あなたの周りに、「この人って無知だなぁ」と思える人はいますか?

他人からそう思われてしまうということは、その人は少なからず無知なところがあるのでしょう。

ギリシャの哲学者であるソクラテスは、「無知の知」という有名な言葉を遺しています。

これは「自分が無知であることを自覚しなさい」という意味の言葉ですが、この言葉を贈らなければならない人は、意外と世の中には多いのかもしれません。

そんな無知な人の特徴や、無知を改善するための対策についてご紹介します。

近年では無知な人がどんどん増えている?

近年では、無知な人がどんどん増えていると考えられています。

それは世代の変化によるところが大きいのでしょう。

例えば「団塊の世代」では、戦後の復興を背負って一生懸命に学を積み、仕事で日本経済を盛り上げてきましたし、その後の「団塊ジュニア世代」や「バブル世代」では、学歴や収入を競い合って、それが高ければ高いほどいいとされてきました。

バブルが崩壊して、就職の氷河期に突入すると、企業はこぞって優秀な人材ばかりを採用しようとしましたので、やはり学歴が求められる社会でした。

しかし「ゆとり世代」そして現在の「さとり世代」になってくると、学歴がそこまで重視されない社会になってきています。

「勉強ができる人よりも、経験があって即戦力になる人」を重宝する会社も多く、高学歴だからといってそれを鼻にかけても反対に嗤われてしまうような時代ですので、自然と今の若者は学歴にこだわらない人が増えてきています。

「ゆとり世代」が今では親の立場となり、そして「さとり世代」が社会の第一線で働く現代では、一昔前のように高学歴を必要とはしなくなってきているため、自ら必死になって学ぶ人の数も減り、結果的に無知な人が世の中に増えてきているのかもしれません。

とはいえ、今の若い人たちばかりが無知というわけではありません。

若者でも頭の回る人もいれば、いい歳をしてからも堂々と無知をひけらかす人もいます。

ともあれ昔よりは学歴にうるさくない社会になっているからこそ、無知な人が増えてきているという要因は確かにあるでしょう。

無知の意味とは?

無知とは、「知識がないこと」や「ものを知らないこと」という意味です。

人間を含めた動物は少なからず学習能力を持っていますので、どんなに適当に人生を送っていても、まったくの無知な人というのはそうはいません。

けれども社会人として当たり前に必要とされる一般常識や、他人に対する思い遣りやマナー、モラルといった面が欠けている人に対しては、「無知」の言葉が使われることは多いです。

つまり無知とは、一般常識やマナーがなく、人を思い遣れずに自己中心的な行動ばかりをとる人に対しても使われることが多いため、単純に知識を持っていないという意味だけで使われる言葉ではないということです。

知識が人よりも少ない人に対してももちろん使われますが、それ以上に人間性に欠ける人に対して容赦なく使われることの方が多いでしょう。

そのため、私たちは人から「無知だ」と言われれば不愉快な気分になりますし、また誰かに対して「無知だね」と使うことで、相手を不快にさせていることになります。

無知という言葉は、それだけ向けられた相手に対して小馬鹿にするような、嫌な印象を与える言葉でもあるのです。

無知な人はどんなイメージ?

無知という言葉のイメージが悪ければ、当然その言葉を向けられた人に対するイメージも悪くなってしまいます。

無知な人には単純に「馬鹿」「頭が悪い」「あほそう」といったイメージを抱く人は多く、そのため誰かに対して「あの人って無知だね」と言う時には、明確に相手に対する悪意や見下す感情があることが多いです。

また、無知と言われる側は自分が馬鹿にされていると感じますので、当然面白くなく、反論して食って掛かることが多いです。

そして終いには、どちらが無知かの言い争いになることもあり、それは傍観している第三者からすれば、「どっちもどっち」に思えることでしょう。

無知な人が持たれやすいイメージを具体的に以下に挙げていきます。

ほんわかしている

無知な人は、あれこれと頭で考えを巡らせるイメージがありません。

人から何かを言われても、言われた最低限のことだけを考えて、言葉の裏側の意図を読み取ろうとしたり、複雑に考えたりすることがないでしょう。

そのため余計なことは一切考えずに、ただ言われたことだけを頭に入れておきますので、頭に入る情報量や思考する内容が人よりも少ないというイメージがあります。

だからこそ、しょっちゅう考え事をしたり頭を悩ませたりしている人よりも、能天気でほんわかしているイメージを持たれやすいです。

ほんわかしている人は、いつもへらへらとして悩み事がないように思えますので、悩み事のある人からすれば、「能天気でいいなぁ」と見下しと羨みの感情を持たれやすいでしょう。

もちろん当人の頭の中ではどんなことが考えられているのかは不明ですが、無知といえばほんわかとした平和的な表情や雰囲気をイメージする人は多いです。

アホ面な顔

無知な人を描く時、アホ面な顔で描く人は多いです。

無知な人がどれだけ無知かを表わすためには、何も考えていないような、ぽかんとした表情で描くのが最も人に分かりやすく、また無知さ加減が伝わりやすいのでしょう。

某漫画では、無知な人は大抵ぽかんと口を開けていて、目はつぶら、そして鼻水を垂らしていることが多いです。

表情には大きな動きがないものの、笑っているかぽかんとしているかが多く、複雑に顔を歪めて試案に耽るような顔で描かれることは一切ありません。

そして口から出る発言や行動も、素っ頓狂な内容だったりひょうきんだったりすることが多いため、私たちはそうしたイメージから、自然と「無知な人はアホ面をしている」という印象が頭に残ってしまっているのかもしれません。

実際にはアホ面を下げている人などそう見かけることはありませんが、それでもやはり「無知な人はアホ面だ」という先入観を持ってしまっている人は多いでしょう。

天然

天然な人の発言や言動は面白く、また見ていて飽きませんが、同時に人から「無知な人だな」と見下されていることが多いです。

私たちの抱くイメージの多くは、「たくさんものを知っている人はきちんと思考した末に発言をするため天然な発言はすることがなく、一方でまったく考えなしのおかしな発言をする天然な人は無知だ。」となっています。

天然な人は人とは少し違った思考回路をしていますので、一般的常識が通じなかったり、まったく予想もしない視点からの発言をしたりします。

それは男性であれば面白く、そして女性であれば可愛いともてはやされることもありますが、そのもてはやす態度の中には、少なからず相手に対して「無知だ」と見下したり、馬鹿にしたりする感情が含まれているでしょう。

そうした「自分よりも無知だ」と思う感情があるからこそ、上から目線で「面白い」だの「可愛い」だのと相手を遠慮なく褒めそやすことができています。

それだけ天然な性格をしている人も、周囲の人からは無知なイメージを持たれていることが多いでしょう。

上の空

無知な人はいつでも上の空というイメージも持たれています。

無知な人はものをよく知らないため、人よりも思考に耽ることがなく、それゆえ皆が考え事をしている間にも、ぼーっと何も考えずに上の空でいることが多いというイメージです。

誰でも上の空になることはありますが、それはある特定のことが気になってしまって、それだけを考え込んでいるために、他の人が話しかけても上の空でいることが多いです。

けれども無知な人の場合には、「何も考えていないから上の空でいる」と思われています。

そのため無知な人が上の空でいる時には、アホ面を下げていたり、ぽかんと間抜けな雰囲気をしていたりというイメージを抱く人も多いでしょう。

無知な人が増えている理由とは?

先に世代の変化による無知な人の増加についてご紹介しました。

そうした世代の関わりの有無に関係なく、最近では無知な人が世の中に増えてきていると言われています。

世代の変化もその要因としては挙げられますが、例えば一昔前までは当たり前に行っていた年中行事が行われなくなってきた結果、正月に神社に参拝しない人が増えたり、お節料理を作れない人が増えたりしています。

行事ごとに疎い人が増えたことによって、昔では常識だった行事に関する知識や、儀式のやり方などをよく知らない人が増えてきているのは確かでしょう。

昔は常識とされてきたことを現代に当てはめると、随分と無知でものを知らない人は確かに増えたといえます。

けれどもそうした伝統的、文化的な風習だけでなく、単に個人の持つ知識が昔よりも減ってきているという事実もあります。

それらさまざまな要因をすべて合わせることで、最近では無知な人たちが増えていると考えられています。

では、他にはどのような要因が考えられるのでしょうか?以下に具体的な理由を挙げていきます。

勉強が嫌いな人が増えている


最近では、勉強嫌いの人が増えています。

と言っても、決して昔の人達が、皆勉強が好きだったというわけではありません。

どの時代でも、それこそ江戸時代の寺子屋の時代からでも、勉強が嫌いな子や苦手な子はいました。

それでも昔の時代は、勉強を一生懸命に頑張ることが当たり前とされていましたし、勉強するのなら知識をきちんと身に付けることがごく普通の考えでした。

そのため勉強は嫌いでも、嫌々頑張って勉強することは多かったですし、頑張った分だけ高学歴になれる人も多かったです。

とくに団塊~バブル世代にかけては、高学歴が魅力の1つに数えられていたほどでしたので、頭が良いことで自分に大きなメリットがあり、そのために勉強を頑張る人は多かったでしょう。

けれども現代では、そうした「学歴がすべて」という考えは変わってきています。

勉強を頑張るくらいなら、自分の興味のあることや好きなことに対して一生懸命になった方が、子どもの可能性を伸ばすことができたり、人間性が伸び伸び成長できたりすると考える親が増えています。

また、親の世代も勉強嫌いが増えていましたので、自分が嫌いだった勉強を、無理して子どもにもさせる必要はないと考えている親もいます。

そうした親の元で育つ子どももまた、嫌いな勉強はやらないという子が増えています。

勉強よりも他のことに価値を見出す人が多い現代では、勉強が嫌いな子は堂々と勉強嫌いだと主張して、大人になってからも必要最低限以外は学ぼうとしない人が増えています。

意欲が少ない


一昔前に比べると、現代では勉強に対する意欲が少なくなっています。

昔は勉強すればそれだけ得られることが多かったり、学歴で人から判断されたりすることも多かったため、「勉強を頑張って知識を身に付けることで自分のためになる」と理解している人たちは積極的に勉強をして知識を吸収していました。

また、学校の勉強だけでなく、自ら本を読んだり知らないことを知ろうとしたりする行動力がある人も多く、単に勉強の知識以外にも、雑学や豆知識などにも詳しい人は多かったです。

しかし現代では、そこまで夢中になって学ぼうという意欲が少なくなっています。

好奇心旺盛な性格の人は、放っておいても自分から何でも学ぼうとします。

けれども育った環境が学びを必要としない場所の場合、知識を身につける必要性を感じられず、勉強もしないという人が増えています。

さらには、現代はものに溢れている時代です。

自分が分からないことがあれば、ちょっとスマホやパソコンを使えばいつでも知識を得られる環境にあります。

けれどもいつでも調べられるからこそ、それを活用してたくさんのことを知ろうという意欲がわかないという人もいるでしょう。

将来のことを考えていない

現代人は、一昔前の時代の人達に比べると、将来についてまともに考えていない人が多いです。

いい歳をしてまったく貯金をしていなかったり、稼いだお金はその月の内にすべて使ってしまったりするという人は特にその傾向が強いです。

昔は結婚すれば家の後を継ぐのが普通でしたし、自分の代だけでなく、子どもやその子孫のことまで考えて生活をしている人たちばかりでした。

お金があれば貯蓄をして子どもたちのために遺したり、自分だけでなく家族の将来のことを考えて、賢く頭を使って生活しようとしたりする人たちが多かったです。

しかし現代では核家族化が進み、家族や親族の繋がりも薄くなってきていると言われています。

そのため親は子どものために何かを遺そうとはしても、肝心の子どもが自分の将来についてまともに考えていないという人が増えています。

将来への明確なビジョンがないからこそ、大学にも目的がなく通い、学歴だけは確保して会社に就職します。

けれども働いたところで、そこから自分がどうなりたいかという将来へのビジョンが何もないため、ただ何となく毎日を送り、ろくに貯蓄や行動をしないという人が増えています。

将来のことを考えて何も行動しないというのは、きちんと考えて行動している人からすればまるで無知に映るでしょう。