自分が購入した宝くじ売り場で一等賞が出たと発表されると、「何でオレは当たらなかったのだろう。条件は一緒なのに!」と悔やんでしまい、当たった人のことを嫉んでしまう人もいるでしょう。
一等賞に当たって幸せに浸っている人のことが我慢ならないのです。
嫉む人自身は幸せに感じていない
嫉む人は、自分自身に利益や得をするということが感じられていません。
自分自身には、何も幸せが巡って来ないことを感じ取っているのです。
もし、自分達の職場の誰かが、特別な経費節減方法を見つけて実践して、見事にその効果が会社に認められた時があるとします。
会社の規定では、その対象者に会社から慰労金として一時金が支給されます。
すると、あいつはきっと一時金を貰うのだろうと思い、彼を嫉んで嫉妬する人がいます。
しかし、その後の発表では、職場が一丸となって取り組んだ結果だと判断され、全員に一時金が支給されることになったとしましょう。
すると、これまでの嫉む気持ちはどこかに吹き飛んで、感謝の気持ちに変わってしまうのです。
一時金を自分も貰えるということで幸せを感じると、嫉みはなくなるということですね。
反対に、彼が独り占めにすると幸せを感じないので、強く嫉んでしまうようです。
自分より幸せに感じる人が憎い
自分はイケメンでモテると自負していた男が、仲間が超美人の女性と交際している事実を知ると、たちまち嫉んでしまうでしょう。
彼女とのツーショットの写真を見せられた時などは、ものすごく嫉妬してしまいます。
モテ男だと思っていたのに、まだ彼女ができない自分と、普通の男なのに超美人の彼女を見つけた彼とを比較してしまいます。
なぜ自分は負けてしまったのかという理由が分からないのです。
悔しさと嫉妬だけが残ります。
自分も十分に能力があるのに結果が出ないこと、先を越されてしまったこと、彼女が魅力的で羨ましく思うことが重なってしまい、自分より幸せな彼のことが憎くなるのでしょう。
2.相手より劣っている場合
誰でも人に負けないような特別な能力は持っているはずです。
走るのが速い人、重いものを持ち上げるのが得意な人、ボールを投げたり蹴ったりするのが得意な人、料理が得意な人、まだまだいろいろとあります。
それらすべてを兼ね備えた人と言うのはいないのです。
運動もできるが勉強もできるという人は稀にいますが、やはりどちらかは劣っているものです。
高校生の時のクラスの中に、ガリ勉タイプではないのに勉強が良くできる学生がいました。
授業が終わってからも、友人と遊びに行ったり悪さをするのですが、同学年の中では試験の成績は常にトップクラスです。
志望大学も東大か京大と決めていたそうです。
どこが違うのだろうと観察していたら、授業の時に教える内容をすべて授業中に理解していたようで、家では復習はせずに短い時間だけで予習を済ませるようです。
やはり、抜群の理解力を持っているようです。
やるべきことはしっかりとやって、理解力も優れているということに対して、自分は劣っていると感じると、つい嫉んでしまうのです。
プライドが高いのでより相手を嫉む
例えば、サッカーのクラブで頑張っているのだけれど、得点を叩きだす花形のトップの位置を取りたいと思っていたとします。
それなりに足も速いしキックも強くて正確だと思っているのです。
今度の県大会の予選では、ぜひともフォワードのポジションを希望しました。
監督にも毎日の練習でアピールし、練習試合では得点を入れたこともあったのです。
だからきっと予選ではトップの位置に着くものと思っていました。
ところが、監督から予選のフォーメーションの発表が会った時には、なんとディフェンダーに回されたのです。
なぜだと思っていると、トップの中に同期でライバルの彼がつくことになったのです。
彼には負けていないと思っていただけに、彼を嫉んで悔しいと思ってしまったようです。
このケースでは、本人のプライドが高いために、より相手を嫉んでしまったのでしょう。