その考えが度を過ぎてしまうと、自分自身の事を全知全能の神のように感じてしまうことがあるのかもしれません。
高齢者と言えども、様々な人生があり多くの人々がいます。
中には、確かに全知全能の神のような人もいるかもしれません。
しかし、そういった人は大抵人格者であり老害と言われる事はありません。
老害と呼ばれる多くの方は、自分自身の力量を分っておらず、勘違いしてしまった結果老害をおこしてしまっている可能性が高いです。
3、若者を批判しがち
老人の口癖に『今どきの若い者は』と言うものがあります。
しかし、自分たちの世界しか見えていないで、横柄な態度を取るのは若者ばかりではありません。
若者だって、注意されれば改善する気持ちを持つ事が出来るかもしれません。
しかしながら、高齢者の場合、自分の非を認めたくないため、自分が悪い場合でも相手の事を責めるような態度を取る場合があります。
更には、若いと言うだけで相手の意見や態度を批判し、すぐに言いがかりを付ける人もいるでしょう。
冷静になればどちらが悪いかは一目瞭然なのにも関わらず、自分の非に気が付く事が出来ない人もいるのです。
若者だからといって、高齢者が偉そうにして良いということはありません。
お互いがお互いに敬意を示す事で、良好な関係を築いていく事が出来るのではないでしょうか。
その事に気付けず、若者を批判ばかりしている人が老害と言われてしまうのでしょう。
偉そうな態度を改めようと思わない
中には、自分の事を100%正しいと感じている人がいます。
年を取っているのだから、優遇される事が当たり前だと思っているのかもしれません。
ですが、年齢に関係なく人は平等であるべきという考えもあります。
その中で、高齢者に対する尊敬の念があることは大切ですが、それと同時に高齢者の方も若者に対する尊敬の念があってもいいのかもしれません。
若いからこそいって全てが未熟と決めつけてしまう事は、、自分自身の視野を狭めてしまっている可能性もあります。
老害になってしまう前に、自分の非を認める事や考え方を改善することも大切です。
それをする事が出来るかどうかによって、今後の人生をより良いものにしていけるのではないでしょうか。
4、「自分がルールだ」と思い込んでいる
高齢者になるにつれて、どうしても考えが凝り固まってしまう傾向にあります。
そのせいで、社会と上手く交わる事が出来ずに、どんどん浮いた存在になってしまう事があるでしょう。
それが進む事によって、老害になってしまう人もいます。
それは特に男性に多い傾向があると言われています。
女性の多くは、子供などを通して比較的多くの社会と関わっています。
そこには役職などはなく、皆平等の関係性で会話をしていることでしょう。
その為、それが例え年齢を重ねたとしても、変わる事はなく上手く社会と関わっていく事が出来るスキルを身に付けている人も多いです。
しかし、男性の場合は、多くの場合会社という狭い世界で日々を過ごしてきました。
会社にいれば、ある程度の年齢を重ねているというだけで、周りの若者達が優しくしてくれる事もあるかもしれません。
話を聞いてくれる事だって十分に考えられます。
その為、自分自身の事をつい勘違いしてしまう場合があるのです。
ですが、会社から一歩出てしまえば役職などは関係なくなり、高齢者として見られるでしょう。
よほど凄い人でもない限り、多くの人に尊敬されるような人になる事は難しいのかもしれません。
その事に気が付く事が出来なければ、勘違いをしたまま人生を過ごすことになってしまう場合もあります。