みなさんこんにちは。
突然ですがみなさんは「モンゴル」についてどんな印象をお持ちですか?「力士」を思い浮かべる方は多いのではないかと思います。
朝青竜や、白鵬、日馬富士などなど日本の大相撲を盛り上げてくれる「ヒーロー」のような方が日本国内では多いですよね?
しかしこの「モンゴル」。
実は先の東北の震災のときには「1日分のお給料を役所の方々みなさまが出しあってくれて」、約1億円ほどの義援金を被災地に届けて下さったんです。
モンゴルのみなさん、本当にありがとうございます。
このように意外に「親日派」が多いモンゴル。
今回はこの「モンゴルの人々の歴史や特徴」をまとめていき、皆さんの知らない「モンゴルのこと」についてさまざまな点をごようかい出来ればなと思います。
ではいきましょう。
モンゴル人とは
まず単に「モンゴル」と言っても実は2つの国に分かれている事を皆さまはご存知ですか?日本人はあまりモンゴルに対し関心がないように思います。
現在、モンゴルは「北モンゴル」と、「南モンゴル」の2つに分かれています。
北モンゴルは独立しており国名も「モンゴル」と名乗っております。
それに対し「南モンゴル」はというと現在「中国の領土」として数えられ、中国側からの呼び名はそれぞれ独立国を「外モンゴル」、領土内の区域を「内モンゴル」と呼んでいます。
もしかしたらこちらの呼び方の方が聞き慣れている方は多いかもしれませんが、この記事では「北・南」を用います。
冒頭で話した「東北震災の義援金は北モンゴルの方々」が下さったものです。
モンゴル人の歴史
少しだけこの「北モンゴル」、「南モンゴル」についてお話していきましょう。
どうしてモンゴル人に「親日派」が多いのかをご説明しておきたいところでもございますので。
そもそも初めは「モンゴル」は一つでした。
「チンギス・ハーンの帝国時代」のことですね?しかしその帝国時代も終わりの時がやって来ました。
モンゴル崩壊を機に、「チベット仏教勢力」と同じくして中国の清朝に吸収されてしまったんです。
この「清朝」とは満州で建国された中国最後の王朝のことです。
しかし、この清朝も「アヘン戦争敗北以降」、国内情勢の悪化に伴い「中国分裂の危機」におかれてしまったんです。
このことを受けて清朝は「諸外国の脅威に備える為に軍備拡大」を指示しました。
しかしそれは逆に「クーデター」を起こすきっかけに成ってしまい、清朝政権に反旗をひるがす「革命軍」が組織されてしまう事に成ります。
その後中国国内の民意を得た革命派が選挙に勝ち、清朝政府は事実上崩壊、これを日本の教科書でも習ったであろう「辛亥革命」というんですね。
この革命派は「漢民族」と言われる種族で、今もなおこの漢民族の体勢が中国で続いていますので、現代の中国史では全てこの「漢民族目線」で歴史が語られています。
つまり現代の中国は「一人称が漢民族」ということですね。
そしてこの辛亥革命に伴い、中国の支配体制を恐れた現北モンゴルがこの時逃亡、事実上満州にあった南モンゴルと分断が起こったんです。
この時逃れた北モンゴルは今のロシアと友好関係を築きました。
いわゆる「兄貴分」ですよね?
そして辛亥革命後の新中国政権も分断しかけていた「中国を統一」することはままならず、その半端な体勢のまま、あの「日露戦争」が勃発してしまうんです。
結果はみなさんも知っての通り、「日本の勝利」。
ジリ貧だった感はありますが、勝った日本はここで現ロシアとある密約を交わしていたと言われています。
「北はロシアで、南は日本」、コレ何の話しだかわかりますか?もちろん「モンゴルの領土」の話です。
北モンゴルをロシアが、満州のある南モンゴルを日本が統治するといった密約だったと言われているんですね。
こうして日本は満州を一大拠点として満州国の鉄道を始め、ありとあらゆる技術を投入し続けました。