CoCoSiA(ココシア)

悲哀とはどういう意味?使い方や悲哀...(続き3)

笑っていても空元気だったり、ふとした拍子にため息を零したりします。

そうしないと、自分の中の悲しい感情に押しつぶされてしまうからです。

親しい人や身近な人ほど、そうした悲しい気持ちになっている人の変化には敏感です。

悲しい出来事は、それだけ人から笑顔や気力を奪ってしまうのです。

哀惜

「哀惜」とは、「人の死など、帰らないものを悲しみ惜しむこと」です。

例えば自分の家族や大好きな友人、恋人などと死に別れてしまった時、誰もが深い悲しみに包まれることでしょう。

それだけ悲しい気持ちになるのは、もう二度と、どんなことをしてもその人とは会うことが出来なくなってしまうからです。

すなわちこの世からの消滅であり、永遠の別離なのです。

例え離れていても、生きていればまたどこかで機会を作って会うことはできます。

しかし、亡くなってしまえばそれは絶対に不可能なのです。

よく「故人の思い出の中で生き続ける」という慰めの言葉を耳にしますが、確かに故人とのこれまでの思い出は、こちらが覚えている限りは、胸の内にずっと残り続けることでしょう。

しかしその人とこの先の人生を一緒に送っていくことはできませんし、新しい思い出を一緒に作っていくことも決してできません。

だからこそ、人は深い悲哀の感情に陥ってしまうのでしょう。

死に別れて二度と会えなくなってしまった時、そうした哀惜の念が心に強く刻み込まれることでしょう。

傷心

「傷心」とは、「心に痛手を受けて悲しい思いに沈むこと」です。

また、「悲しみに傷ついた心」でもあります。

悲しいことがあると、心は少なからず傷付きます。

友達と喧嘩をしてしまったら、相手の態度や言動、また自分が友達に対して心にもないことを言ってしまったことなどを後悔し、悲しみから心を痛めることがあるでしょう。

また、喧嘩だけでなく、大切な人との別れや、自分にとって何かショックなことが起こった時などにも、心は悲しみに傷つくことがあります。

その傷心が強く大きいほど、傷ついた心を癒すにはそれなりの時間が必要になります。

精神的なトラウマを負ってしまうほどの傷心であれば、心を完全に癒すには何年、何十年とかかることもあるでしょう。

もしかしたら、一生心に傷を負ったままでいるのかもしれません。

どんな人にも喜怒哀楽の感情があるように、一度傷ついた心というのは、そう簡単に癒せたり、忘れられたりはしないものなのでしょう。

4.関連語

「悲哀」には、それに関連する語もあります。

主に悲しみや哀れといった感情を指す言葉が多く、またそれを別の言い方で表したり、他のニュアンスも込められていたりするものが多いです。

以下に関連語をご紹介していきますので、知っている語も知らない語も確認しておきましょう。

哀愁

「哀愁」とは、「物悲しい気持ち」や、「寂しく物悲しい気持ち」という意味があります。

よく「哀愁漂う背中」や「哀愁を帯びている」などと表現されることがあるため、哀愁という言葉自体は知っているという人も多いでしょう。

哀愁は、言葉には言い表せないような、何とも言えない物悲しい気持ちに名前が付けられたものです。

広い世界で、まるで自分だけぽつんと1人いるような、そんな孤独感を覚えた時や、他の人の楽しそうな人生と自分の人生とを比べて、ふと何ともいえない切ない気持ちになった時などに、哀愁の感情を覚えることがあります。

また、哀愁は自分に対して使うことはあまりないでしょう。

基本的には、第三者が「何だか哀愁が漂っている人だね。」や「あの人の横顔に哀愁がにじみ出ているよ。」などと誰かに対して使うことの多い言葉です。

そのため小説や雑誌などの文章の中でも、客観的に誰かに対して感じられる哀愁を、言葉で表現していることが多いです。

もちろん「哀愁を感じる」と自分で発言しても問題はありませんが、第三者から客観的に用いられることで、よりその言葉の効果を発揮します。

センチメンタル

「センチメンタル」は、「感じやすく、涙もろいさま」や「感傷的」などの意味があります。