CoCoSiA(ココシア)

充実した生活を送るためにやるべき1...(続き6)

自分の充実感を量るとき、ほとんどの人が他人との比較をしているのではないでしょうか今までそうやって充実感を得られていなかったのなら、やはりそれが間違っているということです。

充実感は量るものではなく感じるもの。

自分の中にあるんです。

自分を信じ、自分で自分を好きになってあげて…自分にとっての充実感を追い求めれば、きっと充実した生活も送れるようになるはずです。

人生は充実すれば100倍楽しい

充実感とは、自分が感じるものですよね?

他人から見て、充実しているかどうかという問題ではないし、他人と比較するものでもありません。

筆者の姉が以前、「SNSのリア充投稿を見ると、落ち込む」って言ってたことがありました。

他人のリア充投稿をみて落ち込むのは、その人を羨ましいと思うと同時に、その人と自分を比較しているからです。

もちろん、羨ましい気持ちがあるのですから、その人と同じようなことをすることが、姉にとっての充実感を感じられる事柄になるのかもしれません。

でも実際は、“他人に充実していると思われたい”という気持ちのほうが強いんですよね。

他人に充実していると思われることが本人にとっての充実なら、それもひとつですが…本来それは、ちょっと歪んだ考え方だと思います。

他人にリア充アピールして得られる満足感は、“イイネ”が押されるほんの一瞬だけ。

その投稿が埋もれていけば、あっという間に寂しさに襲われるはずです。

それが嫌で、さらにリア充アピールをする。

充実した投稿をするために、充実している風の行動をする…そんな無限ループにハマってしまいます。

それが本当に、充実感を得ていることになるのでしょうか?筆者には、どんどん心が空っぽになっていくように思えます。

姉の場合でいうと…筆者から見れば、薄っぺらいリア充アピールをする人たちよりも、姉のほうがよっぽど充実した生活を送っているように見えるんです。

本人は気づいていないようでしたけどね。

でも、他人からどう思われたいかっていうことに拘る思考さえなくなれば、自分がいかに充実した人生を送っているかが見えてくるはずなんです。

“充実”をどう捉えるか、自分にとっての本当の充実が何なのか。

それが分かれば、人生今より100倍楽しく生きられるのではないでしょうか?

充実していない人生とは?


一方で、充実していない人生とは何なのか?

簡単に言ってしまえば、“充実感を得られていない人生”なんだと思います。

人生が充実しているかどうかを量るモノサシなんてないのですから、「あなたはこのレベルに達していないから充実していません」「あなたは富と名声を得ているから充実しています」なんて決めることも出来ませんし、他人がとやかくいう問題ではないのです。

ですので、例え生活水準が高かったとしても、寂しさや苦しみを抱えていたり、虚無感を感じているのなら、充実していない人生なのかもしれません。

一方で、生活水準が低くても、充実感を得ている人もいるでしょう。

充実した人生とはなんなのか?それは、他人に聞いても答えは出ません。

他人に聞いたところで、それはその人の主観。

その人が充実する術であって、同じようにすれば充実するとは限らないんです。

つまり、答えは自分の中にあるということ。

自分の周りの世界に“充実感”が転がっているわけではありません。

充実感は、他人に求めるのではなく、自分の中から見つけ出さなければ…いつまでたっても満たされることはないはずです。

と、偉そうに言っている筆者ですが…自分が充実感を得られているかというと、半々といったところでしょうか。

充実感を得つつも、まだまだ自分の人生に不満もあります。

でも、どうすべきかっていうのは見えているつもりだし、その足りない部分を埋めるための人生を送るのもまた、充実した人生だと思っています。

充実感を得るのには、バランスが何よりも大事なんだと思うんです。

筆者を例にすると…やりたいことをやり、常に自分の心と向き合って毎日を過ごしているので、そういった部分では日々充実感を得ています。

ただ一方で、やりたいことを優先することで、生活水準は低め。