あちこちで頻繁に聞く言葉ですので、センチメンタルという言葉を知っている人は多く、またその意味も何となくのニュアンスで理解している人も多いことでしょう。
「センチメンタルな気分だ。」と言えば、その人が感傷的になっていることを指しますので、周りはそれなりに気を遣うこともあります。
とくに恋愛に関してセンチメンタルという言葉を使う機会が多いでしょう。
好きな人がいて、その人が他の人といい雰囲気になっているのを見て切ない気持ちになったり、振られてしまって切ない気持ちから涙がこぼれてしまったりと、そうした何とも言えずに心に感じている時に、センチメンタルという言葉で表現します。
センチメンタルになりやすい人は、それだけ感受性が豊かな人であったり、気持ちが繊細であったりすることが多いです。
人の気持ちや自分の感情に心を揺さぶられて、その度にあれこれと考えこんでしまうので、人によってはネガティブな気持ちになりやすいこともあります。
感傷的
「感傷的」は、何かの影響によって感情を動かされやすく、何かにつけて涙もろくなっている状態のことです。
これを英語で表現したものがセンチメンタルですので、最近では感傷的と言うよりも、センチメンタルと言った方が周りにも気持ちが通じやすいこともあります。
感受性の強い人や、他人の気持ちに共感しやすい人、ちょっとしたことでも同情心を揺り動かされやすい人には、感傷的な人がとても多いです。
例えばテレビで、動物が虐待されたニュースが報道されたら、「動物がかわいそうだ・・・!」とその場面を想像して悲しい気持ちになったり、人情ドラマを観て自分もその世界に入り込んでしまい、悲しい場面では泣いてしまったりすることもあるでしょう。
感傷的な人はとても優しい性格をしている人が多いですが、同時にとても傷つきやすく、繊細でもあります。
そのため人から悪意を向けられたら敏感に反応して、落ち込んだり悲しんだりしますので、それがあまりに酷くなってしまうと精神面の病気に繋がってしまうこともあるでしょう。
悲哀の使い方
「悲哀」の意味が理解できても、使い方がいまいち分かっていなければ、間違った使い方をしてしまうかもしれません。
例えばほんのちょっと落ち込む程度のことで、「悲哀の気持ちだ」と大袈裟に言ったり、明日にはまた会える友達に対して「寂しくて悲哀の感情に陥りそう」と使ってしまったり・・・。
悲哀はあくまでも、耐えられないような深く暗い悲しみの感情や哀れな気持ちを表す言葉ですので、悲哀という言葉を使う際には、きちんとそれに相応しい場面や言葉選びをする必要があるでしょう。
では、どのように使っていけばいいのか、以下に例文をご紹介します。
急に悲哀から快活へと移った
人はとても悲しい出来事があると、悲哀の感情を抱きます。
反面、とても嬉しい出来事があれば、それまでの悲しい気持ちなどすっかりと忘れて、快活になることもあります。
喜怒哀楽の感情がハッキリと別れていて、1つひとつの出来事にいちいち引きずられない性格の人は、場合によっては急に悲哀から快活へと感情が移ることがあります。
これを「今泣いた烏がもう笑う」ということわざで表現することもありますが、このことわざは主に感情の起伏が激しい子どもに対して使われることが多いです。
そこには絶望の悲哀の情があるだけだった
一家離散や莫大な借金を抱えた人生など、自分では立ち直れないほどに酷く落ち込み、絶望的な気持ちになることが、人生で一度はあることでしょう。
そんな時には「どうやったってこれ以上状況は良くならない」とやけになってしまうこともありますし、とことん絶望感から気持ちが落ち込んでしまうこともあります。
そんなどん底の精神状態を表現する時に、「そこには絶望の悲哀の情があるだけだった」と使うことがあります。
絶望と悲哀という言葉をどちらも使っていることからも、それだけ事態が深刻かつ救いようがないのだということがありありと伝わってきます。
格別の悲哀を感じた
悲しみの感情は人それぞれです。
例えば5人に同時に辛い出来事があった時に、その出来事と最も関わりの薄い人物の悲しみは、日にちが経てば徐々に立ち直っていくことができるでしょう。
しかし、最も深く関わっていた人物の悲しみは、他の4人とは比べ物にならないほどに悲痛なものでしょう。
そうした一番深く傷ついている人の様子を見て、他の人が「あの人からは格別の悲哀を感じた。」と表現することがあります。
「格別」とは、普通と違うことを意味しますので、普通の悲しい以上の悲哀の感情がその人から伝わってくるのだということが分かります。
彼の悲哀の原因は友との別れにあった
誰かが酷く落ち込んだ様子でいる時に、その原因が大切な友人との別れであると分かった時に、このような表現として使うことがあります。
誰でもとても親しい友人と別れることになれば、それはとても辛く、悲しい気持ちになることでしょう。
その友人との思い出が多ければ多いほど、付き合いが長ければ長いほどに、悲しみや寂しさは強いでしょう。
友人を作ろうと思ったら、実際に作ることは可能でしょう。
しかし、その友人と深い付き合いがしたいと思うなら、それにはたくさんの話し合いや互いの感情の理解、そして長い時間が必要となります。