人間は若い時ほど、思い悩むものです。

自分の生き方はこれでいいのか?

今の暮らしで満足していいのか?

人も羨むような大企業に入るだけが満足いく生き方なのか?などなど。

生きていく上での悩みがない人もいるかもしれませんが、恐らくかなりの方は何かしらの悩みを持って生きている事と思います。

そんな現状の自分をいつか「変える」きっかけというものが人生の中においては1度や2度は訪れるはずです。

その機を逃せばしばらくそのようなチャンスはやってこないかもしれないと思われるような機会です。

では、人間が変わるきっかけになる瞬間って、どのようなものがあるのでしょうか?それを今回は考えていきたいと思います。

人生が大きく変わるにはきっかけが必要

人生というもの大きな川がゆっくりと海に向かって流れていくようなものかも知れません。

上流は川幅も狭く流れも速い。

まるで人間の青年期のようです。

そして中流にゆけばそれなりに川幅も広がり流れも多少、緩やかになってきますがそれでも場所によっては急激な流れの変化が起こったりします。

そして下流。

どっぷりと大量の水を流しながら怒涛のように脇目もふらず一直線に海に向かって流れつきます。

まるで人生の晩年期を思わせるような貫禄です。

このように人生を川の流れに例えてしまうと、「川の流れを変えるなんて無理無理」と頭ごなしに話を終わらせようとする人もいるでしょう。

しかし、本当に川の流れを変える事って、出来ないのでしょうか?ヤル気にさえなれば何とかなると思わないのでしょうか?

こういった疑問を若いうちに思い浮かぶか浮かばないか、があなたの人生を変えるきっかけを作れるかどうかの試金石となるのでしょう。

今の自分の人生に疑問を感じたなら、大きく変える必要があるのです。

そのきっかけさえ掴めれば、人は案外簡単に、思い通りの人生を送れるものなのですよ。

人は日常に慣れるとマンネリして変わらなくなる

人というものは日常生活に慣れてしまうとマンネリ感を覚え、どうにかして今の生き方を変えようともがくものです。

しかし、反対にそのマンネリにすっかり慣れてしまって新たな試みや試行を行わなくなるのもまた人の特性なのです。

マンネリというのはそれほど人々に「安定」という生きていく上での保障のような存在なのです。

何も無理して今の生き方を変えなくても今のままでいいじゃないか、という考えです。

この考え方、人生にある程度の目星がついてしまった人に多く存在するかも分かりませんね。

ただ、それではいけない、と終始、あがき続ける人もいるのです。

そうやらない事には何かを変えるきっかけなど、つかめっこないからです。

妥協や怠けからは何も生まれない

マンネリになるという事はつまり「妥協」であり「怠け」です。

何かを創造して新しい何かを見つけ出そう、という意気込みを拒否した姿勢です。

「怠け」「怠惰」「妥協」からは残念ながら何も生まれてきません。

いえ、現状維持もおぼつきません。

それほど世の中の進化のスピードは速くなってきているのです。

よってこちらが何も手を打たずにそのままでいたら確実に今の時代から取り残される存在になるという事を胆に銘じる必要があるのです。

人間は本来怠け者

こんなことを言ったら何ですが、人間という生き物、本来の特徴は「怠けもの」なのでしょうね。

食べるものさえ手に入って寝るところも確保されている。

このような環境が与えられたら、人間の100人中、過半数以上がそのような怠慢な暮らしに入っていってしまうかもしれませんね。

そりゃ、そうでしょう、働かずとも三度の飯と雨風防げる宿が保障されたら人間、働きませんよ。

そんな人間の集まりの社会、時期の早い・遅いはあっても間違いなく滅びるでしょうね。

人間の大脳がどうして他の動物よりも大きく出来ているのか?それは頭を使って難局を克服せよ、という意味が込められていると思うのです。

戦う武器を身体に持たない人間の最大の武器は、この頭を使った「知恵」なのですからね。

変わるきっかけになる7個の出来事

それでは次に参りましょう。

ここからは人間が心の底から変わろう!と思うきっかけについて考えていきたいと思います。

人がそれまでの生き方を180度見直して変えてゆくのって、やはり何かの強烈なきっかけがない事には起きないものです。

そのきっかけについて紹介していきたいと思います。

全部で7個のご紹介となりますよ。

病気になる

変わるきっかけになる7個の出来事の最初の1つ目は「病気になる」です。

病気は日常生活のリズムを狂わすのにうってつけのものでしょう。

例え風邪を引いた程度だったとしても、あなたは2~3日は安静にしていないといけません。

そして病院に行ったり薬を買いに行ったり、という想定外な行動を起こさなければなりません。

病院に行ったら、打って欲しくない注射もされるかも分かりません。

また病院に出かけるための時間もロスします。

普段の生活パターンを否応なしにくずされるのです。

このような行動は、実際に病気になった本人にしか分からない体験がやってくるでしょう。

病気というものはあなたのマンネリ化した人生に一石を投じるのに十分な効果があるというわけです。

健康であるということがどんなに素晴らしいことか気付ける

人はこれまでの生き方が何の疑問もなく当たり前だと思っています。

まさか自分がこの先、重い病気にかかって生死の狭間を彷徨うことになるはずはなかろう、と誰もが思っているはずです。

ところがそうは問屋がおろしません。

病気というものは何の予告もなしに突然、あなたを襲ってきます。

昨日までの健康な自分をあざ笑うかのようにやってきます。

それも生死にかかわるような重い病気が。

そうなって初めて人間は気付きます。

健康というものがいかに素晴らしいものであるのか、という事を。

健康なんて何の努力も行わずともあるのが当たり前、と思っていた頃が嘘のような気付きを行います。

ああ、健康ってこんなに素晴らしくありがたいものだったんだ!と心から感謝する自分の姿がそこにあるのを遅まきながら発見する事でしょう。

時間をとても大切にするようになる

まあ、生死に関わるほどの病気ではなかったとしても病気にかかってしまうと確実に人はそれまで生活パターンを変えざるを得なくなるのです。

そしてそのような境遇になった時、初めて気づくのです。

時間の大切さを。

もし、自分がこのような病気で命落とさずとも、何らかの後遺症が残ってまともな生活が送れなくなってしまったらどうしよう、という。

人が何かを変えようと思うきっかけに求める出来事がこのような切羽詰まった出来事でない事を願いたいです。

ですが、元々、怠惰になる事を否定しない人間にそのような予想をすること自体、困難な事でしょう。

しかし、実際に病気になってしばらくの間、療養期間を取った人間が思う事は皆、同様です。

時間を大切にしよう。という事です。

時間が有限である事を、病気をする事によって初めて悟れるのです。

病気によって失ってしまった時間はもう帰ってきません。

しかし、その分、これからの時間は今まで通りではなくもっと有意義な事に使おう、という気概が生まれてくるのです。

どうかその時のお気持ち、三日坊主で終わらせないようにしてくださいね。

肉親や友人の死


変わるきっかけになる7個の出来事の2つ目は「肉親や友人の死」です。

これはまた重いものが出てきましたね。

確かに肉親や友人の死は説得力のあり過ぎる理由です。

当時者の年齢が結構いい歳(中高年齢層)だったらば肉親や友人の死も、ある意味人生における一つの通過点として割り切れるでしょう。

しかし、これか世の中に巣立ってゆこうという人がこのような体験をしてしまったら、ちょっと簡単に割り切って考えることは無理でしょうね。

それほど人生において「死別」という出来事は人の運命を大きく左右するほどの威力をもっているのですから。

精神的に大きな衝撃を受ける

肉親や友人の死を知らされて、精神的に大きな衝撃を受けない人はいないでしょう。

むしろ、うろたえてしまって前後錯乱状態に陥ってしまいまともな精神を維持する事は不可能となるでしょう。

このような精神状態になってしまうのも、いかにその亡くなった方たちの事心から信頼し心の拠り所としていたか。

それが露わになるからです。

つまりあなたの精神年齢はまだまだ幼く、その亡くなられた人に精神的に甘えていた、依存していた、という事になるからです。

とにもかくにもそのような事態になってしまった方たちには同情し、お悔やみの言葉を申し上げます。

亡くなった人の分まで一生懸命生きようと思う

とにかく、自分の身近な人の「死」は並大抵のショックではありません。

まさに自分のこれまでの生き方全てを見直すほどのショックとなるのです。

中には悲しみに打ちひしがれて当分の間、立ち直れない人も出てくるでしょう。

それはそれでやむを得ない事態だと思います。

ただ、故人の死をいつまでも悲しんでいるわけにもいきません。

生きている人間にはこれからやっていかなければならない事が五万と転がっています。

それらをやり遂げていかない事には亡くなった人も浮かばれないかも分かりません。

そのためにも「亡くなった人の分まで一生懸命生きよう」と思うのが残った人の思う最初の決意だと思うのです。

それくらい身近な人の死はあなたに相当な覚悟を促してくれるのです。

「せめてその人が生きている間に今の私の姿を見てもらいたかった。」この思いがあるのなら大丈夫です。

あなたは故人の遺志を受け継いで立派にやっていけることでしょう。

失業や転職


変わるきっかけになる7個の出来事の3つ目は「失業や転職」です。

人は同じ環境、同じ待遇を受け続けていたら、どのような人でも目的意識を失ってしまいます。

「自分はどうして今のこの仕事をやっているんだろう?」という根本的なその仕事への動機付けが分からなくなってくるのです。

そういった疑問を自ら行えるうちはまだいいでしょうが、これが10年、20年と同じ職場内で同じ作業を続けたら、もう間違いなく今の自分の仕事に対して何の疑いも持たなくなるでしょうね。

まさにそれが天職だったと思えるくらいになっているでしょうね。

しかし、それは本当の事でしょうか?

自分が初めて就いた仕事が本当に自分にとっての「天職」だった、と言い切れる自信はあるでしょうか?

もしかしたら自分を見つめ直すことなくこのまま安穏に暮らしていきたいがため、仕事にやりがいも何も感じないのに黙って今の仕事を続けていただけなのでしょうか?

まあ、それで家族を養っても余りあるくらいの稼ぎを取っているのなら問題はなかったでしょうがね。

自信を失うのではなく新たな成長を試みる

失業や転職というものは一生のうちでそう何度も味わうものではありません。

しかし、中には運悪く会社の倒産に立て続けにあったり、リストラされてしまったり、という方もいらっしゃるでしょう。

あるいは自らの意思で転職に活路を求めに行動する勇気ある方もいるかも分かりません。

いずれにしても失業や転職というものは自分のこれまでの生き方を振り返り、自分の悪かった点、それまでの会社に対して不満に思っていた点などを総合的に判断できる絶好の機会となるのです。

ハッキリ言って、自らの意思で動いた人は大いなる希望を感じることは間違いありません。

例えその天職が後で失敗に終わったとしても、です。

それくらいの覚悟で行動を起こしているのですから、あなたの自分を変えようと思う意思に対しては大いなる「敬意」を表するわけなのです。

反対に疑問も危機感も持たず今の会社に縋りつくことだけを考える人生、まあこれも一つの生き方でしょう。

ですが、それで自分が変わるきっかけになるかどうかは「あり得ない」という結論を申しておくしかないでしょうね。

つまり新しい環境に身を置きに行く、という事は「自信を失うのではなく新たなる成長を求めるために行う」という事になるからです。

長く続けることが善では決してない

ただ、だからと言って誤解されては困るのですが、長く一つのところに居続けるのがよくない、と言っているのではないという事をご了解しておいていただきたいのです。

一つの会社に定年の歳まで働き続けるのはかつての我が国のモットーともいえる働き方でした。

会社を途中で辞めるなんていう行為は一種の「犯罪」にも似たような罪悪感をもたせるような感覚が確かに昔の日本にはありましたからね。

しかしながら時代は変わりました。

会社に居続けたくともそうならない社会情勢になってきました。

だから、という訳でもないのですが、会社に長くいることが果たして「善」なのか?と自問自答していただきたいのです。

戦後の高度経済成長期ならいざ知らず、今の時代にあの頃のようなモチベーションを持つための動機づけを見つけるのはなかなか難しい事でしょう。

だからこそ、今いる会社での人生が果たして自分にとって最適なのかどうかを真剣に考えていただきたいのです。

それで「残る」と決まればそれでよし。

「?」という結果ならば再度、真剣に考えてみてください。

ただ、勢いだけの転職で職を失うような行いだけはしないで下さいね。