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マスコミが嫌いだという人の6個の理由(続き3)

このように知りたい情報よりかは、世間が食いつく情報を流す傾向が高いのが日本のメディアでもあります。

しかし、知りたい知りたいとは言いますが、あなたが知りたい情報は日本国民みんなが知りたい情報であるかはわかりません。

むしろ、国民1人1人が知りたいと思う情報はみんな違うと思います。

つまり、テレビなどのメディアから流されてくる情報に関しては、あなたが知りたいと思うかどうかだけです。

つまり、万人が知りたいと思う情報を流すことのできるメディアなど皆無だと思っていただいた方が良いと言うことです。

知りたい情報が少ないのではなくて、流れてきた情報があなたにとって知りたいと思える情報でないだけです。

すべての情報を知りたいと思う必要はありませんが、知りたいと思うことで情報を拾う量は増えるので、キャパシティを広げることができるのです。

故に知りたい情報がないと言う理由でマスコミを嫌いになるのはただの言い訳にすぎませんよ。

報道しない自由がある

テレビなどのメディアには手のうちにある情報を報道するしないを決める権利があります。

つまり、あなたが知りたいと思っている情報でも、報道する側であるメディアが報道する必要がないと思ってしまうと、報道されないままになってしまう可能性もあるのです。

しかし、メディアがあなたの知りたい情報を必ず流すと決めているわけではないので、知りたい情報が流れないと嘆いても意味がありません。

特に民放は、スポンサーなどからお金をもらって番組を作っているので、スポンサーの不利益になるような報道はできないのです。

例えば、タイヤの会社をスポンサーにしていた場合、タイヤがパンクして事故になったなどのニュースを報道するには抵抗があります。

また、ハンバーガーショップなどをスポンサーにしていた場合は、ハンバーグを食べて食中毒になったというニュースを報道することをためらいます。

例えスポンサーの商品でなくても、スポンサーが取り扱っている製品なので、製品のイメージの低下を招いてしまうので、報道することができないのです。

また、NHKの場合は、みなさんから集金している受信料で番組を作っているので、特定のスポンサーを広告するような形で報道することができません。

民放、公共放送どちらもいろいろとしがらみがあるのです。

報道しない自由があるから自分の知りたい情報をゲットできないと考えている方もいらっしゃいますが、知りたいか知りたくないか判断するのはあなた自身です。

メディアが知りたい情報を報道していないわけではありません。

ピンポイントで欲しい内容ではない

メディアから伝達されてくる情報がご自身にとってピンポイントでない場合がほとんどだと思います。

そのことを理由にメディアを嫌いになってしまう方が多いのですが、何度も言いますが、メディアから来る情報があなたにとって知りたいと思うか知りたくないと思うかを決めているのはあなた自身です。

つまり、メディアから流れてくる情報やメディア自身に責任はないのです。

あなたにとってピンポイントの情報が欲しいのであれば、あなた専用のメディアを作らないとその要望にはこたえることができません。

なぜなら、メディアはあなただけに情報を発信しているわけではありません。

国民みんなに発信しているのです。

つまり、メディアにとって発信した情報を受け手がどうとらえるかは差ほど問題ではないのです。

ただ、メディア側としては大多数に拾ってほしいと思って、情報を発信しているはずです。

なぜなら、視聴率などの数字の面を執拗に気にするのがメディアだからです。

メディアから発信される情報に食いつかないのであればもしかしたら、あなたは少数派の人間なのかもしれませんよ。

少数派がいいのか、大多数派がいいのかは、これもあなた自身が決めることです。

どちらを選んでも正解不正解はありませんよ。

3.情報の正確性が低い

メディアから発信される情報に関して、最近、正確性に問題があるというような指摘が多くありますが、それは、テレビなどのメディアがインターネットに頼りすぎているためと言われています。

つまり、テレビなどのメディアが信憑性のない情報をあつかって裏取りもせずに発信してしまっていることに問題があるのです。

インターネットの情報源に比べれば、まだ、テレビなどのメディアの方が正確性があります。

それでも、正確性が低いと感じてしまうのはなぜでしょうか?それは、印象操作という言葉が引っかかるからです。

要は各々のテレビ局で色塗りされてしまった情報を発信しているので、同じ情報でも見るテレビ局によってはまったく違うもののように見えてしまうのです。

つまり、情報に関して正確性が低いのではなく、印象操作が強いために正確性があっても、真実のように受け止められないのです。