とくに親友と呼べる仲になった友人の場合、何も言わなくても以心伝心することが可能なこともあるでしょう。
自分の気持ちを誰よりも理解してくれて、いつも自分の頼もしい味方でいてくれた、そんな大切な存在と別れることになった時、喪失感はとても大きく、まさに悲哀の感情が相応しいでしょう。
悲哀に似た感情が沸き起こった
悲哀とまではいかなくても、悲哀に近い悲しみの感情に襲われた時、それを「悲哀に似た感情が沸き起こった」と表現することがあります。
悲しみの度合いというものは人によって違いますので、そう簡単にはかれるものではありません。
例えば友人との別れ、家族との死に別れなど、例を出してその程度を想像することは出来ます。
しかし、周りが大した程度ではないと思っていても、当の本人はそれ以上に悲しみに包まれていることもあります。
そして自分で悲哀に近い感情を覚えた時に、それを「悲哀に似た感情」と口に出して周りに伝えることがあるでしょう。
悲哀が一番悪く影響した
悲哀の感情は負の感情ですので、とてもネガティブです。
悲哀を感じるほどに落ち込んでいる時には、ちょっとやそっとのことでは気分は晴れませんし、前向きに物事を考えることも出来なくなってしまいます。
そうした悲哀の感情が、自分の生活の中で悪影響を及ぼすことがあります。
例えば悲しいことがあってとても落ち込んでおり、そのせいで気分がぼんやりとして仕事でミスをしてしまったり、大事な話を聞き逃してしまっていて、人間関係が悪化してしまったりと、悲哀の感情によってもたらされるさまざまな悪影響を表現する場合に、「悲哀が一番悪く影響した」と使うことがあるでしょう。
悲哀を感じる5個の瞬間
あなたはどんな時に、悲哀を感じますか?
ちょっとした落ち込みや悲しい気持ちであれば、それは悲哀とまではいかないでしょう。
しかし、強い悲しみの感情に襲われて、一日中そのことだけしか考えられなかったり、悲哀の気持ちが原因でさらに悪いことが起こってしまったりした時には、あなたは自らの悲哀に翻弄されてしまっていることでしょう。
人によって悲哀を感じる瞬間はさまざまですが、よく聞く例や一般的に悲哀を感じやすい瞬間の例を以下に挙げていきます。
もし当てはまるものがあれば、あなたはその瞬間に、悲哀に襲われているのかもしれません。
1.運の悪さを感じた
学校や会社で着る服が洗濯出来ていなかった、朝寝坊してしまった、バスや電車に乗り遅れてしまった、仕事でミスをしてしまったなどなど、「ついてないなぁ」と思うことってありますよね。
毎日のようにそれが起こることもあれば、1日の内で立て続けに起きてしまうこともあります。
そうした運の悪さを感じる時、その運の悪さが深刻な場合や、毎日のように続いてしまう場合には、悲哀を感じてしまうことがあります。
運気というものは巡るものですので、良い時もあれば悪い時もあります。
悪いことが続いている時には、もしかしたら悪い運の流れが自分の中に留まってしまっている状態なのかもしれませんし、自分で勝手にネガティブになって、運の悪さを自身で引っ張ってしまっているのかもしれません。
どんな原因であれ、悪いことが続いてしまうと、ついつい落ち込んで、酷い場合にはそれで人生に悲哀を感じてしまうことがあるでしょう。
2.努力が報われない
よく、「努力は必ず報われる」という言葉を聞きます。
しかし、失敗や挫折をたくさん経験した人の中には、「努力してもダメなものはダメだ」「努力しても報われないこともある」という考えを持っている人もいるかもしれませんね。
確かにそれはその通りでしょう。
信じて行動することはとても大切ですが、世の中にはどんなに努力したところで、叶えられないことも少なからず存在します。
そこで見切りを付けて、また気持ちを新たに別の方向へと切り替えていける人は、違う形で報われることもあるでしょう。
しかし、報われないという事実をどうしても受け入れられずに、いつまでも必死でしがみついている人は、最終的に自分の努力が報われないことに絶望して、悲哀を感じてしまうことがあるでしょう。
または、「やり切った!」と自信を持って言えるところまで努力をしていない段階で、「努力したけど報われないじゃないか」と諦めて悲哀を感じる人もいるかもしれません。
努力したことは、必ず経験値にはなります。
しかし絶対に報われるかというと、そういうわけではないのが人生でしょう。
自分の望んだ結果に辿り着けなかった時に、悲哀を感じてしまう人もいるでしょう。
3.我慢が続いた時
我慢が続くと、ストレスがどんどん溜まっていってしまいます。
その結果爆発して、思い切り思いの丈をぶちまけたり、勢いで行動に移せたりする人はその後で気持ちが多少はスッキリできるかもしれません。