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自分が一番になりたいのはなぜ?負け...(続き6)

そのため、自分が一番になることしか頭になく、他の人の都合や気持ちなどお構いなしということがあります。

自分が一番になる過程で、他の人にも有益に物事を動かせば周りの人からは喜ばれますが、

自分のことだけをあからさまに優先して、他は知らんぷりの状態では、当然周囲からは批判の嵐です。

例えばチームプレーでスポーツをする時に、チームメイトたちは出来ない人を励ましながら、皆で楽しんでスポーツをしようとします。

しかし負けず嫌いな人は、自分一人だけが勝敗にやたらとこだわり、出来ない人に文句を言い、チームメイトを無理やり動かそうとします。

勝敗にこだわり過ぎるがゆえに、つい周りの状況が見えなくなってしまうのです。

そんな自己中心的な考えばかりしていると、自然と周りの人たちはその人から距離を取ってしまうでしょう。

負けず嫌いが過ぎるとどうなるか


適度な負けず嫌いであれば、物事を良い方向へと運ぶ可能性が高いです。

しかし、何でもかんでも勝ち負けにばかりこだわっていると、思わぬところでしっぺ返しを食らったリ、痛い目を見たりしてしまいます。

自分のことばかり考えて、相手や周りのことをまったく考えないような自己中心的でわがままな負けず嫌いの人は、やり過ぎるとどんな手痛い目に遭ってしまうのでしょうか。

怖い代償が待っている


例えどれだけ負けず嫌いな人の意志が強くても、迷惑を被っている相手の数が多ければ、一対多数で不利な状況へと追い込まれてしまいます。

最初の内は誰しも優しく聞き入れてくれていたものが、負けず嫌いな人のわがままが過ぎることで、

一気にそれまでと態度を翻して攻撃(迷惑を被らないための自己防衛ともいう)してきます。

チームで何かをしている時であれば、周りの人たちから「いい加減にしてよ」と非難を浴びせられたリ、冷たい態度を取られることもあります。

また、自分勝手に他人と張り合っていた人は、いつしか張り合う相手が自分の周りからどんどん離れていってしまいます。

負けず嫌いな性格は、あくまでも自分が競い合う対象がいてこそ発揮されます。

その相手が一気にいなくなってしまうことで、負けず嫌いな人は孤立し、気付けば周りから離れたところで一人ぼっちになってしまっているのです。

人間不信


負けず嫌いが過ぎて周りの人から冷たくされることで、その内に人間不信になってしまいます。

それまでは笑顔で自分の話を聞いてくれていた人たちが、自分のことをひそひそと陰口を叩き、村八分にするのです。

それまでは、誰もが自分の話を聞き入れてくれていたと思っていた負けず嫌いな人は、孤立することによって一気に誰のことも信用出来なくなり、人間不信に陥ってしまいます。

しかし、本をただせばそれは負けず嫌いの人が招いた自業自得の結果なのです。

そのため、人間不信になってしまった後で「自分が悪かったのか」と反省することは難しいですが、不可能ではありません。

もし集団から孤立してしまった時は、「自分に原因があったのかもしれない」と一度冷静になって考えてみる必要があるでしょう。

他人を見下ろすようになる


他人から行き過ぎた負けず嫌いを指摘されずにずっと来ている人では、いつしか「自分が一番優れている」という考えから、周りの人を見下すようになります。

人が人を見下すサインはとても分かりやすく、小馬鹿にしたような口調や上から目線の物言いで言われた相手は直ぐに気づきます。

誰しも自分を見下ろされるのを嫌いますので、そんなことをしてくる相手と親しくしたいとは思わないでしょう。

そうやって他人を見下ろしてばかりいると、現状に満足し、それ以上の本人の成長も望めなくなり、また周囲との人間関係も最悪になってしまいます。

仕事を全部抱えてしまう


負けず嫌いが強い人にありがちなのが、仕事を全部抱え込んでしまうことです。

一定の量のある仕事は数人で分担すれば直ぐに終わります。

しかし負けず嫌いな人は、「自分が一番出来る」という思い込みも強いため、例え他人に仕事を回しても、その出来栄えに満足することはありません。

また、他の人の作業ペースに不満を覚えることも多いです。

そうして一人で勝手にイライラとしてストレスを感じ、最終的には「自分一人でやった方が良い」と考えてしまいます。

もしくは、「他の人には仕事を任せたくない」という気持ちが強いこともあります。

どちらにせよそうした考えがあると、効率化をはかることもなく自分一人ですべて仕事を抱え込み、その結果一人で忙しくなりあれこれとバタバタしてしまいます。

負けず嫌いを控えるには


どんな人にも負けず嫌いな部分は存在します。