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呈するとはどういう意味?苦言を呈す...(続き4)

そもそも、人に使うエネルギーがあるのなら、自分のことを磨いている方が自分にとって有益なはずなのです。

そのエネルギーを他の人に向けるということは、自分が完璧であるという自負があるからです。

ただしその自負は、ただ単に自分に対する甘さが露呈しているだけということもあるかもしれません。

自分に甘いから、自分のことが完璧に見えてしまうということです。

気が強い

人に苦言を呈することができる人は、間違いなく気が強いはずですよ。

気が弱い人はそもそも、自分のことを上手く伝えることすらできません。

まして、相手の悪いところを直してほしいと忠告するようなことをするのは、考えるだけで憂鬱になるはずです。

苦言を呈してばかりのような人は、小心者の人間とは対極の位置にあるのではないでしょうか。

かまってちゃん

苦言を呈するような人は、かまってちゃんなところもあるかもしれません。

他人にしつこく苦言を呈するような性格をしているからこそ、人に避けられてしまうのですが、本人はそれを気づいていません。

ただ、自分のことを見てほしくて、自分のことを頼りにしてほしくて、そのために相手の粗を探すような行動に出てしまうのです。

構ってもらうために相手の反応を伺いながら色々な行動をする人をかまってちゃんと言いますが、苦言を呈するような人は、一種のかまってちゃんとも言えるかもしれませんね。

ただし、苦言を呈される人にとっては、かまってちゃんのような行動と言うよりは、ただのウザイ人扱いされることの方が多いはずです。

翻せば寂しがり屋

苦言を呈するような人は、ただのさびしがり屋と解釈することも可能でしょう。

誰かにとっての重要な存在でいたいからこそ、相手のことを思って忠告しているような気持ちになっている人もいるかもしれません。

相手に忠告することで、相手の中での自分の価値を高めようとするのです。

あまりにも必死な寂しがり屋、と表現すると、苦言を呈する人のことを受け入れてあげなければいけないような気持ちになってしまいますね。

実際には、寂しがり屋とはいっても、かなり質の悪いタイプになりますので、それほどまでに自分の心を痛めるような必要は全くありません。

大げさに話す

苦言を呈する人は、何でも大袈裟に話すような特徴もあるかもしれません。

些細な物事を大きなことのように大袈裟に話してしまうのです。

もしくは、普段から相手のしていることを大袈裟に思う習慣がついているのかもしれませんね。

そもそも、苦言を呈してばかりと言うのは、シチュエーション的におかしいのです。

苦言と言うほどに相手に忠告をしなければいけないような状況は、そうそう簡単に訪れるわけがありません。

それが習慣のように色々な人に苦言を呈しているというのですから、それはつまり、物事を大袈裟にとらえて、大袈裟に話すような習慣がついてしまっているからだといえましょう。

協調性がない

苦言を呈する人は基本的に協調性がないと言われることが多いのではないでしょうか。

人の和を乱さないようにする鉄則の一つ目は、何よりも人間関係をギスギスさせないように余計なことを言わないというものです。

相手との協調を重視しているのなら、苦言を呈してばかりで疎まれるようなことはしません。

苦言を呈するというのは勇気がいる行動であり、周囲との軋轢を生む可能性を持っている行動でもあります。

そんな行動をできるということは、つまりは、協調性があまりないということにもなるでしょう。

特に、苦言を呈してばかりの人と言うのは、その傾向があります。

普段は協調性を大事にしているのだけど、たまりかねて苦言を呈するというのであれば、協調性はほとんど関係ありません。

ですが、普段から文句ばかりを口にしているというのは、周囲との人間関係を築く気がないという意思表示のようにもなってしまいます。

そんな人と一緒にいるのは苦痛ですし、周囲の人間も「この人は仲良くする気がないのだろう」とみてしまいますね。

苦言を呈する人は周囲からどう見られている?

苦言を呈する人は、正しい場面で苦言を呈していれば「勇者」のように見られるかもしれませんが、そうでない場合もたくさんあります。