“ハイカラ”という言葉。
最近ではあまり耳にしなくなった言葉ですが、皆さんはご存知でしょうか?
今回は、知っているようで知らない「ハイカラ」とはどういう意味なのか、その由来やハイカラを感じられる場所、具体的な使い方、例文などをご紹介します。
️ハイカラの意味って?
ハイカラとは、「①西洋風を気どること。流行を追ったり、目新しいものを好んだりすること。また、そういう人や、そのさま。」、「②西洋風に結った髪。」という意味があります。
西洋風を気取ったりしている人やその様を、ハイカラと表現するということですね。
また、流行を追ったり、目新しいものを好んだりする人やその様に対してもハイカラという言葉が使われるようです。
この意味で言えば、今でも流行の服を着ていたりする人をハイカラだと言えそうですが…今はそんな言い方はしませんよね。
️ハイカラの由来
ハイカラの意味は、“西洋風のことや、流行のこと”となるわけですが、この言葉の由来を調べてみると、なかなか興味深いものがあります。
その由来を知ると、今の時代に西洋風なことや流行のことに対してハイカラを使うのは、やはりちょっとズレているのかもしれないと感じます。
その時代だからこそ生まれた言葉であって、その時代だからこそぴったり当てはまる言葉ってありますよね。
つまりハイカラも、時代背景が大きく関係している言葉だということです。
ハイカラという言葉は、言葉の意味だけを知っておくよりも、由来を知ることの方が重要になるかもしれません。
そのほうが、ハイカラという言葉の意味も的確に捉えることが出来そうですよ。
明治時代に誕生
ハイカラという言葉が生まれたのは明治時代のこと。
明治時代は、「幕末・明治」とも言われ、日本の歴史上においても大きく流れが変わった、時代の転換期です。
長く政権を握ってきた江戸幕府が政権返上をし、天皇を中心とした新しい体制が築かれて始まったのが明治時代。
西洋文化がどんどん日本に入ってきて、近代化が加速していった時代でもあります。
因みに…皆さんは、映画『ラストサムライ』はご覧になりましたか?この映画は、明治初頭、ちょうどこの時代の転換期が舞台になったお話でしたよね。
時代に取り残されている侍達と、近代化を進めようとする日本が描かれています。
この映画をイメージすると、ハイカラという言葉が生まれた背景も、分かりやすく見えてくるような気がします。
日本文化と西洋文化が入り乱れていく日本。
その中で、ハイカラという言葉も生まれていったのです。
石川半山がつくった
ハイカラという言葉にも生みの親がいるそうで、それが石川半山(本名:石川安二郎)という人。
石川半山は、明治大正時代に生きた、ジャーナリストであり代議士だった人のようです。
石川半山がハイカラという言葉を発信したのは、毎日新聞の紙面の『当世人物評』の中。
“ハイカラア派”や“ハイ、カラア党”などとして使ったのが、始まりなのだそうです。
今でいうと、「メガネ派コンタクト派」「甘党辛党」のように、傾向や流儀を表わす言葉としてハイカラという表現方法を発明したのだそうですよ。
最初は“ハイカラア”だったんですね。
傾向や流儀を表わす言葉として、ハイカラア派・党と言ったからには、その対比となる言葉もあったわけで、それが“チヨム髷党”。
つまり、ちょんまげのことです。
石川半山は『当世人物評』の中で、保守主義者を“チヨム髷党”、開国主義者等を“ハイカラア党”などと表現して、冷評する際に使ったのです。
明治時代という時代背景、そして保守主義者をちょんまげで表現していることを想像すると、開国主義者の“ハイカラア”が何を意味しているのか…勘のいい人は分かったかもしれませんね。
その頃流行した高襟=high collarから
ハイカラアはその当時男性に流行したハイカラー(高襟)のことだったんです。