まさにそれが天職だったと思えるくらいになっているでしょうね。
しかし、それは本当の事でしょうか?
自分が初めて就いた仕事が本当に自分にとっての「天職」だった、と言い切れる自信はあるでしょうか?
もしかしたら自分を見つめ直すことなくこのまま安穏に暮らしていきたいがため、仕事にやりがいも何も感じないのに黙って今の仕事を続けていただけなのでしょうか?
まあ、それで家族を養っても余りあるくらいの稼ぎを取っているのなら問題はなかったでしょうがね。
自信を失うのではなく新たな成長を試みる
失業や転職というものは一生のうちでそう何度も味わうものではありません。
しかし、中には運悪く会社の倒産に立て続けにあったり、リストラされてしまったり、という方もいらっしゃるでしょう。
あるいは自らの意思で転職に活路を求めに行動する勇気ある方もいるかも分かりません。
いずれにしても失業や転職というものは自分のこれまでの生き方を振り返り、自分の悪かった点、それまでの会社に対して不満に思っていた点などを総合的に判断できる絶好の機会となるのです。
ハッキリ言って、自らの意思で動いた人は大いなる希望を感じることは間違いありません。
例えその天職が後で失敗に終わったとしても、です。
それくらいの覚悟で行動を起こしているのですから、あなたの自分を変えようと思う意思に対しては大いなる「敬意」を表するわけなのです。
反対に疑問も危機感も持たず今の会社に縋りつくことだけを考える人生、まあこれも一つの生き方でしょう。
ですが、それで自分が変わるきっかけになるかどうかは「あり得ない」という結論を申しておくしかないでしょうね。
つまり新しい環境に身を置きに行く、という事は「自信を失うのではなく新たなる成長を求めるために行う」という事になるからです。
長く続けることが善では決してない
ただ、だからと言って誤解されては困るのですが、長く一つのところに居続けるのがよくない、と言っているのではないという事をご了解しておいていただきたいのです。
一つの会社に定年の歳まで働き続けるのはかつての我が国のモットーともいえる働き方でした。
会社を途中で辞めるなんていう行為は一種の「犯罪」にも似たような罪悪感をもたせるような感覚が確かに昔の日本にはありましたからね。
しかしながら時代は変わりました。
会社に居続けたくともそうならない社会情勢になってきました。
だから、という訳でもないのですが、会社に長くいることが果たして「善」なのか?と自問自答していただきたいのです。
戦後の高度経済成長期ならいざ知らず、今の時代にあの頃のようなモチベーションを持つための動機づけを見つけるのはなかなか難しい事でしょう。
だからこそ、今いる会社での人生が果たして自分にとって最適なのかどうかを真剣に考えていただきたいのです。
それで「残る」と決まればそれでよし。
「?」という結果ならば再度、真剣に考えてみてください。
ただ、勢いだけの転職で職を失うような行いだけはしないで下さいね。
資格試験を受ける決意をする
変わるきっかけになる7個の出来事の4つ目は「資格試験を受ける決意をする」です。
ここで取り上げる資格というのは漢字検定や英検といった類のものではありません。
国家資格級で難易度も高く、それさえ取得しておけば将来的に就職や転職、あるいは起業、独立まで可能になるような資格を言っています。
例えば身近なところでは「司法試験」「司法書士」「税理士」「社会保険労務士」などを言います。
いずれも合格の可能性は10パーセント以下。
司法試験に至ってはロースクールに入学できたとしても、試験に絶対合格できる保証もありません。
まさしく生半可な勉強ではまず合格は無理、と言われるくらいの超難関資格ばかりです。
しかし、これらの資格をもし取得できた場合は、それまでの自分の人生が180度、方向転換したかのような気持ちにすることができるほど、画期的な出来事になるのです。
より良い将来のための大きな決断
では、なぜそのような難関資格の取得を目指すのか?
答えはいとも簡単なことです。