そのため、「扱き下ろす」という表現はあまり好ましくないものとされており、普段使いされることは少ないでしょう。
批判する
「批判」は、「物事の可否に検討を加えて、評価や判定をすること」です。
また、「誤りや良くない点について指摘してあげつらうこと」という意味もあります。
例えば、誰かの悪口を言っている人がいるとしたら、「他人の悪口を言うこと」を一般的な良くないものと判断して、悪口を言っている人に、「あなたのしていることは良くないことだよ」と指摘することが批判です。
批判には世間一般的な常識や善悪の物差しなどがあり、それらを自分で判断することによって、他人を褒めたり注意したりします。
悪いことをしている人に対して、感情的に怒るわけではないため、この批判は比較的、「たしなめる」と意味がよく似ていると言えるでしょう。
非難する
「非難」とは、「相手の過失や不足を責めること」です。
相手の悪い部分を指摘するだけでなく、さらにそれを悪いものだと責めるため、誰かを非難したことによって、人間関係でトラブルが起きてしまうことも少なくはないでしょう。
また、「注意する」や「批判」よりもやや感情的になって相手を責めてしまう要素が強いため、それが原因となってさらにトラブルが大きくなってしまうこともあります。
誰かを非難する時には、非難する側は自分の欠点は棚に上げている状態ですので、もし欠点の多い人が他人を非難したら、非難された相手に「自分だってできていないことが多いくせに」と不満を持たれてしまうこともあるでしょう。
意味そのものは「たしなめる」と似ていますが、より感情的になってしまうのは否めないでしょう。
叱責する
「叱責」とは、「失策や怠慢などを叱り咎めること」です。
例えば仕事で部下がミスをしたら、十分に注意をした上で起きてしまった、致し方のないミスであれば、上司も怒ることはしないでしょう。
しかしそのミスが、もし部下のうっかりや怠慢から起きてしまったことであれば、上司は部下の怠慢を叱り、ミスを咎めなければなりません。
そのような場合には、「叱る」よりも「叱責する」という表現を用いることが多いです。
「叱責」は、通常悪気なくミスをしてしまった人や、善意のつもりで結果的に悪いことになってしまったような場合には、あまり使われることのない表現です。
あくまでも悪意があったり、怠慢が原因だったりして悪い結果になってしまった時には、その怠慢に喝を入れるためにも、叱責することがあります。
諌める
「諫める」は、「不正や欠点を改めるように忠告すること」です。
先にもご紹介しましたが、「諫める」は目上の人に対して使う言葉ですので、似たような意味でも「たしなめる」とは使い方が異なります。
もし誰かの良くない部分を指摘しようと思ったときに、それが自分よりも目上の相手の場合には、「諫める」という表現を用いるようにしましょう。
間違っても「たしなめる」や「叱責する」などの目上からの表現は用いないように注意しましょう。
諭す
「諭す」は、「物事の道理をよく分かるように、話して聞かせること」や「納得させ教え導くこと」です。
目下の相手に用いる言葉で、感情的に怒鳴ったり、悪いことをした相手を非難したりする場合には用いない表現です。
誰かが悪いことをしたなら、それがどうして悪いことなのか、どうしてやってはいけないのかを、相手が理解できるように分かりやすく教えることが「諭す」ことです。
誰かを諭すには根気がいる場合もありますが、感情的に怒鳴りつけるよりは効果が高く、相手が理解した後には反省を活かしやすいです。
促す
「促す」には、「ある行為をするように仕向けること」や「物事の進行を速やかにさせる」などの意味があります。
「たしなめる」と近い意味は前者で、誰かが悪いことをしたのなら、それを指摘して相手が反省するように考えを持っていかせる時などに「反省を促す」などと表現します。
「促す」行為は、ある意味最初から悪いことだと相手に伝えて叱りつける行為よりも難しいとされています。
何せ相手に自分が悪いことを自らで気付かせるのですから、単に叱りつけるよりも難易度は高いでしょう。
ただし「たしなめる」と同様に、感情的にならずに相手に悪い部分を気付かせることが出来るため、相手の理解度は高いと言えます。
「たしなめる」を正しく使用しよう!
「たしなめる」の意味を正しく理解できれば、時と場合に合わせた正しい使い方もできるでしょう。
どのような時に「たしなめる」の表現を用いるのか、また漢字はどちらの表記をするのかなど、知っておけばいざという時にも恥をかかずに済みます。
また、「たしなめる」の類語も知っておくことで、似たような意味で別の言い方をすることもできますので、その時に最も合った言葉の表現をすることが可能になります。