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変わるきっかけになる7個の出来事(続き2)

もし、自分がこのような病気で命落とさずとも、何らかの後遺症が残ってまともな生活が送れなくなってしまったらどうしよう、という。

人が何かを変えようと思うきっかけに求める出来事がこのような切羽詰まった出来事でない事を願いたいです。

ですが、元々、怠惰になる事を否定しない人間にそのような予想をすること自体、困難な事でしょう。

しかし、実際に病気になってしばらくの間、療養期間を取った人間が思う事は皆、同様です。

時間を大切にしよう。という事です。

時間が有限である事を、病気をする事によって初めて悟れるのです。

病気によって失ってしまった時間はもう帰ってきません。

しかし、その分、これからの時間は今まで通りではなくもっと有意義な事に使おう、という気概が生まれてくるのです。

どうかその時のお気持ち、三日坊主で終わらせないようにしてくださいね。

肉親や友人の死


変わるきっかけになる7個の出来事の2つ目は「肉親や友人の死」です。

これはまた重いものが出てきましたね。

確かに肉親や友人の死は説得力のあり過ぎる理由です。

当時者の年齢が結構いい歳(中高年齢層)だったらば肉親や友人の死も、ある意味人生における一つの通過点として割り切れるでしょう。

しかし、これか世の中に巣立ってゆこうという人がこのような体験をしてしまったら、ちょっと簡単に割り切って考えることは無理でしょうね。

それほど人生において「死別」という出来事は人の運命を大きく左右するほどの威力をもっているのですから。

精神的に大きな衝撃を受ける

肉親や友人の死を知らされて、精神的に大きな衝撃を受けない人はいないでしょう。

むしろ、うろたえてしまって前後錯乱状態に陥ってしまいまともな精神を維持する事は不可能となるでしょう。

このような精神状態になってしまうのも、いかにその亡くなった方たちの事心から信頼し心の拠り所としていたか。

それが露わになるからです。

つまりあなたの精神年齢はまだまだ幼く、その亡くなられた人に精神的に甘えていた、依存していた、という事になるからです。

とにもかくにもそのような事態になってしまった方たちには同情し、お悔やみの言葉を申し上げます。

亡くなった人の分まで一生懸命生きようと思う

とにかく、自分の身近な人の「死」は並大抵のショックではありません。

まさに自分のこれまでの生き方全てを見直すほどのショックとなるのです。

中には悲しみに打ちひしがれて当分の間、立ち直れない人も出てくるでしょう。

それはそれでやむを得ない事態だと思います。

ただ、故人の死をいつまでも悲しんでいるわけにもいきません。

生きている人間にはこれからやっていかなければならない事が五万と転がっています。

それらをやり遂げていかない事には亡くなった人も浮かばれないかも分かりません。

そのためにも「亡くなった人の分まで一生懸命生きよう」と思うのが残った人の思う最初の決意だと思うのです。

それくらい身近な人の死はあなたに相当な覚悟を促してくれるのです。

「せめてその人が生きている間に今の私の姿を見てもらいたかった。」この思いがあるのなら大丈夫です。

あなたは故人の遺志を受け継いで立派にやっていけることでしょう。

失業や転職


変わるきっかけになる7個の出来事の3つ目は「失業や転職」です。

人は同じ環境、同じ待遇を受け続けていたら、どのような人でも目的意識を失ってしまいます。

「自分はどうして今のこの仕事をやっているんだろう?」という根本的なその仕事への動機付けが分からなくなってくるのです。

そういった疑問を自ら行えるうちはまだいいでしょうが、これが10年、20年と同じ職場内で同じ作業を続けたら、もう間違いなく今の自分の仕事に対して何の疑いも持たなくなるでしょうね。