自覚は、責任と並んで社会人が持つべきもの。

これは、社会人としてのルールでもありますよね。

でも最近、自覚の無い大人が多いとも言われています。

あなたは社会人としての自覚、持っていますか?
「もちろん持っているに決まってる!」って思う人も多いのではないかと思いますが…自覚を持っていると勘違いしているだけになっている人も、中には居ると思います。

筆者も、改めて「自覚持ってる?」って言われると、パッと答える自信がありません。

自覚を持っているつもりではありますが、果たして本当に社会人としての自覚が自分にあるのかどうか…。

社会人になってもう10数年経過している筆者ですが、ここでいったん立ち止まって、自覚について改めて考えてみたいと思います。

皆さんも自分自身を振り返りながら、社会人が持つべき自覚について、一緒に考えてみませんか?

「自覚」を持つことは社会人のルール

先ほどもお話したように、「自覚」を持つことは社会人としてのルール。

なのですが、そもそも自覚を持つってどういうことなんだろう?
改めて自覚について問われると、持っているつもりになっていただけで、実は持っていなかったのかもしれない。

って、自信が無くなってしまう人もいるのではないでしょうか。

社会人になると、責任と同時に持つべきものが自覚なんですよね。

だけど、自覚を持つことって当たり前すぎて、疎かにしてしまいがちな感覚のような気もするんです。

責任は常に問われるものだけど、自覚は、自覚がない行動や言動が表面化して初めて、指摘されるものでもあると思います。

ですので自覚は、常に意識する環境にはないと言えるんですよね。

社会人としての自覚とはどういうものなのか。

自分に足りない自覚はあるのか。

まずは、「自覚」って何?という所から考えてみましょう。

1. 自覚の辞書的意味


まず、言葉の意味から「自覚」を正確に理解していきましょう。

自覚は、「自分を覚(おぼ)える”または“覚(さと)る」と書くんですよね。

この“覚”という言葉は他にも、“さます・さめる”とも読むことが出来ますが、自覚の場合は「おぼえる・さとる」の言葉の意味で捉えると良いでしょう。

この“覚”は、もともとは仏教用語なんだそうですよ。

そう知ると何となく、自覚とは、精神性的な意味合いが強いことも分かりますよね。

“覚”には、「今まで分からなかった道理や意味に気付く」という意味があります。

この意味が、自覚という言葉の根源とも言えそうですよね。

“さとる”という言葉には他に、悟るという漢字が使われることもありますが、“覚(さと)る”と書く場合は主に、感覚や直感のニュアンスになるようです。

ですので、覚える(=自然にそう思える。

感じる)に近い使い方がされる漢字だと認識しておくと、覚えやすいかもしれません。

「寒さをおぼえる」といった場合は、感覚の意味になりますよね!

覚を使った言葉にはほかに、「覚悟・覚醒・発覚・不覚」なども挙げられます。

これらにはいずれも、“さとる・はっきりわかる・目がさめる”などの意味合いがあり、どれも自身の感覚や直感、また精神性を表わしていますよね。

そんな覚の意味からも自覚は、「自分自身について、はっきりと知ること」が主な意味になっています。

ただ、社会人になってからの自覚という意味では、「自分をわきまえること」という意味合いの方が強いんですよね。

つまり、自分の状態(地位・任務・価値等)がどんなものなのかをわきまえるのが、社会人が持つべき自覚と言えるでしょう。

しばしば「責任をわきまえる」なんて言い方がされますよね。

つまり責任も、自覚が無ければ負えないものだと言えるのではないでしょうか。

2. 社会人って、いつから?

子供のころは許されるけど、社会人になれば自覚を持つのがルール。

でも、社会人っていつから?と、子供と社会人の境目が分からない人もいるかもしれませんね。

社会人とは、その名の通り…社会の一員となっている人と言えるでしょう。

もっと詳しく言うと、社会活動に参加し、社会の中で自身の役割を担って生きる人です。

こう考えれば、子供も社会人ということが出来ますが、一般的に子供や学生は除外されています。

普通の流れで言えば、学生生活が終わって就職したら社会人となるでしょう。

ですが中には、学生生活が終わっても就職しない人もいます。

でもだからといって、社会人ではないということにはなりません。

社会に出て働く年齢になっていれば、社会人としての自覚を持つべき立場です。

3 社会人になりたくない人が増えている


社会人となって自覚が芽生え、その責任を全うしながら生きる人がいる一方で、最近では「社会人になりたくない」って言う人も増えているようですね。

社会人の年齢になっているのにも関わらず、どうにか社会人にならない方法を探して悪あがきをしている。

そんな大人たちが多いとか…。

そういう人達は、社会の一員としてその役目を果たそうという、協調性に欠ける人たちと言えるのでしょう。

子供のころから大人になるまで、人は皆、社会の恩恵を受けて育ってきています。

大人になり、社会人になれば、その多大な恩を社会に返していくのがあるべき姿です。

自分の役割を果たすことで、それは次世代の子供たちに還元され、その子供たちが社会人になればまた、その次の世代の子供たちの為に社会を作っていくのです。

そうやって社会は作られ、この流れは次世代へと受け継がれていくものなのですから。

社会人になりたがらない、大人になりきれない大人たち。

責任を放棄する大人たちが増えていけば、社会は崩壊してしまいます。

一定の秩序を守り生きていくことは、社会人としての役割でもあると思います。

4. 社会人になれない人も増えている

ただ中には、社会人に「なれない」という人もいるようですね。

社会人としての能力が欠如していて世の中に馴染めない、一種のパーソナリティ障害をを抱えている人達です。

身体的には大人になっているのに、心は子供のまま…むしろ「子供のままでいたい」と潜在的に思っている事から、ピーターパン症候群とも言われているんですよね。

症候群と言っても精神的な病気という訳ではなく、そういう性質の、特に男性を表わす言葉として使われています。

一見プライドが高くて大人として成熟しているように思えるのに、実は内心傷つきやすくて臆病者。

確かに男性はこういうタイプの人って多いですよね。

今回“自覚”についてのお話をしているわけですが、自覚の無い社会人のイメージとして筆者は、無意識に男性を思い浮かべていました。

何故かというとやはり、「男性は女性よりも精神年齢が低い」ということを実感することが多々あるからなのかもしれません。

ピータパン症候群…よく考えたら筆者の父もこのタイプなのかもなって。

普段は威厳を示しているんですけど、中身には子供っぽさが見え隠れ。

いや、歳をとるほどに隠れていないように思えますね。

甘えが結構強いです。

特に母に対しては。

社会人って、社会に出て働き出せばもう立派な社会人と呼ばれますが、そこに自覚を持っていなければ実は、社会人としては半人前なのでしょうね。

自覚が芽生え、立場をわきまえた行動で責任を果たせてこそ、社会人だと堂々と名乗れるのかもしれません。

自覚を持つとはどういうこと?

さて、自覚とともに社会人って何なのか?についても考えてきました。

筆者は…社会人としての自覚はあるけど、責任を果たせていない。

半人前の社会人といったところでしょうか。

皆さんはご自身について、どうお感じになりましたか?

自覚を持つとは、一言でいえば「自分をわきまえること」となるわけですが、社会人としてはさらに、自分をわきまえた“行動が出来ること”が求められていることになります。

自分を知り、自分のとるべき行動を覚る。

これが、社会人としての自覚であり、自覚したことに添った行動をとることが、責任を担って生きていくことになるのだと思います。

ただ、「自分をわきまえる」って簡単なようで難しいですよね。

自分で捉える自分と、社会で求められるものにはギャップがあるかもしれません。

まぁギャップがあるとしたら、それは自分をわきまえられていないことになるんですが…広い目で社会全体を捉え、自分を客観的に見ることが出来なければ、自分をわきまえることは出来ないんですよね。

社会での自分の立場をわきまえ、自覚を持つということは一体どういうことなのか?
ここからは、もっと具体的に社会人が求められている自覚についてお話していきたいと思います。

1. 社会のルールをしっかり守ること

社会人の自覚としてまず挙げられるのは、社会のルールをしっかり守ることでしょう。

特に日本は、秩序を守る国民として海外から称賛されるほど、皆がルールを守って生きています。

日本人として、これから先も「秩序のある国」と言われ続けるにはやはり、私たち社会人がルールを守って生きていくことが大切になってきます。

これからの日本がどうなるかは、日本人ひとりひとりの行動にかかっているんですよね。

社会のルールには、実に様々なものがあります。

法律で定められたルールから、人がお互いに気持ちよく生活していくための暗黙のルールまで。

罰せられなければ何をしてもいいというものではなく、それはやはり秩序という概念なのだと思います。

私たちは普通、この社会のルールを、成長していく中で自然と身につけていくものです。

だけど中には、自分中心に物事を見ている社会人もいます。

社会全体を捉えることなく、自分のことしか考えられない人は、「社会のルールを守る」という考えも浮かばないのかもしれませんね。

そういう人達が社会の秩序を乱し、住みづらい世の中を作っていってしまうのです。

それに、社会のルールを無視して自分のことばかりを考える人が増えていくと、日本もいずれ犯罪まみれの国になっていくかもしれません。

事実今だって、犯罪のニュースが流れない日はないですからね。

社会のルールは、人々が暮らしやすい生活をお互いに維持していくためのルールです。

居心地の良い世の中を作っていく一員だという自覚をもって行動をするのが、社会人としてのひとつの役割なんです。

2. 他人に迷惑をかけないこと

「他人に迷惑をかけないこと」も、社会人が自覚しておきたいところですよね。

これは、社会のルールのひとつとも言えるでしょう。

自分の行動に責任を持ち、社会全体のことを考えて行動していれば、他人に迷惑をかけるようなことは行動はしません。

そうやって、世の中の秩序は保たれ、暮らしやすい社会が保障されるのです。

社会人としての自覚が無い行動といえば、しばしばニュースになる飲酒運転なんかがそうでしょう。

社会のルールを無視し、結果他人に迷惑をかけるのが飲酒運転です。

迷惑どころか、命を奪ってしまうことさえありますよね。

命を奪いかねない行動をしてしまえる人は、社会人としての自覚を疑われて当然です。

また、車の運転でいうと最近では、高齢者ドライバーによる事故も気になるところです。

飲酒運転ほどのあきらかな悪質さは無いにしても、やはり自覚が出来ていないと言えますよね。

自分の運転能力の低下を自覚できず、他人に迷惑をかける可能性に考えが及ばないことが、高齢者ドライバーによる事故の多さなんだと思います。

筆者の両親もそろそろ車の運転について考えなきゃいけない年齢に差し掛かってきました。

既に遠出は控えてもらい、遠出する時には声をかけてもらっています。

近場の運転はまだまだするにしても、せめて急にアクセルを踏んだ時の制御装置は必要かなと思っている所です。

運転をしたいという気持ち。

運転が必要である環境。

それは確かにあると思います。

社会でのサポート体制の強化ももちろん必要ですが、ひとりひとりが、自分のことより「他人に迷惑をかけないこと」を優先出来れば、きっと運転を辞められるんですよね。

社会人一人一人が持っておきたい「他人に迷惑をかけない」という自覚。

皆さんはどれだけ持てているでしょうか?

3. 自分の言動に責任を持つこと

社会人の自覚を持つということは、自分の言動に責任を持つことでもあります。

もちろん、言動以外に、行動にも責任を持つのが社会人ですよね。

子供の頃なら、自分の感情のまま、思ったままに言葉を発したり、行動をしたりしても許されるところがあったでしょう。

でも成長する中で、自分に責任を持つことを学んでいるはずなのです。

ですので、自分の言葉や行動を、感情に左右されるようでは、社会人としては未熟だということになりますよね。

社会人なら、常に社会全体を捉え、自分自身を客観的にみる感覚を持たなければなりません。

これが出来ないと…一部の政治家さんたちのように、失言問題へと発展していくのでしょう。

特に政治家ともなれば、社会人としての立場とともに、政治家としての立場をわきまえなければなりません。

失言をしてしまうというのは、政治家としての自覚が足りないと言わざるを得ないですよね。

もちろん、政治家じゃなくとも、社会人には誰にでも、言動に対する責任があります。

言ったことはやる!迷惑をかけたら責任をとる!
社会人になったら、全て自分の責任です!

4. 大人らしい言葉遣いをする

自分の言動に責任を持つということは、自分の言葉に常に気を遣っていなければならないということですよね。

となればもちろん、大人らしい言葉遣いをすることも、社会人が持つべき自覚のひとつになります。

自分の発する言葉、そして言葉遣いによって、人への思いやりを示すことも出来れば、逆に人を傷つけてしまうこともあります。

社会人の自覚には、「他人へ迷惑をかけないこと」もありましたよね。

これはつまり、他人への思いやりの気持ちを持つということでもあると思います。

他人への優しい気持ちを持っていれば、他人へ迷惑をかけるような行動は自然と避けられるはずですから。

そういった他人への気持ちは、言葉遣いにも表われます。

冷静で落ち着きのある口調と、丁寧な言葉遣いは、相手を尊重することに繋がり、社会人としての自覚を持った対応となるんですよね。

流行の言葉や若者言葉を使ったり、馴れ馴れしい言葉を使うのは、単に自分を良く見せたいだけの言葉遣いになってしまいます。

慣れ親しんだ友達同士なら構いませんが、社会に出ていっても大人としての言葉遣いが出来ない人は、社会人としての自覚が無いと見られてしまいます。

TPOに合わせた言葉遣いは、相手への気配りでもあります。

社会人としての言葉遣いをしなければならない立場であることを自覚しましょう。

5. 精神的に自立する

社会人としての自覚が持てない人には、精神的に自立が出来ていない人も多いんですよね。

経済的には自立していても、“社会人としての自覚”という点で見ると、足りていないということです。

先程触れた、ピーターパン症候群もまさに、精神的自立が出来なかった人と言えますよね。

世間では自立を、経済的に自立しているかどうかで判断するところがありますが、筆者はむしろ精神的自立のほうが重要だと思っています。

それに、「学生を卒業し、就職すれば安心だ」という表面的な部分しか見られない評価基準が、多くの人の精神的自立を阻害してきたようにも思えるんです。

筆者の親も基本的にはそう。

経済的自立をすることが何よりも大切で、“心”にスポットを当ててくれたことがありませんでした。

もちろん、親自身ももそうだったからなんですけどね。

それによって、筆者の姉は就職して約5年たったある日に、鬱病になりました。

そして、10年は社会に出られずに苦しんでいたのです。

今は社会にも出られるようになりましたが…精神的自立という点では、まだ自立出来たとは言えません。

それに問題なのは、変わらない父の価値観です。

姉に自立してもらうのが父の願いでしたが、その基準はやはり就職して安定収入を得ることでした。

でも、経済的自立を支えるのは、精神的自立なんですよね。

働くことは無理すれば出来る人も多い。

でも継続していくことが何より大事だし、社会のひとりとして役割を果たしていくには、精神的自立が無ければ全うできません。

ピーターパン症候群であろう父だって結局、姉の心の病については、親としての責任を果たすことが出来なかったのですから。

それもやはり、自分が精神的自立が出来ずに経済的自立だけでやってきたからだと思います。

働いてお金を稼ぐという単純な社会の流れ以外のことに対応する能力が、無かったんですよね。

社会人になって自分を支えていくのは自分なんです。

自分で自分を支えられるようになって初めて、自立したと言えるのだと思います。

自分で立っていられる。

そして、支えられる。

そうなることが、社会人としての持つべき自覚なんです。

6. 経済的に自立する

社会人の持つべき自覚として、先に精神的自立を挙げましたが、もちろん経済的に自立することも大切なことです。

今の世の中、お金を稼がなければ生きていけません。

経済的自立を果たさないということは、ずっと誰かの世話になっていくことになります。

つまり、他人に迷惑をかけ続けるということになりますよね。

生計を自分で立てられるようになってこそ社会人。

これは分かりやすい、社会人が持つべき自覚だと言えるでしょう。

もっと言うと、経済的自立をして、働きたくても働くことが出来ない多くの人の為に、経済面での支援をしてこそ、社会人としての役割を担っているとも言えるのではないでしょうか。

社会の一員として経済をまわし、余裕がある人は募金をしたりする。

社会人になるということは、そういうことです。

…と偉そうに言っていますが筆者も、ここまでは出来ていません。

まずは他人に迷惑をかけないようにすることが先決。

でもいつかは、自分の出来る形で社会に貢献できる人になるのが目標です。

7. 会社の不利益になるようなことをしない

社会人とは、学生を卒業して就職するタイミングがひとつの目安だとお話しましたよね。

つまり多くの社会人は、会社勤めをしていることとなります。

そういった会社に勤める社会人が持っていなければならない自覚は、会社の不利益になるようなことをしないということになるでしょう。

政治家が、社会人としての自覚を持つのと同時に、政治家としての自覚を持たなければならないのと同じです。

会社に勤めていれば、その会社の人間としての自覚を持たなければなりません。

会社に勤めている以上は、会社の肩書きを背負っているのです。

何か事件を起こした人をニュースで取り上げる時も、必ずと言っていいほど職業も一緒に紹介されていますよね。

警察官が事件を起こせば衝撃をもって伝えられますし、公務員では無くても「〇〇会社勤務の…」とか、勤め先が分からなくても「無職の」などと職業が付いてまわるのです。

そして、公務員でも企業でも、スタッフが不祥事を起こせば会社が謝罪をしますよね。

自分の勝手な行動であっても、誰かが必ず不利益を蒙り、必ず誰かに迷惑がかかるのです。

先日も、市役所の税務課職員による横領が発覚した事件がありました。

彼は逮捕前にインタビューに答えていましたが、そのへらへらとした態度が衝撃を持って伝えられた事件です。

公務員としての自覚、税金を扱っているという自覚、そして社会人としての自覚。

すべてが欠落している社会人の、分かりやすい例だったと思います。

人は名前を背負い、社会人としての立場を背負い、会社の肩書きを背負い…大人としての責任を背負って生きています。

会社勤めなら、会社の不利益になるようなことをしないのが、最低限のルールだと言えるでしょう。

8. 独りよがり、自己中心的な言動をしない

独りよがりや、自己中心的な言動をしないことも、社会人が自覚として持つべきところですよね。

これまでもお話してきた通り、社会人になれば、広い目で社会全体を捉え、その社会においての自分の立場をわきまえなければなりません。

自分をわきまえていない人がつまり、独りよがりで自己中心的な人と言えるんですよね。

好き勝手に自分のことだけを考えて生きるその本人はいいかもしれません。

でもみんながそうしたら、世の中の秩序は保たれませんよね。

秩序の保たれた世の中でその恩恵を受けているのにも関わらず、自分だけは自分の好きなように行動するなんてこと、許されるでしょうか?
日本人は平和ボケしていると、しばしば指摘されることがありますが、独りよがりな人を生んでしまうのも、平和すぎる日本の負の遺産なのかもしれませんね。

日本の秩序が保たれるようになったのも、先人たちの、これまでの嫌な思いや苦しい思いがあったからだと思います。

もうそんな思いをしないようにと、先人たちが秩序を守ってきてくれたからこそ、今の平和があるんです。

この平和な時代があることに感謝し、守り抜いていくことは、社会人に与えられた使命でもあると思います。

社会における自分の役割が何か、自覚出来ていますか?

9. 家族や大切な人をしっかり守ること

社会人が自覚を持たなければならないのは、家族や大切な人をしっかり守るという点でもそう。

社会全体を捉える視点も大切ですが、もちろん自分の身近にいる人にも目を向けなければなりません。

社会という大きな視点と、個人に関わる狭い世界。

このどちらもをバランスよく見られるのが、社会人であるとも言えるでしょうね。

社会での枠割を果たしていくためには、まず自分のことに責任を持たなければなりません。

自分には関わってくれる大切な人たちがいて、そこにも小さな社会が存在します。

その社会での役割は、支え合い守ること。

その社会での責任を全うしてこそ、もっと大きな社会へと目を向けることが出来るのだと思います。

家族や友人などの大切な人達で作られる社会は、きっと誰でも身近に感じられるし、大切にしよう。

迷惑をかけないようにしよう。

守っていこうって、自然と思っているはずですよね。

その気持ちを持って社会全体を見れば、おのずと自分がどういう立場なのか、どんな役割を果たすべきなのかも自覚出来ると思います。

筆者の場合、結婚もしていなくて子供もいません。

ある意味、この少子化の日本で、女性としての役割は果たせていないかもしれません。

でもそのぶん、友人の子供の成長は大切に見守っていこうという気持ちがあります。

何かあったら、いつでも助けになりたいと思っています。

それに、こう思うようになってからは、世の中の子供たちを大事にしたいという気持ちも強くなりました。

子供がいない分、他人の子供も他人という感覚では無いんですよね。

社会全体で見守っていくべき宝物のように思っているんです。

そんな私が出来る事と言えば、生活が苦しい家庭への資金援助とか、事故や育児放棄等で親がいない子供たちへの支援ですよね。

今は自分のことで精一杯ですが、いつかは社会人として、子供を産まなかった女性としての責任を果たすことを目標にしています。

10. 自己管理や健康管理をしっかりすること

そして、自己管理や健康管理をしっかるすることも、社会人が持つべき自覚と言えますよね。

子供のころは、親が健康管理等をしてくれていたでしょう。

でも社会人になったら、自己管理や健康管理は、全て自分の責任の上で行わなければなりません。

何をするにも身体が資本ですから、健康管理も社会人が自覚を持って行うべきことなんです。

病気になっても困るのは自分だけ…とはいかないのが社会人。

家庭を持っていれば、それは家族にとっての大きなダメージです。

仕事をしているなら、会社やお客様に迷惑をかけてしまうかもしれませんね。

もちろん、しっかりと健康管理していても病気になる時はあります。

それは仕方が無いこととも言えます。

でも、自己管理をしっかりと行って、規則正しい生活やストレスの無い日常を送り、健康管理もしっかりやっておけば防げる病気も沢山あります。

自分のことを自分で責任を持ち、しっかり管理すること。

これは社会人が持つべき自覚の基本とも言えるのではないでしょうか。

自覚をもつことは、社会人としての責任です!

さて、今回は社会人としての“自覚”について考えて気ました。

自覚を持っているようであっても、実は持てていない未熟な社会人が、実に多いものだと思います。

自覚を持たないということは結局、他人に迷惑をかけ、誰かを傷つけることになるんですよね。

それに社会人ともなれば、自覚を持たない人は、その人柄も家柄も疑われることでしょう。

「親の顔が見てみたい」って、筆者は昔は分からなかった感覚ですが、今は自然とこう思ってしまうことがあります。

「成人したら親は関係ない」という意見もあるけれど、成人するまでに親の責任を果たしていなかったら、やはり親の責任はゼロではないと、筆者は思うんです。

あまりに社会人としての自覚が欠落した人に出会うと、どうしたって「なんでこうなった?」という疑問が沸いてきます。

つまり、「どうやって育てられたらこうなるんだ?」っていう疑問ですね。

もちろん、親は社会人としての自覚がしっかりある人でも、子供も順調に自覚が芽生えるというわけではなく、環境によっても変わってくるでしょう。

でも理解出来ない人に出会えば、その原因を探りたくなるのが人というものなんですよね。

社会人になっても自覚が持てないままでいると、自分よりまず、親が批難の対象になるということ。

さらには周囲にいる人達も、その人柄を疑われるということ。

これは最低限、自覚しておいた方がいいことと言えますよね。

社会人としての自覚。

改めて、しっかりと持っておきたいものですね。