一時流行りましたよね、「自己中」という言葉。
あなたジコチューといわれるとショックです。
でも誰でも生きている限りその人なりに自己中なのではないかなと思います。
自己中、つまり自分中心でないと生きていけないじゃないですか!と思うのですがどうでしょうか?他人中(タニンチュー)なんて人生嫌ですから。
ただ、そうはいっても世間一般にいわれているのは人から嫌われる自己中、人をゲンナリさせる困ったチャンの自己中です。
私の周りに以前、本当に困ったチャンの自己中人間がいました。
周囲の人は話をしていてもイライラするし、腹は立ってくるしで、疲れるといってみんな相手にしなくなっていきました。
私もそうだったのですが、あるときふと、自分の中にも同じ要素はないだろうか?と思い始めたのです。
自分のことを考えてみれば、表面に出してはいなくても似たようなところがあるのではないかと考えてみると、人のことはいえないなというのが本音でした。
ただ、一歩引いて自分自身を見つめることができるから、上手く抑えられているだけなのかもしれないと気づいたのです。
心理学的にいうと、「投影」とか「投影の引き戻し」なんていうらしいですね。
自分の中にある嫌な部分を人に投影して相手を嫌いになったり非難したりしてしまうということです。
とはいえ自分が悪かった、自分の投影で相手が自己中に見えていただけなんて大人らしいことはいいません。
今は自己中というのはどういう人なのかということを書いているのですから。
大人になるということは自分が自己中であることに気づき、誰しも自己中で生きて行きたい他の人と生きて行くということでもあるのだと思います。
大人になってもそういったことを理解せず自己中のまま生きて行こうとするようなやっかいな自己中人間と共存するためにはまず自己中がどういったものなのか把握する必要があると思っています。
️自己中な人の特徴26個
基本的に嫌われる自己中な人の特徴ってどういったものでしょうか?
自己中な人の特徴を26個上げてみました。
自分が1番じゃないと気が済まない
自己中は基本的に自分が一番じゃないと気が済まない人ですね。
こういうとどんなに人より優れている人なのかと思いますが、人と比べて優秀なところが多くて自己中な人ももちろん多いとは思いますが、決して人と比べて優れたところが少ない人で自己中な人も多いから驚きます。
それではなぜ自分が1番じゃないと気が済まなくなるのでしょうか?1番になるところがいったいあるのでしょうか?という疑問が生まれますが、その人なりに1番だと思えればいいようです。
たとえば誰かが話をし始めたとします。
仮にAさんとします。
Aさんは昨日あったことを基に自分の体験談を話し始めました。
それを聞いていたBさんはAさんの話を最後まで聞くことができません。
自分も同じような体験をしたことがあったからなのですが、Aさんの話の腰を折って自分の話にしてしまいました。
そこから30分くらBさんの独壇場です。
楽しい話だったのでそのときは場も盛り上がり良かったのですが、そういったことが毎日毎日続けば、誰もがBさんと会話をする気がしなくなってきました。
Bさんにとっては、自分の体験が1番であって欲しいのです。
そして、その場において1番面白い話をするのは自分であって欲しいようです。
自己中な人は、会話するということにおいても、自分中心でなければいけないと同時に、自分の話が1番盛り上がりたい、この場では自分の体験が1番だとみんなに認めて欲しいという、すべて自分が1番ということが優先されるのですね。
もちろんお金や持ち物、洋服、学歴、仕事、成果なども自分が1番でありたいとがんばる自己中の人もいっぱいいますね。
それなりに頑張るので成果があがるようなのですが、周りの人はちょっと疲れます。
賢い人は自己中人間を上手く1番にしたてておいて、自分は蚊帳の外で生きていけますが、どうしてもつられて張りあってしまうという人も多いのではないでしょうか?
あの人は自己中だからと、ほうっておけばいいものの、イライラすることがあるかもしれませんね。
人を下に見ている
自分が1番だということは自分が上で在りたいということですよね。
それは人を下に見たい、見ているということに他ならないと思うのです。
本来人間に上下はないはずです。
でもそれは理想論です。
無意識にあの人は自分より頭がいい、自分はあの人より仕事ができるなどと、人は自分と人を比べてしまう生き物かもしれません。
自己中人間はそれが顕著に表れている人間ですね。
本当に自信のある人は自慢も卑下もしません。
それはどうしてかというと、自分というものの本質に自信があるからです。
持ち物や容姿は自分の本質ではないということを知っているからなのでしょうね。
いわば洋服のようなもの。
そう考えると人を下に見て、自分の方が上だと思う人はむしろ自信がない人ということです。
人を下に見る人のことは「ああ、自信がないからああなのね」と思って見ていればいいようなものなのですが、そうはいっても人を下に見る人のことを敬遠したくなるのは人として自然なことです。
自分が下に見られるということは気分のいいものではないというのは仕方ないことですね。
プライドが高い
要するに自己中人間はプライドが高いのですね。
些細なことでも人に負けたくなくて、自分が人の上でないと気が済まないのですから。
でもこのプライドというのはいったい何なのだろうと思うことがあります。
自分が気にしている部分にだけはプライドが高い人っていますよね。
自分の容姿に異常なこだわりを示すF子は、いつもメイクをばっちり決めて、洋服も毎日ありとあらゆる趣向を凝らし、美しく見られるということに余念がありません。
同僚が新しい洋服を買ったという話をしようものなら、自分もといってネット注文するのです。
何をそんなに人と張り合うことがあるのだろうかと不思議に思っていると、自分はどんなことでも人に勝たなくては嫌なのだとはっきり言いました。
自分のおしゃれには余念のないF子は家事一般がまったくできないのです。
料理、掃除、片づけなどはまるでだめ。
洗濯は洗濯機がやってくれるといっていましたが取り込んだり、取り入れた洗濯物をたたむことは嫌いなため、家族の人にやってもらい、アイロンかけはしたことがないといっていました。
そういったことができないのでアイロンをかけなければいけない洋服は着ない、買わないようですが、見ていると背中のところがしわくちゃになったブラウスを着ていることがありました。
まあ、世の中にはいろんな人がいて当然です。
主婦であるF子の夫がそれでいいというのであれば他人がとやかくいう必要は何もありません。
家事よりもっとF子には大切なことがあるかもしれないし、代わりに誰かがやってくれる生活はうらやましいともいえます。
ただF子が周りの人から自己中だとうっとおしがられたのは、そういったことを隠して、家事をやっている、料理をしているということをアピールしだしたからでした。
同じ主婦であれば、料理をしているのか、家事をしているのかなどは、一緒に働いていればわかるものです。
そもそもF子は最初は自分で「家事はしていない」と周囲に話していたのですから、周りもそう思っていました。
そしてそれをとやかくいうものなどいなかったのです。
ところが、お料理上手な人、掃除大好きな新人さんが同じ部署に入ってくると急に家事は完ぺきにやっているということをアピールし出したのですから、周囲の人が驚くのも無理はないですよね。
女性で主婦で家事をやっていないというのは確かに少々恥ずかしいかなとは思いますが、最初は自分でも、そうなんだといっていたのですから、そこから「家事は完璧にやっている」という変化はかえって周囲の人に不信感を抱かせる結果になってしまいました。
誰もがどうしてあそこまでへんなプライドを持つのだろうかと不思議に思う自己中でした。
空気を読めない
自己中の人はプライドが高くて、自分が1番でないと気が済まないのですから、周りのことがよく見えているのかと思いきや、まったく空気が読めないのです。
ここでこんなことをいうとかえって自分の評価が下がるにと思うことを平気でいうときがあります。
今この場所ではこういうことをしてはいけないという考えより、その場その場の自分の感情が優先してしまうのでしょうか?
誰でも性格上の欠点は持っているものです。
空気を読んでうまく隠したり抑えたりしながら周りとの折り合いをつけて生活しているのですが、自己中の人はそれができないのですね。
相手の気持ちを考えない
空気を読めないということは、その「場」のことだけではなく、人の気持ちを考えないということにもつながりますね。
こういうことをいったら相手はどう思うか、どうなるかということが考えられないので周囲から敬遠されることになります。
わがままである
ひとことでいうと「わがまま」ということにつきるのでしょうね。
我がのままに行きたい、つまりわがままです。
あまり説教臭いことはいいたくないのですが、わがままは自分自身に対してだけ出せばいいと思っています。
自分がいま何を欲しているか、自分はどうしたいかという声を聞く、そういったわがままで在りたいなと思っています。
声を聞くだけじゃつまらない。
わがままは聞いてもらわなければ意味がないと思われるかもしれませんが、案外そうではないのです。
もちろん聞いてもらえる限り聞いてもらいます。
というか自分自身に対してなので、わがままをいうのも聞くのも自分です。
自分のわがままを認識して、聞けるわがままと聞けないわがままを見つめられたとしたら、本当の自分の欲求が鮮明に見えて来そうに思います。
自分の欲に素直
わがままということは結局、自分の欲に素直だということですね。
それ自体は間違っていないと思います。
ただ、人へとそのわがままを向けつづけたとき、人は愛想をつかし結局自分の首を絞めることにもつながるのではないでしょうか?
自分の欲に素直に生きることは幸せなことです。
でもあまりに人の迷惑になることって、いつかは自分に跳ね返ってきそうで怖いです。
堂々と悪口を言う
自分の欲に素直だということは、物欲だけでなく自分の気持ちを表現することに対してもあらわれてくるので、人の悪口を堂々という自己中がいます。
自分が悪口をいわれたくなければ自分も人の悪口をいわない!ということがはある意味真実ですね。
自己中の人はそういうことをわかっている人もいるし、何も考えずに悪口をいいます。
不思議なことに自分がコンプレックスをもっている部分を攻撃することが多いですね。
容姿へのなみなみならぬこだわりを持つF子は実は自分の容姿の欠点が気になって気になって仕方がないといっています。
それなら人の容姿は放っておけばいいのに、悪口の第一声はいつもといていいほど人の容姿です。
文句や不満が多い
自己中の人は悪口が多いだけでなく、こまかなことへの文句や不満が多いです。
文句タラタラ、気にいらないことだらけのようです。
いつも何かに不満を抱えているかのように見えます。
コップに水が半分も入っていると思うのと、水が半分しかないと思うのとの違いですね。
ある自己中な人は自分の中にもともとある怒りの感情をどうしても処理できないでいます。
おおもとは自分の両親への感情なのですが、自分では気づいていません。
右を向けば右にいる人に腹を立て左を見れば左にいる人への不満が募るのです。
不満を抱きながら人は幸せにはなれないですね。
そんなこといったって不満な出来事や不満な人がいるから不満なんだと反論してくるでしょうが、反対だと思います。
不満を持つから不満が出て来るのです。
ズケズケと聞いてくる
人にはプライバシーというものがあってどんなに親しい間柄でも聞かないほうがいいなと思うことってありますよね。
聞かれたら正直な人は話をはぐらすことに申し訳なさを感じて、精一杯答えようとしてしますものです。
普通はその様子を見たり、なんとはなしに聞いてはいけないことだったのかもと思いそれ以上突っ込まないようにするものですが、自己中の人にはそんな配慮が見当たらなくて困ってしまいます。
でも1つ発見したことがあります。
プライドが高く、自分が何でも1番でないといけない自己中のF子の同僚J子(主婦)にはどうも人知れず交際している男性がいるらしいという噂が立ったのです。
私もJ子の様子を見ていると、恋人がいるんじゃないかなと感じることがありました。
その話に及ぶと、F子はいっこうに信じないのです。
好奇心旺盛で何にでも首を突っ込むはずのF子にしては珍しいなと思っていました。
私はむしろF子が自分のほうから詮索しはじめるかと思っていました。
そのとき気づいたのは、自分が何でも1番でないと気が済まないプライドが高いF子だからこその態度なんだなということです。
つまり、くやしいのです。
同じ主婦同士のプライドとでもいうのでしょうか?おしゃれに余念のないF子ですから主婦であっても男性の目を意識して、恋人の1人くらい欲しいと思っていたようです。
それなのに自分より地味なJ子に恋人がもしいたらと思うとくやしい。
それが本音でしょう。
私たちが「J子さんは交際している男性がいるみたい」という話をし出すと、1番にF子が「そんなことないと思うわ、J子さんには彼はいないわ!」と否定の言葉をいい放ちます。
ズケズケ聞いてくるという自己中ですが、「何でも自分が1番でないと気が済まない」「プライドが高い」ということが優先順位1位と2位にくるのでしょうね。
ルールを守れない
自分の欲求に正直なのでルールを守れないのです。
何が何でもルールーが最優先というのもどうかとは思いますが。
またまたF子の話なのですが、F子は時間通りに集合場所に行くということがほとんどありません。
職場のある食事会の待ち合わせが夕方の6時でした。
いつもだいたい15分から30分遅れで到着します。
一説によるといつも最後のほうにやってくる人というのは目だちたい人だそうですね。
最後に入ってくるとみんなの視線がパッと集まるからでしょうか?F子もそうなんだろうなといつも見ていましたが、あるときお食事会だというのに、集合直前にパフェを食べて来たというのです。
「えっ!?これから美味しいお食事いただくのに?」、みんな唖然としてしまいました。
なにやら、お得意先との接待でランチを共にした後パフェを食べに行こうと自分から相手を誘って行ってしまったというのです。
それでお食事会にも40分もの遅れでした。
一時が万事そんな感じで、周囲が疲れてしまいます。
約束を平気で破る
そのときF子は40分遅れでもなんとか食事会場に到着したので、よかったですが、結局行けないとなった場合は、電話連絡をしてきて、「今日は行けないわ」ということになってしまいます。
約束を守るということよりそのときの欲求が優先なのですね。
自己中でない人は、約束を平気で破るということに対する自分の評価が下がること、相手に迷惑をかけることに対する申し訳なさで自分の気持ちが憂鬱になることのほうをマイナスとしてとらえるのではないでしょうか?
常識を知らない
常識をしらないのかもしれませんね。
自己中の人で、最初はとても常識知らずだったのが、少しずつ仕事を通じて失敗を重ね、叱られ、恥をかくことを繰り返すことで、常識を覚えて行ったという人がいます。
その人は私と同様、自己中の人を見ると自分の中にも似たような部分があるかもしれない、ただそれを表面に出すか出さないかだけの違いかもしれないと内省できるまでになったといいます。
常識を知ることで自分を見つめることができるのかもしれませんね。
我慢ができない
自分の欲望に正直であっても、なんでも自分が1番でないと気が済まなくても、我慢をして周囲との折り合いをつけるのが当然だと思うのですが、自己中のひとは最後の砦である「我慢」ができないのでしょうね。
自己中人間は我慢ができないので、なにかとうるさいです。
うるさいから、うっとうしくてついつい周囲もいうことを聞いて上げます。
そうするとますます我慢をしなくなるという悪循環が起きるようです。
協調性がない
我慢ができないということは協調性がなくなります。
誰でも自分の思う通りにやりたい、生きていたいと思っているのに、一人だけ我慢ができないとなると周囲との協調は難しくなってしまいます。
話を聞かない
多くの人が自己中人間のことを毛嫌いする理由の上位に上げる中で、「人の話を聞かない」ということがあります。
人の話を聞いている間、聞いているふりをしているのです。
それもほんの少しの時間です。
人の話をきいているふりをしているとき何をしているかといえば自分の話を考えているようです。
自分の話ばかりする
だって、こちらが話終わったと同時に、間髪入れずに自己中人間は話を始めるのですから。
そうして始まった自己中人間の話は永遠に続くかと思うほどです。
ここでまたまた1つ発見しました。
自己中人間の気分や、精神状態が良いときには人の話を聞く時間が長くなるのです。
ようするに自己中人間は慢性欲求不満なのでしょうか。
満たされないと自分ばかり「ねえ、聞いて聞いて」ってなるのかもしれませんね。
ただしこれには多少のメリットがあることにも気づきました。
自分の話をしたくないとき、こちらに隠しごとがあるばあい、自分の話ばかりする自己中人間はこちらのことを聞いてこないので助かります。
人の目が気にならない
人の目が気にならないのでしょうね。
自分がいまこんな状態だと恥ずかしいという考え方をしていないなと思います。
人の目が気にならないというのはかなりの長所になり得るとは思うのですが。
他人からの悪評に気づかない
人の目が気にならなければ他人からの悪評に気づけませんよね。
そもそも自己中というのはそういうことですね。
恥ずかしい、おかしいかもしれない、ということへの意識が少ないのでしょうね。
感情のコントロールができない
人の目や他人からの悪評を気にする以前に自分の感情に振り回されてしまうので、そちらでいっぱいいっぱいになってしまっているのでしょう。
感情のコントロールができていないのです。
自分を棚にあげる
家事をしないできない、でも周囲に家事上手な主婦がいると負けたくない自己中F子は、その後家事ができない後輩が職場にやってくると、まず最初に後輩の家事の腕前を批難し始めました。
「お弁当を持ってくれば家計が助かるのに」「スカートにアイロンがかかっていない」
開いた口がふさがらないというのはこのことです。
自分も家事はできないといっていたくせに、途中から家事自慢ともとれるような話をしだしたかと思ったら、今度は他人を批難ですか?
価値観を押し付ける
結局、家事ができるできないという事実は横に置いておいて考えてみると、そのときそのときのF子にとって良いこと、正しいと思えること、自分のそのときの価値観に基づいて主張したり非難したりしているのでしょうね。
意見を貫き通す
自分の意見が正しい、やっていることが正しいという思いが強いので貫き通します。
もしかしたら自分でも正しいと思っているのではなく、正しいと思いたいだけなのかもしれませんね。
みんなで決めたプランにケチをつける
一番困るのはみんなで決めたプランにケチをつけることです。
なぜなら、自分が決めたいから、自分が一番になりたいからです。
人が決めるということが許されないのかもしれないですね。
プランにケチをつける裏には、決めた人たちより自分が上という傲慢さがあるのです。
場をわきまえない
ケチをつけるにもルールがあると思うのです。
みんなのためになるケチなら周囲も納得してくれます。
でも自己中人間は場をわきまえず自己主張するのです。
そしてなにより自己中人間かそうでないかは身なりに現れると感じています。
昔、ボロは着てても心の錦という歌がありました。
若い人はしらないでしょうね。
今は、人は見た目が9割、人は見た目が100%などという本も出ています。
昔と今で、人が変わってしまったわけではないのですが、観点が違っているということなのだと認識しています。
自己中人間のおしゃれには、自己中が存分に発揮されているのをみるにつけ豊かになった現在では着ているものがみすぼらしいとか、豪華だとかではなく、身につけるものは自分を表現するもの、代弁者だという自覚が必要だと感じます。
自分が着飾ることに余念がないF子ですが、わざわざ自分を醜くしたいのだろうかと思うような洋服を身に付け、素顔を隠したメイクをします。
目立つということが最優先なのでしょうね。
TPOという言葉はF子には無縁なのかもしれません。
TPOを考えない身なり
おしゃれで一番たいせつなのはTPOだと思います。
似合うかどうかの前に、着たいかどうかの前にTPOに沿った装いが大切だということは自己中では考えられないことなのでしょうね。
人を見た目で判断してはいけません、とはよくいわれることですが、人を差別するのではなく、その人となりの在り方を認識するうえで身なりは大切な判断材料なのかもしれません。
正確にいえば、身なりそのものではなく、その人が世界をそう見ているのかということ、その場にいるときその人がどういう存在の仕方をしようとしているのかということが身なりに現れるかもしれません。
F子はその場で自分がいかにきれいに見えるのかということが最優先です。
女性としてそれは悪くはないとは思うのですが、いかんせん「場」がどういう場なのかという理解と、場と自分との一体感が欠落しています。
タイトスカートをはいて似合っていると自負していると、極端な話ハイキングにでもタイトスカートをはきかねません。
️自分が絶対正義な自己中な人!
自分が絶対正義、とゆずれない自己中な人の被害にあっているひとは案外多いようですね。
誰でも自分が一番可愛くて、自分がこれがいいと思うからこそ、言動するわけなんですが、その中に自分の弱い部分や至らないところがあるという可能性を見いだせないのですね。
自己中な人を見ていて気の毒になることがあります。
生きづらいだろうな、しんどそうだなと思うのです。
自己中な人は決して幸せそうじゃないです。
幸せでないから自己中になってしまっているといっても間違いではないですね。
上手く距離をとって受け流そう
決して幸せではない自己中な人とどうやってつきあっていけばいいのでしょうか?
私は自分のことを自己中だとは思っていません。
もしかしたらもっと若いころは自己中だったかもとは思います。
でも自分の周りに自己中な人がたくさん集まってくるような気がするのです。
これって投影でしょうか?もしかしたら自分の中の自己中な部分が溶けだしている過程の中で、これでもか、これでもかという具合に自分の自己中さを見せられているかもしれないと思うほど自己中人間が多いのです。
反面教師としてありがたく受け止めたいと思っています。
自己中人間との付き合いは、とにかく最初から近づき過ぎないということに尽きると思います。
上手く距離をとって受け流さないといけないですね。
近頃は、イメージングするようにしています。
自己中な人と自分との間にバリアーを敷くような感じのイメージです。
効き目はどうかはわからないですが、精神衛生上いいようです。
自己中人間は出会いのとっかかりが陽気そうに見えたり、行動的だったりして一見魅力的に見える人が多いです。
自己中なので人を引き込む力も強いのかもしれませんね。
基本お人よしの私はついついのせられるというか、絡まれてしまいがちでした。
うっとうしい自己中人間のおかげで自分の中の冷ややかな部分、厳しさをもっと成長させていかなくてはいけないなと反省する毎日です。
️要注意人物な自己中な人でした
自己中人物はなにかと要注意人物であることに違いはないのですが、こちらを成長させてくれるというありがたさがありました。
出来得るならば最初から関わりたくないと思っています。
私が自己中人間と知り合ってから、ああこの人は要注意人物だなとはっきり認識するまでに、結構な時間がかかりました。
1年半以上でしょうか。
それってかなり気づくのが遅いですよね。
お恥ずかしい限りです。
そして今の課題は、この人が自己中な要注意人物だと気づくまでの時間をいかに短くするかということです。
なぜなら、最初は自己中を隠している場合があるからなのです。
それはそうですよね。
私たちは初対面で自分の欠点や弱点を相手に見せることはあまりしないですからね。
私は自分では人を見る目があると思っていたのですが勘違いだった知ることもできました。
うっとうしい自己中人間は人を成長させるという最大の長所を持って生まれてきたのかもしれませんね。
そう思うと自己中人間に対して感謝の念さえ湧いてきます。