「死ぬまで働け」は、「死ぬような年齢まで働くためには、休みや効率も重要視しろ」という事だと思います。
学校の掃除の時間で、早く終わるために頑張って「最適の方法を考え出し努力して終わらせたのに」、「掃除の時間は全部掃除に充てなければならない」という謎の発想の下、先生に怒られた人はいなかっただろうか?これこそも日本教育の弊害です。
掃除をする為に学校に通っている訳でもない訳ですから、終わったなら即座に「次の作業」に移った方が生産的です。
それは別に遊びでも良いでしょう。
ストレス発散や、友達と戯れることで、いろいろな社会勉強になるのですから。
しかしそれを許さないのが日本人的教育の発想なんです。
日本人はもう少し、「休むために働く」ように心掛けないと、長々と会社に入り浸って何にもやっていない様な社員だけが評価される意味のわからん方式から一向に逃れられない「非効率な社会」になっていってしまいます。
社員も「時間内に仕事を終わらせる工夫」もしなくなりますしね?
こんな社会では誰も育っていかないでしょう。
目標があればがんばれる
日本教育の悪口に発展してしまいましたが、今回は「モンゴル人の方についての記事」です。
モンゴル人はそんな大らかな民族性ではありますが、やる時にはやります。
きちんと目標があれば、頑張るのです。
日本に来ている多くの力士を見ていれば「そのひた向きさ」は分かるはずです。
5.借りた物を返すという考えがあまりない
また大らかな性格が「借りパク」となってしまう事もあるようです。
しかしこれも「身近な物はみんなで共有するもの」、「堅い事は抜き」という事とも取れます。
消しゴム貸したくらいで「恩人」にはならないんですね?それで返ってこなかったら、自分も誰かに借りれば良い、それくらいのものなんです。
貸した物は返ってこないと思ったほうがいい
ですからモンゴル人に対しては「迂闊に何かを貸すと最悪返ってこない事」もあるかも知れませんので、特に神経質な方は何も貸さない方が良いかもしれません。
しかし皆さん思い出して下さい。
日本が経済支援でモンゴルに援助をしていた経緯があるからこそ、震災の時には自分のお給料を切り崩してまで、日本のために「恩返し」して下さったんです。
考えているところはきちんと考えていますよ、モンゴルの方も?
6.ドタキャンが当たり前である
そして日本人とモンゴル人が付き合っていく中でもう1つ考えておかなければいけないのが、この「ドタキャン」です。
モンゴル人はどちらかというと「自分の身の回りの事が一番重要」と考えます。
それは「他の人も同じ」と捉えているんです。
ですから、「お互い様感覚」で自分の事が手いっぱいになると「ドタキャン」で調整を図るんです。
仕事でもドタキャンすることがある
さらに仕事においてもこの「ドタキャン」があるので大変です。
民族性からして大らかさと、自分の身を守ることに徹するモンゴル人ですから、それ以外の事についてはやはり無頓着と日本人なら感じてしまうでしょう。
しかしそれが民族性ならばいくら頭ごなしに日本の習慣を語っても、今いるところが日本なら別ですが、そこがモンゴルなら話は別です。
「郷に入りては郷に従え」、逆にその「ドタキャン」という名のリスクを考慮した上でモンゴル人と仕事をしなくてはなりません。
7.マイペースな性格である
そういった事からもモンゴル人は「マイペース」です。
マイペースな性格でないと、あの広大な大地や、そこでの日々の遊牧生活、そういった一連の日常を全うに生き抜いていく事が出来なかったんでしょう。
これもあれですよ?進化の過程、無駄な物がその土地で淘汰された結果がその「マイペースさ」なんです。
そうでなければそれが民族性に成ることなんてありません。
誰が悪いんではないんですね?
相手のことをあまり考えない
ですから神経質な日本人からしたら、モンゴル人の性格は「自己中」と感じてしまう人もいるかも知れません。