CoCoSiA(ココシア)

覚醒するための13個の努力方法(続き2)

主観ではなく「客観」が重要なのですね。

しかしこれは並大抵の事では出来ません。

自身を客観視しようとするのもまた「自分」なのですから、中々難しいのですね。

しかし、どちらにしても「自身の覚醒を求める」のならば、この「己を知ること」を徹底しなければならないのです。

自分がどういう人物かを把握する

では、その「己を知る」ためには一体どうしたらいいのでしょうか?よく「自分の事は自分が一番分かっている」と言ったりしますが、あれは「半分正解で半分間違い」だと思います。

例えば、毎日鏡を見て身だしなみを整えているあなた、「左頬にニキビがある」、「額のシミが増えた」、こういったことは毎日鏡とにらめっこしていれば嫌でも気付かざるを得ない事なのかも知れません。

ですからこのことは「自分が一番詳しい」のでしょう。

しかし、一旦という「現在進行形で自分を観察できる器具」である鏡から離れると、自分の今現在の顔の状態は確認できなくなります。

しかしそうなると周りの人間たちは、あなたの顔を「客観的に見放題」なのです。

もしかしたらその時不意に「鼻毛が出てる」と他人に見つかる事があるかも知れません。

そうなれば、「自分の事なのに分かっていない」という事になるでしょう。

ですから結局、自分の事は「自分を観察しよう」と思って、さらにそれを観察できる何かしらの「ツール」があれば、その時は「自分が一番分かっている」というロジックは成立するでしょう。

しかし、「客観視しようとしても」そのツールがなかったり、そもそも「見る気がない」ような場兄は、当然「自分が一番分かっていない」状況に成ってしまうのです。

ですから、外見を通じて分かる事ならば、「他者の協力も促して周りからの意見に耳を傾けること」、そして自身で「自己評価」をする場合には、「比較対象となり得る他者と比べる事」が重要です。

そうしなければ中々自分の本性に気がつく事などとてもではありませんが困難な事と言わざるを得ないでしょう。

2.目標を明確にする

さて次に重要なのが「具体的な目標設定」です。

これは「今日は○○をやる」ということで十分OKだと思います。

それが長期的な期間を要するものなら「一週間単位」、「一カ月単位」でもいいでしょう。

そしてさらに、そこに「数値」を絡ませると分かりやすさがアップします。

「今日は○○をやる」だけでは中々、達成感もやる気も起きないように思います。

そこで「今日は○○を××回やる」とか、「××までに○○をやり遂げる」など、具体的な物事と、具体的な回数などの「数値」を合わせることで、無理なく計画的に「日々の成長」が実感できるでしょう。

また普段から「数値」を出しておけば、それと比べて「過去の自分と今の自分と比べてどうか?」、とか記録を残しておけば「このころは調子が悪かったな…」、「ここは辛いのに頑張れたな…」と、何となくの自分の傾向、つまりは「自分の性格や弱点、特性」なども見えているかも知れません。

そういった「データ」を利用した自己分析は、単なる「自分の事なんだから…」という根拠のない分析よりも「信頼性が高い」と言う事が出来るとも思いますし、どちらにしても「データ」の方が客観性に富んでいるでしょう。

「目標設定」と、「自己評価」を兼ねた「自身のデータ収集」はいろんな面で覚醒に役立つと思われます。

目標に向かう気持ちが大きいと覚醒につながる

そして「自己データ収集」は、目標設定がより「具体化」し、「現状の把握」にも繋がるので、自分の頑張りや、日々の成長、調子の悪さや、やり方の違いによる結果の出方などありとあらゆる物事が分かるようになります。

そういったところで、何のデータもなく「どうしたらいいんだ…」、「このままのやり方でいいのか…」という正に暗中模索の状態で訳も分からず手さぐりで、暗がりの先々見えない自分の人生を考えるよりも、はるかに希望が持てるし、対策も取り易いでしょう。

その日々の努力が成りたい自分に覚醒する為の良い判断材料かつ、努力のバローメーターに成るに違いありません。

3.小さいことから片付ける

昔から「塵も積もれば山となる」ということわざがあります。

これは先人達が遺してくれたある種の生活の知恵です。

小さな事であっても日々信じて「積み重ねれば」、大きな山となってきっとあなたの掛け替えのない大きな財産となるでしょう。

と言う意味です。

また、「鹿を逐う者は兎を顧みず」という言葉もあります。

これは「目先の大物ばかりに気を取られて、小さな利益には目もくれないこと」を言います。

確かに人は何かリスクを犯すのならと、いつでも「ハイリターン」を考えようとします。

しかもその「ハイリターン」というのが「非常に短期的であるものに限定している」という厄介な条件付きであることも大きな問題です。

通常、何かを得ようとするにはそれだけ「リスク」を懸けなければなりません。