今日中に仕事を片付けると決めたら残業をしてでも仕事を片付けようとします。
部屋の掃除をすると決めたら埃一つ落ちていない状態にまで綺麗に掃除をします。
自分で決めたことに対しては一切の妥協がなく、ほどほどに適当に済ませるということが中々出来ない性格をしています。
そのため、自分で「今日はこれをやる」と決めたことがもし何らかの理由で出来なかった場合に、それが例えどうしようもない事情だったとしても「出来なかった」という事実に罪悪感を抱きやすいです。
完璧主義の人は、それほど自分の完璧に一つでもほころびがあればそれをことさら気にして後悔したり、罪悪感を抱いたりします。
特に周りの誰もがその人によって傷つけられたり、迷惑を被ったりしていなくても、自分自身が出来なかったことに対して強い罪悪感を抱きます。
日頃から何でも完璧にこなしている人ほど、そうしたたった一つの失敗でいつまでも罪悪感を引きずってしまいやすいのです。
2. 自分の中にルールがたくさんある人
完璧主義の人同様に、自分の中にたくさんのルールがある人も罪悪感を抱きやすいです。
「このときにはこうするべき」「こうであるべき」といった自分ルールがいくつも存在していると、それが出来なかったときには自分自身で罪悪感を抱きやすいです。
また、いくつもルールがあると、そのルールが何個か重なって守れなかったときにはより罪悪感を抱きやすく、誰に対して迷惑をかけているわけでもないのに罪悪感に苛まれてしまいます。
自分の中のルールに違反し自分自身が許せない
自分の中でのルールがある人ほど、それを守れなかった場合に自分自身を許せずに、罪悪感の感情が湧いてきてしまいます。
例えば「お年寄りには必ず席を譲るべし」というルールがあなたの中にあるとします。
電車の中であなたは席に座っていて、お年寄りが立っているのを見つけたとき、あなたは自分の中のルールに従って席を譲ろうとします。
いつもならば問題なく席を譲っているところを、そのときのあなたはたまたま足を怪我していて、揺れる電車内で立つことは困難な状態にありました。
どうしても席を譲れない状態なのですから、「仕方がない」と思えばそれで済みます。
ですが、自分の中でのルールに縛られていると、「お年寄りに席を譲れない自分が許せない」と思ってしまい、罪悪感を抱いてしまうのです。
怪我をしていれば当然席は譲れません。
それなのに、自分の状態には関係なく、自分の中でのルールを守れないことに対して強い罪悪感を抱いてします。
罪悪感を抱く人の中には、こういったタイプの人も存在しています。
自分のルールがある人は、大抵はそのルールに従って生活していますが、それがたまたまある条件で出来なかったときに、誰に対してでもなく自分が許せずに罪悪感を抱いてしまうのです。
3. 正義感が強い人
正義感が強い人も、罪悪感を感じやすいです。
正義感が強い人は、間違ったことに対して許したり、妥協したり出来ません。
そのため、少しでも「間違っている」と思うことがあれば直ぐにそれを正そうとします。
しかし、社会で生活していく中で、いつでも自分の正義感が通せるとは限りません。
自分の中では間違っていると思うことでも、あえてそれを見逃したり、指摘出来なかったりすることもたくさんあります。
そうすると、その人のせいではないのに勝手に自分自身で「間違いを正せなかった」と罪悪感に陥ってしまうのです。
4. 人の痛みが良く分かる人
人の痛みが良く分かる人は優しい性格をしています。
自分の痛みにももちろん敏感ですが、他人の様子から傷ついていると感じると、まるで自分のことのように胸を痛めます。
もちろん他人の痛みがそのまま分かるわけではありませんが、他人の傷つく様子から、自分が傷ついていたときの気持ちを思い出し、同じように辛くなるのです。
そんなふうに人の痛みが良く分かる人では、些細なことでも相手が傷ついているのではと一人で罪悪感に陥ることも少なくありません。
罪悪感は優しいからこそ生まれる
優しい人は自分も傷つきやすいですが、誰かを傷つけることでまた自分も傷つきますし、相手のことを思って心を痛めることも多いです。
特に罪悪感を抱くときには、些細なことであっても「相手を傷つけたかもしれない」という気持ちが強く、実際は相手が大して傷ついていない場合でも一人でくよくよと後悔し、悩んでしまいます。