CoCoSiA(ココシア)

覚醒するための13個の努力方法(続き3)

ハイリターンには「ハイリスク」が絶対条件なのです。

しかし人はそれに目を瞑り、いつでも「ノーリスク、ハイリターン」を求めようとします。

ですから結局「何も得られない」という最悪の状況に陥ってしまうのでしょう。

小さな事とは一見どうでも良いように思えても、集まれば非常に有力なものに成る場合もあります。

そういった先人たちの知恵も重要視して、大きな目標へと将来的に向かう為の重要な足掛かりに成る「日々の小さな積み重ね」を真剣に考えていかなければいけません。

大きい目標だけしか見えていないとやる気がなくなる

そして、急に「300時間○○やれ」と言われても「いやぁ、無理でしょ…」となるかも知れませんが、「一日30分ずつでいいよ」と言われれば、「何とかやってみよう」と思えるのではないでしょうか?

先日バラエティ番組の「アメトーーク」の「勉強大好き芸人」で、オリエンタルラジオの中田のあっちゃんがとてもいい事をおっしゃっていました。

「勉強をするにあたって重要な事はちょこちょこやること」。

「一日の食事量を三食に分けて食べれば美味しく無理なく食べられるだろうけど、朝・昼・晩の三食をまとめて昼に喰えと言われたらとてもじゃないけど喰えないはずだ。

しかし、一夜漬けとはその愚かな行為の事を言う」的な事を語っていたんです。

んん、わかりやすい。

正にその通りだと思いましたね。

スタジオの方も納得してましたし。

ですからここで重要な事は、「あまり大きな目標を始めから持ちすぎると、結局やらない」ということです。

例えば「難しい漢字」を覚えるときも正しく「憂鬱」になってしまいますよね。

しかし、難しく複雑な漢字も、「部首」や「知っている文字・記号」などに「分解」してやれば、きっと「知っているものの複合」であるはずなので、何かしらの関連を考えて覚えられるはずです。

「困難な事は分割せよっ」、これが大いなる目標を最終的に成し遂げるためには重要な下準備なのかも知れません。

4.習慣を変える

あとは今のままで「伸び悩んでいる」訳ですから、「やり方を変える」という必要性があるのかも知れません。

物事に対する考え方が甘いのかもしれません。

ともかく、きっと今のやり方では「頭打ち」の状態なのでしょうから何か打開策が必要な事は間違いない事だと思います。

何気ない時間を有意義な時間へと変更できるように意識する

あなたは「時間がない」と言いながら、有意義な時間を「無駄」にしてはいないだろうか?通勤・通学中、入浴時、就寝前、起床時、昼休憩、等々。

時間とは誰かの為にあるものではなく、「無情にも勝手に進んでいくもの」なのです。

例えあなたが無駄にしようとも、有効活用しようにも、時間はただ不可逆的に一方通行をしていくのみの存在です。

ですから時間が待ってくれないといったような意味で「時間がない」のではなく、誰でも平等に過ぎていくはずの時間を有効活用できていないという意味で「時間が作れていない」のです。

有意義な時間はいつでも作りだす事が出来るのだと思います。

その発想の転換ができなければ今の状況を打開する「覚醒」は見込めない事でしょう。

5.ライバルを定める

具体的な「自己分析」が上手くいかない場合は、比較対象をそのまま「ライバル」いわば「目標」に設定してしまいましょう。

自分の身近な人間を目標設定することで、相手の成長や良い面を学ぶ事ができ、相手も同じ様にあなたを「ライバル視」してくれれば、お互いに「切磋琢磨」しながら成長・向上が見込めるでしょう。

しかし、どの人をライバルと設定するのかは重要です。

あまり自分とかけ離れた人物をライバル視してしまうと、前述の「鹿を逐う者は兎を顧みず」で、小さなしかしとても重要な事を軽んじ、蔑ろにしてしまう恐れもあるので、そこについても「ある程度の客観的洞察」は必要になるでしょう。

同期や、一年二年先輩くらいの人の方が年齢も近いでしょうし、あなたと条件は同じになってくるでしょうから、そういった人物をライバルに設定した方が今後の事も考えて良いのではないかと思います。

ライバルを超えようとすることで覚醒する

人は一人でなにかをやるよりも「誰かと同じ事を競った方が力が出しやすい」と言う傾向があると思います。

これは例えば、「一人で100m走る」のと、「二人以上で100mを競う」のではどちらのタイムがよりよいでしょうか?

相手を意識することで、「ここで諦めたら…」、「あいつに勝ちたい」という気持ちが力に変わり、一人の時では出せないような大きな何かを解放できるようになるかも知れません。

独りで直向きに頑張る事も重要だとは思いますが、それでも「結果に反映されない場合」はやり方が悪い、つまりは「ライバル」がいた方が良いという事なのかも知れません。