CoCoSiA(ココシア)

ハイカラとはどういう意味?その由来...(続き2)

ハイカラーが省略されて、ハイカラになっていったという訳ですね。

明治時代、西洋風の文化が入ってきて、着る服も洋装へと変化していきました。

その時に流行った高襟が特徴的で、西洋風の象徴として捉えられていたんですね。

もちろん対比するちょんまげも、西洋文化から見たらとても特徴的なもの。

今でこそ洋装中心となり、ちょんまげの人がいたら逆に違和感を感じますけど、当時はまだその狭間にいたということが、よく分かりますよね。

石川半山が書いていた『当世人物評』は辛口な文章だったそうで、つまりハイカラア党もチヨン髷党も、揶揄表現として生み出されたのだそうです。

ハイカラという言葉は広がりを見せる中で、後に“近代的”や“華麗なさま”など、肯定的な意味合いとして使われていくようになっていくのですが、最初はどちらかというと、負のイメージだったんですね。

誕生当初のハイカラの意味とは?

ここまでもお話してきたように、ハイカラは日本古来の文化と西洋文化が入り混じっていく最中に生まれた言葉。

今、ハイカラの意味は“西洋風のこと”という、どちらかというとオシャレなイメージでとらえられています。

ですが、当初はむしろ逆のニュアンスの言葉でした。

先ほどもお話したように、ハイカラという言葉を発明した石川半山は、ハイカラを揶揄表現として使っていたわけで、褒め言葉でも何でもなかったんですよね。

言葉って、時代の変化と共に意味合いが変わっていくことも大いにあります。

特に時代を反映させた言葉は、その時代が過ぎれば使われなくなっていくこともある。

それに、使われ方が変化していったりもするんですよね。

このハイカラという言葉が生まれた時代背景を考えても、今の時代に生まれた私たちの感覚では思いもよらないような、様々な意味合いが込められていることが分かります。

それに、ハイカラという言葉の使われ方の変化と共に、人々の価値観が変化していったことも、ハイカラという言葉ひとつから想像出来てしまいますよね。

皮肉っぽい意味だった

ハイカラという言葉が誕生した当初は、揶揄表現のひとつ。

つまり、皮肉を込めた言葉でした。

今、辞書を調べれば“西洋風なこと”と解説されていますが、当初と今とでは“西洋風”の受け取り方も全く違います。

明治時代は、時代が入れ替わっていく中で、西洋帰りの人や西洋文化の服装を好む人が、少しずつ増えていきました。

でも当然、その姿を受け入れられない人も大勢いたんですよね。

だって、それまでの日本は着物が主流、少し前までちょんまげ姿の侍がいた時代だったのですから。

そういった西洋文化やその考え方を受け入れられない人にとっては、海外の文化に侵されていくことへの反発心や、目新しいものへの怖れなんかもあったのでしょうね。

そんな気持ちの人達にとっては、自国の文化を捨てて西洋文化に洗脳されていく人達を、冷ややかな視線で見ていたはずです。

その心理が、ハイカラという皮肉を込めた表現が生まれるキッカケにもなっていったのだと思います。

日本人なのにハイカラーのワイシャツなんか着て、すっかり西洋風を気取っている輩達だと…。

西洋かぶれ

つまり、「西洋かぶれ」だという皮肉を込めた表現が、当初のハイカラの意味だったんです。

「すっかり西洋風にかぶれちゃって」と、冷ややかな視線を送っている人の方が、最初は多かったということですよね。

一方西洋にかぶれていたハイカラな人たちは、きっと時代の最先端を行っているんだって、自慢げに思っていたのではないでしょうか。

この気持ちも分からなくはないですよね。

今ではすっかり洋服が主流になった日本ですが、それでもまだまだ、海外の文化への憧れの気持ちを持つ人がいますよね?

自国の文化よりも、海外の人気モデルやセレブのファッションやライフスタイルを真似る方がオシャレ!なんて感覚を持っている人が多いと思います。

今でいう海外文化に憧れている人たちが、明治時代で言えばハイカラな人だったのでしょう。

ただ当時は、目新しいものをどんどん取り入れる人たちのほうが少数派。

今でこそ形勢逆転して、日本古来の文化を守ろうとする人たちのほうが苦労していますが、当初は変化を嫌う人のほうが多かったわけです。