「勝負を重んじる」からこそ、「無駄な争い」は絶対にしないのです。
それをしても何も意味を成さないのは歴史が証明しています。
死力を懸けた「勝負」と、無為な「争い」についてはきっちりと「差別化」が図れているんですね?ですから普段はとても温厚で、争い事に対しては嫌悪感を以って自制できる面があるんです。
喧嘩にならなければ温厚
ですので、モンゴル人は「怒らせなければ」良い人ばかりです。
しかしいくら温厚でも、人間なので怒る時は怒るでしょう。
自分の家族や、友人、恋人をけなされたり、陥れられたりする場合は、モンゴル人の屈強な剛腕が首元まで落雷のように振り下ろされる事でしょう。
こうなればヤル事は「ジャパニーズ・トラディショナル・土下座」しかないですね?ふざけるのは絶対に辞めましょう。
3.時間にルーズである
モンゴル人は元々、「遊牧民族」ですので、基本的に太陽の動きを見て大らかに生きてきた民族です。
そのため、日本人に比べれば時間にルーズな面はあります。
しかしここで注意すべき点は、「日本人が時間に厳しすぎる」という民族性がある事は忘れてはいけません。
確かに社会を生き抜いていくためには「時間の管理は必要」です。
時間の管理をする事でいろいろな事象が円滑に回っていくのです。
そう考えると、時間厳守は社会人の常識のように思えます。
しかし日本社会の常識とは言えても、国際的な常識とまではなっていない部分もあるのです。
日本人の場合、電車が定刻よりも何分遅れればそれを「遅延」と感じるかというと、よく「1分でも遅れれば遅延と感じる」と言いますが、実は「15秒でも遅れれば遅延」と感じるというデータもあるようです。
さらに「韓国が3分」、「ドイツが15分」、「イギリスが25分」から遅延とそれぞれ感じるようです。
モンゴルの場合、鉄道の遅延認識の時間は調べられませんでしたが、それの答えに近いことを次にお話しします。
時間を厳守するという概念がない
モンゴルの場合、時間間隔の最小時間は「おおよそ30分」であると言われています。
というのもモンゴルの言葉では元々時間を表す時に「30分よりも少ない時間を示す言葉がなかった」のだと言います。
もしそれが本当ならば、時間的感覚を考える際、「30分以内の感覚・認識」がないことになり、待ち合わせなどをしても、30分遅れはザラだという事に成ります。
実際、モンゴルに旅行に行った方のブログ等々を見ると、「待ち合わせ時間から30分以内に着けばセーフ」という表現は良く見受けられるモノに成ります。
でも決して「モンゴル人が時間を軽んじている」訳ではありません。
今まで時間というものに対して、そこまで注意深く生きていく必要性がなかっただけです。
むしろ時間よりも、仕事がきちんとできるか?家族を守られるか?などのような他のことについて考え注意しておくことの方が重要だったのでしょう。
それに普段から頻繁に「危機的状況」が起こった訳でもないのなら、時間的感覚が大らかの方が「集中力が続いたり」、「ストレスが溜まらずに長い時間を仕事に充てられる」という事もあるのかも知れません。
4.怠け者な人が多い
かといって日本人からみればその事が「怠け者」的に見えてしまう事もあるかも知れません。
しかしこれももしかすると「日本人が学ぶべき発想」なのかも知れません。
日本人は度々、「頑張る事を美徳」として捉えがちな部分があると思います。
「死ぬまで働け」みたいなことです。
確かに「人生において頑張る事はとても重要な事」です。
頑張る事を辞めたら自分の成長も、生活の安定も見込めないでしょう。
しかしその「頑張り」もケースバイケースもっと使い分ける事が出来なければ、いつか「疲弊し脱落しなくてはいけなくなります」。
人間は続く集中力や続く努力の時間的制約が必ずあります。
「タダいたずらに頑張ればいいってもんでも無い」訳です。
きちんと目標を決めて、それを達成する為に何が必要か?そしてそれが達成されれば一時休息。
これが仕事を長くやっていくために必要な「大原則」だと思います。