聞くと「ああ!」と思ってしまうような教訓がこの世の中にはたくさんありますよね。

若いころには説教臭いと思っていた教訓が、今聞いてみると納得できるというようなものもあるのではないでしょうか。

教訓について調べていると、昔の人の知恵や考え方に頷けることもあり、目から鱗だというものもあり楽しいですよね。

それでは、昔の人の教訓にはいったいどのようなものがあるのでしょうか。

先人の教訓の中には今でも役に立つようなものがたくさんありますから、そうした教訓について見てみることにしましょう。

先人の教訓には深い知恵がいっぱい

教訓と言うとどのようなイメージがありますか?小さなころに教訓を教科書で読んで辟易としていた人もいるでしょう。

老人たちの話に含まれる教訓に対して「説教臭い」と考えていたこともあるのではないでしょうか。

いくつになっても説教されることは嫌ですから、教訓と呼ばれるようなものにはアレルギー反応を持っている人もいるかもしれませんね。

 ですが、教訓の中には先人の知恵がたくさんあります。

これらは、実は普段の生活の中でもとても役に立つものであり、しみじみと身に染みるものもありますよ。

小さなころに説教と併せて聞くような教訓とは異なり、大人になってから見てみると、思わずうなずいてしまうようなものもあるのではないでしょうか。

ある程度年齢を重ねて、色々な経験を積んだからこそ理解できるような教訓もあります。

これらの教訓に含まれる深い知恵を知れば、人生が豊かなものになるのではないでしょうか。

そもそも教訓とはどのようなものなのか、どうして生まれたのか、今の人でも理解できるものなのか見てみることにしましょう。

1. 先人と現代人の違いとは?

教訓がありがたいものだとは言っても、現代人とはやはり違う部分があると考える方も多いでしょう。

もちろん、先人と現代人ではかなり異なる部分も多くあります。

現代人は機械化した世界の中で生きていますし、先人が言葉を残した時代に比べると、とても忙しくて発展した世界の中で生きています。

まして、色々な世界との交流ができるような広い世界の中では、先人の言葉は全く意味がないように思われるかもしれません。

ですが、先人と現代人の間にはそれほどの大きな違いは本当にあるのでしょうか。

生きている世界が少し違うからと言って、その言葉が意味のないものになるのでしょうか。

先人と現代人の違い、先人が教訓を残すうえで持っていたその特性について見てみましょう。

1. 不便から生み出される賢さ

先人たちが生きた時代はとても不便な時代でした。

今は機械が発達して、グローバル化と叫ばれるようになっています。

多くの人が世界との交流をして、日本にとどまらずに世界で活躍するようになってきているのです。

そして、機械化が進みあらゆる場所で便利な仕組みが現れるようになりました。

これは、先人と現代人では大きく異なる部分です。

ところが、だからと言って先人の残した言葉が意味のないものだということにはなりません。

先人たちはとても不便な世界の中で生きていました。

現代人なら暮らすことができないような不便さもあったはずです。

ですが、その世界の中で生きるために見に着けた賢さは、バカにされるものではありません。

不便な世界に生きていたからこそ見抜ける真意というものもあるのです。

便利ではない世界だからこそ自分の頭を使って生きることが大切だった時代の先人の言葉は、今の便利な世界に慣れた人にとっては厳しいものもあるかもしれませんね。

ですが、決して、昔の不便な時代に生きていたからと言って意味のない言葉を残しているということはありませんよ。

2. 人を見つめる目の繊細さ

先人たちはSNSなどが発達していない世界に生きていました。

つまり、人とのかかわりを作るのは手紙か、実際に直接会って会話をするかのどちらかだということです。

ネットという目に見えない世界を介しての出会いがなかった分だけ、先人たちは人との直接のかかわりを大切にして暮らしていました。

自分の生きている世界が、自分が目の前にしている世界だけだとすると、その分だけ人とのかかわりはとても濃いものとなります。

その濃い人間関係、そして直接かかわっている人との関係の中では、人間を見つめる目がとても繊細なものになります。

人とのかかわりに関して人を見る目が育てられ、現代の人よりもずっと細かく、そして敏感に人のことを感じることができていたのです。

それは、現代人にはできないことではありますが、一方で、現代人にとっても必要な「人との直接のかかわり」という面で参考にしなければいけないことでもあるでしょう。

先人が人を見る目はとても繊細であるがゆえに、とても厳しいものにもなります。

その厳しい視線での人間観察から生まれた言葉が、全く違う世界に生きているとは言え、現代人の役に立たないわけがありませんよね。

3. ゆったりとした時の流れから生まれる人生観

現代人はとても忙しい世界で生きているからこそ、あまり自分の人生について考える時間がないのではないでしょうか。

それに比べて、先人たちはとてもゆったりした時の流れの中で生きていました。

ゆったりとしたときの流れの中では、たくさん考える時間を取ることができるでしょう。

その分だけ、人生について深い考察を行うことができました。

ゆったりとしたときの流れの中で生きている人の人生観は、厳密に言えば現代人の物とは異なるかもしれません。

「そうは言っても、この忙しいのに実行なんてできないよ!」と思われるかもしれません。

ですが、その人生観の中には納得してしまえるものもあるのではないでしょうか。

人生に関する深い考察は、今の人ができないことだからこそ、人間の本質をついているものがあります。

忙しい人生の中で、自分一人ではここまで考えることができなくても、本質を突く言葉にハッとすることもあるはずです。

2. 人生は一度切りだからこそ、先人の後悔を知るべき

 先人たちの教訓には、その先人の人生で後悔したことを言葉にしていることが多くあります。

自分の人生を後悔しているからこそ生まれた言葉には深い重みがあります。

誰にとっても人生は一度きりですよね。

人生は一度きりであるからこそ、誰かが後悔したことを自分も公開する必要はありません。

人の人生を反面教師にするというのもおかしな話であるかもしれませんが、誰かの失敗を踏襲する必要はありません。

先人が深い後悔として残した言葉には、人生をより良く過ごすためのコツが含まれています。

その言葉を無駄にするわけにはいきませんよね。

一度きりの人生を後悔なく過ごすためにも、先人の後悔を知っておくべきなのではないでしょうか。

3. 死ぬ瞬間に後悔のない人生を

誰でも、死ぬ瞬間には公開のない人生を送りたいと思っているでしょう。

ですが、何も後悔することなく生き抜くというのは難しいものです。

死ぬ瞬間に最高の人生だったと言うためには、誰かの後悔を教訓として生きなければいけません。

後悔のない人生を送るためには、誰かの言葉を生かすしかないのです。

そんな人生を送るために必要なのは、やはり先人の深い言葉でしょう。

先人の教訓22選

ここでは、先人の教訓をいくつかご紹介します。

忙しい毎日の中で、良く理解できるというようなものも、耳が痛いという教訓も見つかるのではないでしょうか。

子どものころに見て知っているようなものとは違い、人生の酸いも甘いも分かっているような年代になってから見る教訓は、昔とは違った印象で受け取ることができるでしょう。

特に身に染みる、理解してもらえそうな教訓を集めました。

先人のありがたい教訓を見て、何か自分の人生において輝きそうな言葉を見つけられると良いですね。

1. 仕事一筋の人生ではいけない

仕事一筋の人生ではいけない、というのは深い後悔から生まれた言葉のようですね。

確かに、若いうちには仕事一筋の人生を送ってしまうこともあるでしょう。

それは、自分を養うためであったり、家族を養うためであることもありますが、時には仕事が楽しくて仕方がないからと言こともあるでしょう。

今の時代では、ブラック企業に勤めてしまったので、仕事一筋にならざるを得ないということもあるかもしれませんね。

ですが、仕事一筋に生きてしまうと、仕事以外の時間の過ごし方が分からなくなってしまいます。

仕事を辞めたとき、仕事を退職した後、仕事がなくなってしまったときにはもう、どうしてよいか分からないでしょう。

家族のために働いていたのに、仕事を終える年齢になったときにはもう既に、家族との間には埋めることのできない溝ができてしまっていたということもあるようです。

また、そもそも人生の伴侶を見つけることもできずに終わってしまったということもあるでしょう。

仕事は確かに、自分自身を養うために、そして生きがいを見つけるためには絶対的に必要です。

人生のうちの大半の時間を仕事で過ごすのですから、それなりにしっかりと責任をもってしなければいけないことには違いないでしょう。

ですが、一方で、人生が仕事だけと言うのも悲しいものがあります。

仕事一筋に生きて、途中で自分自身に足りないものがあるということに気づいたときの虚しさはあまり考えたくありませんよね。

そんな空しい人生を送らないためにも、仕事一筋ではいけな医と言うこともあるのではないでしょうか。

2. 親孝行を親が元気なうちにたくさんすべきである

親との関係には難しいものもあります。

「親孝行をしたい時分には親はいない」という言葉もありますが、これを自分に当てはめて考えてみると、ちょっと悲しい気分になってしまうのではないでしょうか。

親が生きているときに、素直に親孝行するのは難しいものです。

親との関係が複雑だという方はなおさらそうでしょう。

ですが、自分の人生に後悔をしないためにも、親が生きているうちにきちんと親孝行をしなければいけません。

親孝行をしようと思っても、親が死にかかっている時なら何もできませんよね。

親が元気なうちに旅行に一緒に行くなど、たくさん親孝行をするべきでしょう。

時間を巻き戻すことはできませんから、親孝行をしたいときには既に手遅れということにならないようにしてくださいね。

また、これは少し趣旨が違いますが、親との関係が複雑な方は、親とどうしていきたいのかは早めに考えておくべきでしょう。

「色々あったけれどやはり親孝行は」と思ったときには親が生きていないということもあります。

また、「こんなことになる前に縁を切っておくべきだった」と言うことになってしまうこともあります。

自分にきちんと体力と時間があり、親の意識がはっきりして痴呆になってしまう前に、親とどのような関係を築くのかは決めておきましょう。

逃げているだけでは解決しないこともあります。

3. 自分の身体をもっと労わっていれば良かった

後悔の中でもかなり大きなもののように聞こえる言葉ですね。

自分の身体は若いうちはいたわることができないものです。

多少の無茶をしても身体がついてこれるので、何でもやってしまおうと思えるのではないでしょうか。

ハードな残業も、厳しいダイエットも、過剰な飲酒・喫煙であっても、若いうちにはそのダメージは感じられないでしょう。

ダメージが感じられないからこそ、たくさんの無茶なことをします。

そして、それを後悔するのは、もう手遅れになってしまってからなのです。

若いうちに身体に与えたダメージは、大人になってから訪れることもあります。

また、いつまでも若いと思ってダメージを与え続けていると、いつの間にか加齢で弱った身体が耐えられなくなっているということもあるでしょう。

自分の身体は自分が一番にいたわってあげなくてはいけません。

後悔した時には遅いというようなことがないように、最後までお付き合いをする自分の身体を大事にしてあげてくださいね。

4. 周囲の人に流されずに自分の意見をしっかり持って生きるべき

これは日本人の心にはとても良く刺さる教訓なのではないでしょうか。

周囲の人に流されて生きるのはとても楽ですよね。

和を乱さないようにするのは日本人の特性とも言えますし、自分の意見を持っていてもそれを主張できないこともよくあるでしょう。

主張して周囲から浮いてしまったらどうしよう、などと考えると、何もできなくなってしまう人も少なくないはずです。

ですが、周囲の人に流されて楽に生きていると、結局自分が生きていた意味はどこにあるのだろうと考えてしまう日が、いつか訪れるでしょう。