そこらに溢れているような単なるボランティア精神などではなく、本当の意味で見返りのない無償の愛情と奉仕を子どもに向けます。
子どもが辛くて泣いていれば、理由を優しく聞きながらその胸で抱きしめてくれるでしょう。
反抗期で問題ばかり起こす子どもに対しても、何も言わずに面倒を見てくれたり、いつでもあたたかく接してくれたりするでしょう。
多くの母親は、子どもを産むと母性に目覚めます。
母性とは、「自分がどんな目に遭っても子どもだけは絶対に守ろう」という強い決意を持った愛情のことです。
その愛情をもって、いつも子どもをあたたかく包んでいます。
そのあたたかさに包まれたことのある人は、お母さんに「いつもあたたかく包んでくれてありがとう」と感謝の気持ちを抱くことがあるでしょう。
美味しいご飯を作ってくれて「ありがとう」
男性が結婚する女性に対して料理の腕を求めるのは、自分が家庭で美味しいご飯を食べて育ってきたからだと言われています。
子どもの頃から毎日食べてきたお母さんの手料理が、子どもにとっての料理の味の基準になります。
そのためお母さんが料理下手でも、もっと料理の上手な人のご飯を食べない限りは、子どもはその味が普通だと思うことでしょう。
一方で、お母さんがとても料理上手な場合には、子どもはその味が普通だと考えています。
もし恋人や妻ができたときに、相手がお母さんよりも料理上手でなかったら、思わず口からは文句が零れてしまうかもしれません。
お母さんの手料理、つまり「おふくろの味」は、子どもにとっては特別なものです。
毎日食べていると当たり前に感じていますが、自分が一人暮らしをしたり、結婚して家を出たりした時には、ふとお母さんの手料理が恋しくなることがあるでしょう。
そしてお母さんの料理を頻繁に食べられなくなってから、改めてお母さんに美味しい料理を作ってもらっていたことを感謝する人も少なくはないでしょう。
厳しくしつけてくれて「ありがとう」
厳しくしつけられて育った子どもは、社会に出てから初めて親の厳しいしつけに感謝することが多いです。
子どもの頃は「何で自分だけこんなに厳しくされるのか」と不満を覚えることも多かったでしょう。
他の友達のように、遅くまで遊ぶことも許されず、行儀や作法でも煩く言われて、反抗期にはそんな不満を爆発させてしまったという人もいるでしょう。
けれども、子どもの頃から厳しくしつけられた育った人は、それがきちんと自分の身についています。
社会に出てからも一挙一動でしつけられた癖が出ますので、きちんとした行儀作法や振る舞いは、やがて周りから感心されることが増えるでしょう。
そして会社の同僚や上司、もしくは恋人などから「きちんとした家で育てられてきたんだね」「親のしつけが良かったんだね」「行儀作法ができていていいね」
などと言われる度に、内心でこれまでの母親の厳しかったしつけに感謝することもあるでしょう。
毎日家事をしてくれて「ありがとう」
子どもの頃は、毎日お母さんが家事をしてくれていることが当たり前に感じられていた人は多いでしょう。
朝は起こしてもらうのが当たり前、食事はいつも作ってもらえて、洗濯や家の掃除もされていて当たり前だったので、いちいちそのことでお母さんに感謝することはなかったかもしれません。
また、そうした家事をお母さんがやってくれているのだという意識すらしていなかった人もいるでしょう。
家事の苦労は、自分がするようになって初めて分かります。
一人暮らしをすれば、誰も起こしたり食事などの面倒をみてくれたりすることはありません。
家事はすべて自分一人でやらなければならないため、その手間暇や面倒さを感じたことで、初めてこれまでの生活をお母さんに感謝するようになる人もいます。
また、女性の場合は結婚して自分が母親の立場になると、自然とお母さんと同じように家事をこなすようになりますので、一層母親の大変さが身に染みることでしょう。
自分で家事をするようになった人ほど、お母さんがこれまで毎日のように家事をしてくれていたことに対して感謝することが多いです。
気にかけてくれて「ありがとう」
母親というものは、いつだって自分の子どものことが一番気にかかります。
何せ自分がお腹を痛めて産んだ、愛する子なのですから、その子の人生が気にならないわけはありません。
子どもが悩んでいれば、どうしたのかと話を聞こうとしますし、もし子どもが話してくれなくても、いつでも自分は話を聞ける態勢を整えておくことでしょう。
お母さんは、子どもと一緒にいる時間が長い分も、父親よりも子どもの変化には敏感です。
「しばらく連絡を取っていなかったのに、自分が困ったタイミングではかったように母親が連絡をしてきてびっくりした」という経験がある人も少なくはないでしょう。
お母さんはいつでも子どものことを気にかけていますので、連絡の頻度の変化や子どもの表情の変化などを、逐一見逃すことはありません。