それは争っても何もないからです。
恨みを持たれて、後々厄介な事になれば目も当てられません。
温厚にしておく事も人生を安全に生き抜くためには必要な事です。
そしてその「無為な争い」が無駄な物なら、「好きはとことん、嫌いは要らない」の思想からは外れてしまいます。
ですからある種「信念がある」と言っても良いでしょう。
その信念が「怒り」という最大の惨事に照準があったとき、どうなるかは分かりますよね?
無為に怒る人と、「信念があって怒る人」どっちが恐いか、言いくるめられないか、答えは簡単です。
女性は早熟である
モンゴル人は男女平等の社会と言いました。
これは遊牧民の生活からして「女性の力」が必要不可欠だからです。
女性が居なければ、生活が成り立たないために、現代の女性に社会進出にもなんら「障害」がないんです。
そのため「モンゴル人女性は早熟」という点もあります。
逆に早熟でなければいつまで経っても親の脛かじりでは生きていけないせいでしょう。
早く仕事も覚えて、独り立ちし、自分の生活も力強く形作っていく、そんなアグレッシブな人がモンゴル人女性には多いんです。
異性を意識するのが早い
その国民性もあり、モンゴル人女性は異性を意識するのも早いという特徴があります。
若い内から恋愛も活発的に行っていくモンゴル人はとても「生きる事に正直」なような気がします。
そのように本当に「行動に移しながら探求すること」が人生を幸せな物に変えていくためには一番必要な価値観なのかも知れません。
度々日本人は年齢に対しても、性別に対しても、さまざまな規制がありますが、その規制というものがあって「秩序が保たれている」こともあるのでしょうが、人間本来の「幸福を具現化するための足かせ」になっているところもあるのかも知れません。
まとめ
いかがでしたか?
日本人とは少し違った国民性のモンゴル人。
しかしそれを「面白い」と捉えれば、学ぶ事も多く、魅力もより際立ち、すてきな出会いがあるのかも知れません。
ここで書いた「国民性」なり「民族性」と言ったのは飽くまで「見えてくる傾向」のお話しです。
全てのモンゴル人の方々がこれに当てはまる訳ではございません。
世の中にはいろんな人がいらっしゃいますので、そういった方との交流が人生を本当に楽しくさせる他にはない「秘訣」なのかも知れません。
最後までありがとうございました。
ではまた。