CoCoSiA(ココシア)

客観的に自分を見る6個の方法!これ...(続き4)

なぜ幅広い視野を身につけるために客観的な目線が必要なのかと言うと、客観的な目線を持つことができなければ幅広く物事を見渡すことができないからです。

もしも主観的な目線で物事を測っているのであれば、それは物事の表面しかに渡すことができなくなってしまいます。

なので幅広い視野を身につけるためには客観的な目線を身につける必要性があるということになります。

しかしながら、そもそも客観的という言葉や主観的という言葉がよくわからない方に関しては、明確な理由が理解できないと思います。

そこで、まずは客観的という言葉はどのような意味を持っているのか、そして主観的という言葉も同様にどういう意味を持っているのかご紹介していきたいと思います。

主観または主体を離れて独立に存在するさま


まずは客観的という言葉の意味合いについてご紹介していきます。

客観的という言葉の意味は「主観または主体を離れて独立に存在するさま」という意味が存在しています。

少し難しい意味合いなので、簡単に説明すると自分目線ではなく一般的な目線で物事を確認するという意味合いになります。

例えば、目の前に犬がいたとして、自分にとってその犬はとても可愛い犬だと感じたとします。

この考え方はあくまで主観的な考え方であり、自分という存在から犬を見た時に可愛いという感情を持つということになります。

しかしながら、その犬が本当に可愛いかどうかということはその人その人によって意見が分かれるはずです。

例えば過去に犬に噛まれた経験をして犬が嫌いな人からしてみれば、その犬のこと可愛いと思ったりすることはない場合が多いですよね。

その場合は犬が可愛くないという考え方が存在するので、最終的に意見が分かれてしまいます。

たとえ自分が可愛いと思ったとしても、それはあくまで自分の主観的な考え方であり他人がそうであるとは言えないのが現実です。

なので、客観的な目線で考えるとすれば、犬はその人の考え方によって可愛いかどうか別れてしまうということが客観的な意見になるということです。

つまり、客観的とはだれもが納得できるような事実である必要があるということです。

特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま

客観的という言葉は複数の意味が存在しており、先ほどご紹介した意味以外にも「特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま」という意味も存在します。

この意味は先ほどご紹介した意味合いとかなり似ていますが、今回ご紹介するには特定の立場ということがポイントになります。

どういうことかと言いますと、例えばビジネスの場面で考えてみるとよくありがちなのが店員とお客様という立場の関係です。

店員はお客様に対して丁寧な接客をするべきだと考えて、より丁寧な接客を心がけていたとします。

しかしながら、お客様の立場としてはフランクに接してくれた方が緊張せずに楽しく会話をすることもできるのでフランクな接客を望んでいたとします。

もちろん全ての人がこのような考え方をするわけではないかもしれませんが、この一例で考えると店員はお客様に接する態度で損をしてしまっていることになります。

なぜならば、フランクな接客をした方がお客様の気分が良くなり、商品を購入してもらえる可能性があったかもしれないからです。

このように特定の立場にとらわれて、こうするのが正しいだろうという凝り固まった考え方をすることはまさに主観的な自分からの目線ということになります。

なので、このお客様はどういう風にして欲しいんだろうということを考えることが客観的な物事の考え方であり、客観的という言葉の意味につながるということになります。

対義語である主観的とは?

ここまでは客観的という言葉の意味についてご紹介していきました。

ある程度客観的という言葉の意味が理解いただけたところで、ここからは客観的という言葉の対義語である主観的という言葉についてご紹介していきます。

客観的という言葉は言い換えてみればたくさんの目線という言葉で表現することができます。

その対義語である主観的という言葉は、言い換えてみれば自分からの目線という言葉で表現することができるはずです。

では、主観的という言葉にはどのような定義が存在しているのか、どのような意味なのかということを詳しくご紹介していきます。

表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま

まず初めにご紹介する主観的という言葉の意味は「表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま」という意味になります。

これは非常に難しい意味なので、正しく理解できる人はあまりいないと思いますので、かみ砕いてご紹介していきます。

この意味を言い換えるとすれば、様々な考え方や判断を自分の心理に依存して決めているかどうかということになります。

もっと簡単に言えば、自分のものさしで物事を判断してしまってるかどうかということだと言えます。

例えば、先ほどご紹介した可愛い犬かどうかということも、自分にとっては可愛いのであるという自分のものさしで計っている意見になりますよね。

過去に犬に噛まれてトラウマになってる人の意見を考慮した上での意見ではありませんので、完全に可愛いという判断を自分の心理的性質に依存して下しているということです。