲しさや哀れな気持ちがさらに辛いものだということが分かります。
例えば友人が遠方に引っ越してしまい、会えなくなってしまえば悲しい気持ちになるでしょう。
しかし、もしも友人がこの世からいなくなってしまい、もう二度と会うことが出来なくなってしまったなら、その悲しみは単に会えないという悲しみよりも、よりいっそう深くて辛いものでしょう。
また、苦しいことや辛いことが重なる姿は見ていてとても哀れに感じられますが、それでも苦しいことの後にはきっと楽しいことやいいことも起こるでしょう。
しかし、そうした希望を一切抱けないのだとしたら、通常の哀れな気持ちよりも、もっとその気持ちは重たく苦しいものになるでしょう。
悲哀とは、そうした一般的な悲しさや哀れな感情よりも、さらに深く強い感情を表わしています。
人生の中でそうそう悲哀を感じるようなことは続かないでしょうから、普段はあまり使われる機会のない言葉です。
それゆえに、悲哀の意味を知らないという人もいるでしょう。
また、文字にして表せばその意味は通じやすいものの、口に出すと意味が通じにくいこともあります。
悲しくあわれなこと
悲しくあわれなことは、世の中にはたくさんあります。
身近な人との別れや社会の中で孤独感を感じること、また誰かと喧嘩をしてしまった時や、本人にとって辛いことが重なった時など、人によって悲しくあわれなことはさまざまです。
悲しいという感情は誰でも容易に思い浮かべることができるものですが、あわれという感情は、あまり想像がつかないという人もいるでしょう。
あわれなさまは、主観的に感じるものではありますが、あまり自分自身に対して感じる思いではありません。
自分が誰かや何かを見ている時に、それが何かしらの理由によってあわれに感じられることがあるでしょう。
しかし、「あわれだ」と口にすることは誰でも憚られるため、あえて口に出すことはしません。
しかし、遥か平安の時代から、人はふとした拍子にあわれさを感じてきました。
季節の移り変わりや人々の様子など、さまざまなことがきっかけで、あわれな感情を思い浮かべるのです。
悲哀の類語や関連語
「悲哀」とは、悲しく哀れなことです。
普段は味わいもしないような、本当に悲しくてあわれな時に用いる言葉ですが、この言葉にはいくつかの類語や関連語があります。
悲哀はその意義素によって、さまざまな類語に分かれています。
悲哀の意義素には「過度の陰気さと無快活さの性質」「強く悲しみに沈むこと」「悲しいこと」などがあり、他にも「大きな不幸を引き起こすもの」や「憂鬱な不安の気持ち」があります。
これらの内、先に挙げた3つの意義素の類語や関連語を以下にご紹介していきます。
1.過度の陰気さと無快活さの性質
悲しみや哀れといった感情は、どことなく陰気さを漂わせます。
ネガティブという言葉が相応しく、暗くて重たい雰囲気の感じられるものでしょう。
悲哀はそうした陰気さが過度なものとなっており、また快活さとは無縁なため、無快活さの性質を持っています。
これらの性質をごく簡単な表現で説明するとしたら、「どんよりと暗くて陰気で、まったく元気のない様子」となるでしょう。
この性質から考えられる類語には、「哀情」や「悲しみ」があります。
以下に詳しく見ていきましょう。
哀情
「哀情」とは、「悲しく思う心」です。
「悲心」と表現することもありますが、基本的には哀情という表現をすることの方が多いでしょう。