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親しいとは?使い方や親しい仲でも注...(続き3)

3、礼儀やマナー

どんな人が相手であれ、人としての礼儀とマナーはきちんと守るべきです。

たとえ家族や兄妹だとしても、それぞれ違う人間なので、共存していくために、それなりの礼儀が求められます。

どんなことにも、当たり前はなく、誰かが誰かのために働きかけた結果であることを忘れてはいけません。

困った時にLINEや電話をして応じてくれる相手がいること、ご飯を一緒に食べること、誕生日を祝ってくれる事。

どれも、親しい人との間では当然のように行なわれることですが、すべてとても特別なことです。

親しさを理由に、人の好意を当然だと思っていると、「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えなくなります。

好きな人でも、嫌いな人でも、守らなければいけない最低限のコミュニケーションは変わりません。

同じ世界に存在する者同士、共通のマナーを守ることがとても重要なんですよ。

4、気遣い


気遣いは、相手のことを配慮する優しさ。

気遣い上手な人は、自己中心的な考えではなく、周りの状況に応じた臨機応変な対応をする柔軟な目配りや心配りをします。

相手が不快な思いをしないよう、相手の目線で物事を捉えるように努めて、気持ちを汲み取りながら先回りしていけば、起こりうるトラブルや衝突を回避させることもできるでしょう。

気遣いは、仕事でもプライベートでも、人付き合いを円満に築くために重要なスキルです。

気遣いは、自然とできる人もいれば、意識してやる人もいますし、全くできない人もいます。

気遣いができる人でも、人によって気遣いの使いどころには、違いがあるのです。

親しい人や好きな人だからこそ、「喜んでほしい」という気持ちで気遣いをする人。

嫌いな人や無関心な人には、「なんと思われても構わない」とタカを括って気遣いをしない人。

または、嫌いな人だからこそ、「当たり障りなく接したい」と考えて気を遣う人。

…などなど、それぞれ人付き合いの方法には、性格的な個性が表れます。

中でも良くないのは、親しい人に対して「気を遣う仲でもないだろう」と思ってしまうこと。

親しいと、「気の置けない仲」にはなりますが、=気を遣わなくていい、ということにはなりません。

肩肘張らずに、リラックスして過ごしてほしいという意味で「気遣いは無用だ」と促す人はいますが、だからといってあまりにも常識外れの対応をしたり、相手を無下にしたり、蔑ろにしたりすることはしてはいけません。

5、ドタキャンや遅刻

待ち合わせや予定時刻に、ドタキャンや遅刻をしょっちゅうする人は、心から信用することができません。

言ってしまえば、これは「約束を守れない」ということ。

双方の間で合意して決めたことをキチンと守れないということは、その相手のことを軽く見ている証拠。

約束についても、そこまで大切だと思っていないのだと捉えられても仕方ないことです。

親しい人が相手だと、「このくらいなら許してくれる」「いつもの事だから」と開き直って、大した申し訳なさを感じていない人もいるでしょう。

人を待たせている、迷惑をかけている、というのは、その相手が誰であっても紛れもない事実。

待たせる相手によって、その事実が変わることは無いですし、相手に与える負担や不満も同等です。

「親しいから大丈夫」という甘えは早々に捨てましょう。

相手が許してくれても、それを受け入れて改善しないままでいたら、人として問題ですよ。

6、SNSのマナーが悪い


最近ではSNSもコミュニケーションの一環だと言っても過言ではありません。

SNS上でメッセージやコメントを送りあって、交流を深めることで親しくなっていく友人も多いでしょう。

SNSは、誰に管理されるでもなく、注意されるでもなく、自分自身の好きなように運用できるツールです。

だからこそ、その人の本音や内面が明け透けになるもの。

愚痴や悪口、批判など、ネガティブなことばかり呟いたりしていると、親しい人にも愛想を尽かされてしまうでしょう。

見ず知らずの人に辛辣なコメントを送ったり、無断転載をしたり、人を不快にさせるような画像や言葉を投稿するようなこともNG。