学生諸君は「文系?」、「理系?」とよく2つに分けられ、「物事の考え方や価値観」などを客観的に分類されることがよくあるのではなかろうか?

「君は理系だから…」、「文系の君には…」という具合にその時のイメージのようなもので分類されその都度、自分の知らぬところで「勝手に評価されている」のです。

しかし、人間が「教育」というもので成長していき、「自分の考え」が構築されていくものならば、この「文系理系論争」にも少しばかりはそれぞれの「特性」は異なるようにも思えます。

いわゆる「向き不向き」というものでしょう。

さらに人間は基本的に「口から入ったもの」つまりは摂取したものからしか「栄養を取る事が出来ない」つまりは、食べ物・飲み物から人間の体は作られ、健康なのか?不健康なのか?もそれによって決まるはずなのです。

つまりは、「教育」というものもこの「食べ物・飲み物と体の健康の関係」と同じ様に、「何を以って学習したか?」で、結果「どういった思考回路の人間になるのか?」というのは何となく決まってしまうところがあるという事なのではないでしょうか?

さて、そんな「文系・理系」のお話ですが、今回の記事はその「文系・理系」に人を分けたとき、その特徴を挙げていき、「文系人」、「理系人」を徹底的に分析していきたいと思います。

あなたは「文系・理系」どちらですか?

文系の特徴

まずは「文系」の特徴からです。

単に文系と言ってもいろいろと分野が分かれるので、根拠を以って説明するのに少し無理がある部分もありますが、なるべく広く傾向を見ていこうと思いますので、「あぁ、なるほどね?」、「分かる分かる」というくらいの「脱力したくらいで」読んで頂けると幸いです。

ではさっそくいきましょう。

物事を直感的に考える

まず「文系人」の思考回路で重要なところは物事を直感的に考えるところです。

これは理系人と比べると分かりやすいでしょう。

「理系」は基本的には「科学」です。

科学で成り立つ事には「客観的なデータ」が必ずあります。

「誰が見てもそうである」という「根拠のあるもの」のことですね?
そういった「客観性」を常に重要視しないとすぐに「反論・論破」される理系人は、この「理論」をとても大事にします。

対して「文系人」は、理系人に比べるとそこまでの「理論や理屈」には縋りません。

基本的には「自分の経験や記憶」を頼りにして物事を見据えています。

ですから逆に言えば「理系よりも判断が早い」という特徴を持っていると言っていいでしょう。

理屈で考えず、「直感的な部分」を重要視する為、「思考する時間」、この言葉の悪いところだけを取り出せば「迷う時間」がないというのが「文系の武器」とも言えるでしょう。

物ごとを経験上、記憶上、直感的に捉え、「反射のように」瞬時に判断し行動に移す。

このような「思考回路」が多くの文系人には出来上がっていると思います。

記憶力がある

つまりこの「直観性」を大事にするためには、「経験と記憶」が非常に重要に成ります。

ただ直感的に打って出ても、「ただの見切り発車」では、結局失敗してやり直す「二度手間、三度手間」になってしまっては「効率的なやり方とは言えない」という事になってしまいます。

ですからその「行動・結論の正確さ」を高めるためには、物事に対する「経験と記憶」が重要になるんですね。

そのため文系の方は「記憶力が良い方」が多いような気がします。

文章などの「丸暗記」が必要な場合があるからなのかもしれません。

歴史を覚えたりもそうですよね?

そういった事から「記憶力がある」のが文系人の特徴なのです。

感受性が豊かである

また文系の方は「感受性豊かな人が多い」傾向にもあると思います。

というのも人間は「語学」を習得すると、理系的な複雑な計算や理論の思考などと「脳内で競合」が起こり、「語学か計算」かのどちらか一方しか選べないようになっているそうです。

もちろん語学が堪能で、理系的計算もできる方は世間に大勢います。

しかし「一般的には競合が起こってしまうため相当な努力やセンスがないと両方を習得する事は出来ない」そうです。

そこから推察するに、語学が堪能である脳が発達している文系は、コミュニケーションも難なくこなせ、感受性も豊かに表現できる能力があるのではないでしょうか?

何となくのイメージからしても「文系の学部は明るい」、「理系は陰湿」という何だか払拭できない学部のイメージって学生時代ありませんでしたか?

正直理系の私としては耳が痛い話ではあるんですが、理系は陰湿と言われても、大々的には反論できないような節もありました。

事実大学時代でも、文系の方が「オシャレで明るい人が多かった」印象です。

喜怒哀楽を表現するのが得意である

文系人は人と多く話す機会があるので、その分「自分の感情を出すような機会が多い」、つまりは「感情表現が上手い」という事になると思います。

通常、「喜怒哀楽」は表に出すには大変勇気のいる事です。

あまりにおおっぴらに感情をむき出しにしてしまう事で、相手からの非難を受けたり、仲間が自分の周りから離れていってしまうこともあるかも知れません。

しかし「感情を押し殺していればいい」訳でもなく、それは疲れるし、永く続けばストレスが溜まり平静を保てなくなります。

そうなれば「あいつはキレると何するか分らない…」、「あいついつも何考えているか全然わからん…」となれば、物事も結末は同じ事です。

ですから人と話す時は「一定の感情表現は必要」なのです。

しかしその「小出しにして調整する事」が難しいんです。

例えば花壇の花に水をやる時に、あまりに水が少なすぎると時間が掛り、蛇口を開け過ぎると水が出過ぎ、花や花壇をダメにしてしまいます。

ちょうど良い「頃合い」の水量が重要なんです。

この水量つまりは「感情の調整」は一度や二度の訓練ではなかなか上手くできません。

何度も何度も繰り返し「反復練習」が必要になるんです。

そういった意味で言えば文系の方は「人と話す機会が比較的多い事」もあり、その分普段から感情のコントロールを強いられる機会も必然的に多くなるので、理系人よりも「感情表現が上手い」という事になると思います。

コミュニケーション能力が高い

更に言えば、必然的に「コミュニケーション能力」も文系人は高くなります。

人と話す事はこの「コミュニケーションと同意義」です。

人と話す機会が多ければそれだけ「会話の難しさ」にも気付き、日々鍛錬されるように嫌でもなります。

また上記の「感情表現の上手さ」も他人とコミュニケーションを図る際は重要なものになります。

というのも普通に話していて「急にキレるような人」とは普通に考えて「話したくない…」と思うのが当然でしょう。

感情の起伏もなく上手く、冷静に話す事が出来て初めて正常な、良好な「コミュニケーション」が取れるんでしょう。

広く浅い良好な交友関係を築くことができる

そういった事を考えると、コミュニケーションの上級者はそこに付け加えて「広く浅い、社交辞令的関係を保てること」もできるでしょう。

「この人は自分をどう思っているか?」、人と多く話す機会がある人はこのことに上手く気付ける人が多いでしょう。

その人の表情や、話し方、ふと見える仕草等々から推察して、「この人と仲良くやっていけるかどうか?」とか、「この人は自分の事をどう見てくれているか?」なども含めて、「これからの関係性の見極め」もコミュニケーション上級者の文系人なら出来るのです。

また、相手が単なるビジネスの「可もなく不可もない仲」なら、それからの「無駄な交友関係の広がり」も懸念して、「広く浅く、この人とは可もなく不可もなく付き合っておこう」ということもある程度は狙って人間関係を形成する事が出来るのだと思います。

そんな人間関係のコントロールもコミュニケーションの上級者である文系人なら出来るのではないでしょうか?

物事を複雑に考えることができる

文系人最後の思考回路としては、「物ごとを複雑に考える事が出来る」です。

先ほども書きましたが、文系人は思考に「直観性」を重要視するのと同じく、「経験や記憶」を大切にすることを言いました。

これは逆に言えば、文系人は「凄まじい知識と経験」で理論展開できるということです。

さまざまな知識を「丸暗記」し、理論を並べたてられたら言い返す事は困難でしょう。

一つの知識を「樹形図的に」さまざまな知識を取り入れ分解して掘り下げていき、物ごとをより複雑に多角的に見る事ができ、より深い核心に迫る事が出来るのです。

様々な方向から見ることができる

物ごとを多角的に見ることは大変難しいことです。

一つの知識しかない状態で物ごとを見れば、一方方向の乏しい見解になってしまいます。

しかし物の見方を変える「他の知識や経験」があればそれだけ物ごとを複雑に見る事ができ、そこから見出せる内容もより深いものになるのです。

例えると、ここに「一個の玉」があったとします。

それを何か「一つだけの知識や見解」しかなかった場合には、例えば「色」にしか精通してなければ、目の前の玉を色でしか語れません。

しかし、物の見方を変えてその「大きさ」や、「形」、「材質」、「何に用いるものか?」、「製造方法」、「産地」、「価格」、「中身」、「匂い」、「経済的意味」、「宗教的意味」、「歴史」などさまざまな見方があればそれだけその人からすれば「単なる玉」をより複雑に捉え、他人にはできない「より核心をついた言及をすること」ができるのです。

理系の特徴

ではつづいて「理系」についてみていきましょう。

理系は科学と書きましたが、実際に「科学できている理系はごく一部の人だと思います」ので、若干当てはまらない人も多くいるでしょう。

理系と言っても名ばかりの方って、私を筆頭に多く要るとも思うので。

理論的思考ができる

文系が経験則に当てはめ「直観性」を重んじるならば、理系は「理論」で攻めます。

物事には「理屈・理論」があって成り立っています。

現代の科学で説明しきれないものはまだまだ多いにしろ、人間が「科学以外」の他の方法で物事を説明したい時には、データもなく経験則もなく、その場の「感情論」とか「根性論」とか「不確かなものになりがち」です。

ですからその点、理論で攻める方式は「実験結果という言い訳できないデータ」を用いて説明していくため、「考えたり、結果を出すまでに時間はかかるが、反論ができにくい」という特徴があります。

理論的思考は客観性があるということが最大の武器でしょう。

物事を要領よく考えることができる

さらに思考回路が「理論的」であると、物ごとを深く理解することで、「物事の捉え方がきちんと交通整理できる」という利点もあります。

ひとつひとつの知識や考えがそれこそ「理にかなっている」からこそ、理系の思考回路は計算ドリルを順番に解くように無駄な部分を省き、「要領よく考えう事ができる」のです。

まぁたまにそのことが「理屈っぽい」と言われることにもなるんですが。

確かに全部が全部「理論、理論」、「客観性は?リソースは?」と言われると、社会的な真面目な話ならまだしも、普段の日常生活にこれを引っ張り出されると、会話はする気が無くなりますよね。

気をつけたいです。

こだわりが強い

つづいて理系人は人一倍強い「こだわり」を持っています。

これはなぜそうなるんでしょうか?

これは自然科学の研究には「膨大な時間が掛ること」が多く、その「自然科学を紐解いていく」には膨大な量の事象の検証という途方もない作業が待っています。

ここでタダのひとつでも何かのやり方、評価を間違えれば、今までやってきた検証が全て水の泡になりかねないからです。

 
そういったことからも、「膨大な作業量を誇る」、自然を科学するという行為、どこかのCMみたいになってしまいましたが、この途方もない作業を行う上で、「こだわり」言いかえれば「潔癖感」というものは非常に重要な価値観となるのです。

この物事に対する「潔癖感」が欠如していると、世の中で、「線路を猛スピードで走り抜ける新幹線のような精密機器を多く積んだ、しかも人の命が懸かったミスの許されないもの」を考えれば、そこにエンジニアとしての専門家としての、はたまた学者としての「強いこだわり」がなければ安定的な科学は成り立たないのです。

ですから「理系はこだわりが強い」というよりも、本物の理系人になるためには「生半可な覚悟やこだわり持ってしてなれない」ということから、中途半端な人間は「淘汰」されてしまうのではないでしょうか?

「これだ!」と思ったものは曲げない

であるからして、理系は一度「見つけた糸口は絶対に掴んで離さない」という信念があります。

そもそも「科学」とはまだ誰も成しえなかった、長い人類の営みや探求の中で分からなかった、気付かなかった事に関して立ち向かっていく行為なのです。

ですから、何か決まり決まったルールが具体的にある訳でもありません。

そのルールも先人たちの知恵を使ったり、また発想を転換して一から自分で開拓していかなければならないのです。

ここでのストレスは多大な物です。

先ほども言いましたが、「タダでさえ時間のかかる科学」ですから失敗したら人生の多大な時間が無駄に成ります。

自然科学を専門としている研究者の方々は「皆の為に…」と頭の片隅で思いながらも、失敗したら自分の人生の時間は無駄になるというリスクを常に持っているんです。

その失敗が有効活用されるなんて保障はどこにもありません。

そういった物ごとを探求する難しさから、「一度見つけたものは逃さない」ある種の「追尾力・探求力」は理系の人の方が強いのではないかと思います。

ひとつのことに集中することが得意

上でも示しましたが、理系の脳は「探究心」が人一倍強いです。

これは自然科学というものを探求する事がそうだからです。

逆に「好奇心旺盛」、「探究心が強い」、「こだわりを持っている」という条件がそろっていないような人はきっと最後の最後まで「自然を科学する事は出来ない」ことからなるべくしてなっているのだと思います。

ですから「何かが始まり、その事に対し向き合い、考え、何かの答えを導き出す為に一途に集中すること」は理系にはとても重要な事なのです。

失敗しても我慢強く続けることができる

自然科学に失敗はつきものです。

これはなぜか?頭で考えて、それを実践したのなら何でも即座に失敗もなく具現化されるならば、科学は今よりももっと進歩しているでしょう。

先ほども書きましたが、自然科学の解明とは「今までに誰もやった事のないことに対し答えを見出すこと」です。

つまりは誰もやったことがないので、成功する確率はとても低いものなんです。

誰にも真実が分からない、確証を持てないから今まさに研究に着手しているのです。

もうすでに分かっている事ならばわざわざ時間も労力も掛けて行う必要性はありません。

理科の実験ではないですからね。

ですからこの事についても理系は、「実験に対する失敗は恐れない」という考えが強いです。

今までの人類では解明できなかった訳ですから、自然科学なんて「ダメで元々」なんです。

しかも文系の人は「科学には確証や検証が絶対必要」という人がいますが、世の中のものはそこまで「検証されずに使われている物は多い」のです。

例えば飛行機。

この「事故率」はどうやって検証しているんでしょうかね?事故とは危険な物です。

離陸や航行を自動操縦にできないのなら、誰かが操縦するしかありません。

そんな中で事故率を実験・検証するという事は、誰かがけがをし、死ぬという事です。

たとえそれが出来たとしても、どういった条件下で何をやれば「事故率の検証」になるのでしょうか?

それこそ途方もない作業ですし、膨大な量の飛行機も必要に成り、時間もかかり、条件も変われば「検証の方法も無数に存在する事となり確かめようがない」訳です。

放射能だってそうですよね?明らかに人体に悪影響がある事は分かっていますが、「どの量からダメなのか?ダメとするのか?」は具体的には検証のしようがありません。

それを探求するという事は誰かを被曝させ「人体実験」をするしかないからです。

世の中のものはその安全性や適量など確率や数値というものに関して「ほとんど確証できる訳がないので確証せずに使っているのが現状」なのです。

ここも文系の人には理解しがたいところなのかも知れません。

文系と理系の7個の違い

基本的な文系と理系の違いはご紹介しましたのでここからは、「文系と理系の違い」を7つの視点から見ていきたいと思います。

一体どういった違いがあるのでしょうか?

1.文系は感情的、理系は理屈っぽい

文系の方は「感情を表に出すことが出来る半面、出し過ぎてしまう方もいる」ということがあります。

その点、理系は理論で物事を考えますから、「感情論」ではなかなか動こうとはしません。

何のデータもない感情論で動き、相手を迂闊に批難でもしたなら、後々から反論され会えなく論破されてしまうからです。

そういう傾向もあり、理系は感情に流されないが、その分「無機質で理屈っぽい」という面もあるのだと思います。

人の感情が通っていないような冷たい考え方ですね?

文系は理系に比べ、「理論では勝ちにくい」ところがありますから、その分直感的な部分をどうしても追いがちです。

先ほどの血の通っていない理論的見解を、「でもそれって嫌だなぁ…」という個人的意見とも言えるような文句で理系の意見を棄却しようとするんです。

文系は、体が先に動く

文系の方は「直観性」を重要視するので、その分「物事に対するフットワークが軽い」のです。

もしかしたら「考えていても仕方ない。

ダメかもしれないけど取敢えずやってみよう。

」という考えもあるのかも知れません。

これは良い事もありますが悪い事もあります。

何でもかんでも周りで起こった事に対して、解決できる確証もないのに首を突っ込む人っていますよね?

これは結局、「行動力はあるかも知れないが、問題解決力は皆無」としか言いようがありません。

やはり「人様が悩んでいる」訳ですから、その問題は一筋縄ではいかないでしょう。

もし自分が介入して問題が解決できなかったり、逆に悪化させてしまった時は目も当てられません。

しかし、「困っている人が居るのに見て見ぬふり」も間違った事かも知れません。

ですから「分からないし、解決できないかもしれないけど、取敢えず一緒に悩んで考える」というのは、どこか有難くはあります。

ここでも文系は直感や感情で動く事から「血の通った行動が出来る」という人間らしい温かい考え方が出来るという点では、理系は見習わなければならないところはあると思います。

理系は、細かいことを気にする

では理系はどうでしょうか?

理系は何をやるにも「一定のリスク」を考えます。

損得勘定という意味では人間的なのかも知れません。

しかしこういった考えは「判断を遅くさせること」は大いにあり得るでしょう。

根拠のない過信や、バカの一つ覚えの様な見切り発車も、周りの人々を巻き込む「褒められない行為」ではありますが、初めに考え過ぎて一向に物ごとに着手しないのも考えモノです。

文系理系どちらの考えが良いのかは「ケースバイケース」ということもありますし、どちらか一方が蔓延する考えではいけないような気もします。

2.文系はデザイン重視、理系は機能性重視

文系理系で何か物を買い揃える場合、何を重要視するでしょうか?ここでも文系理系の違いが出ると思います。

結論から言えば「文系はデザイン性重視」、「理系は機能性重視」という面があります。

ではその違いはどんなところから出てくるのでしょうか?
  

文系は機能性は二の次

ではまず文系の方はどうでしょうか?

文系は機能性よりも「デザインを重視する」傾向があります。

どんなに使いやすくても「かっこよくないと」文系は納得できない節があります。

もしかしたら、複雑な機能がたくさんあっても使いこなせないという面もあるのかも知れません。

ですから機能性は最低限のものにし、それよりも見た目が単純に洗練されているものを身の周りにおきたいとなるんですね。

理系はセンスがない?

理系はしばしば「機能性」を重んじます。

それを「何に使うか?」が重要なのです。

「きちんと機能的に使えさえすれば文句は無い」のです。

逆に言えば、「物事は理論や中身が重要であるので、表面上の要素に惑わされるな」という考えもあるのだと思います。

一見大丈夫そうに見えても、中身は壊れている「ハリボテ」かも知れない訳です。

これでは自然は科学できませんよね?

ですから理系は「何に使うか?」を考え、それに私財を投じたりするコストを考える上で、何かの物事の「効率性の改善」を期待しているんです。

ですから「機能性」を重視するんですね。

せっかく金出して買って、自分でやるのに面倒臭いことをやってくれないんじゃあ、何の問題解決にもなってないし、わざわざ高い金出した意味ないじゃんとなるんです。

しかしこの事もある種弊害が起こる事もあります。

というのも「機能性」だけ重視し過ぎて、「見た目はどうでもいい」となってしまうことがあるんですね。

それを文系から見れば「理系ってセンスねぇなぁ…」となってしまうのです。

3.文系は女性、理系は男性に多い

では続いての違いです。

「文系は女性が多い」、「理系は男性が多い」です。

この違いはどこにあると思いますか?実際に観て参りましょう。

文系女子は気配り上手

文系に女性が多いのは「脳の構造」が原因だと言われています。

女性は「論理的に物事を考えるのが苦手」です。

よく女性の話しには「結論が無い」と言われますよね?これは物ごとに「複雑な理屈や客観性はどうでもいい」と思っているからです。

自分の話をする時、「他人の意見がどうのこうのではなく、自分がどう思ったか」が重要であるために、「結論なし」の話に成ってしまうんですよね。

また、女性は「複雑な計算が苦手」な方が多いです。

女性は複雑な計算をすることよりも、古くは家庭を守る事の方が重要だったために、家族を温かい感情で包み込み守ることが発達していったと言われています。

今後、女性の社会進出も増え、後何百年?か経てば、計算が得意な女性が遺伝的に増えてくるかもしれませんね?

理系男子はモテない?

では理系に男性が多いのではなぜでしょうか?これは上記の逆です。

男性は複雑な計算はできますが、ついつい「理論や結論を急ぎ過ぎる傾向」があり、人の感情を気にすることよりも、科学をより発展させ世の中を安定的にさせることに努めているのです。

よく仕事で家庭を顧みない夫がテレビドラマでもよく登場しますが、あれも世間の風潮の表現でもあるのかなと思います。

男性は家庭も大事だけど、「仕事しないと生活できない」とクールに考えています。

対して女性は、「仕事も大事かもしれないけど私たちを放っておかないで…」と思っているのです。

女性はより身近な家庭(自分たち)、男性は自分よりも世の中を考えているからこそ世間の社会のバランスが保たれているのだと思います。

まぁ結果的に人の気持ちが分からなければ異性にモテないということもあるのかも知れませんがね…。

4.文系は肉食系、理系は草食系

では次の違いです。

文系は肉食系?理系は草食系?この違いは一体?

文系は恋愛に対しても感情を優先して動く

これは簡単でしょう。

文系は「直感重視」です。

とりあえず自分の思った事を実現させる事を最優先に考えますので、「行動あるのみ」です。

結果的に恋愛は肉食系になりますよね?

理系は自分にメリットがあるか考える

では理系は?

理系は「理屈屋」ですから、恋愛に関しても「ダメじゃないだろうか…」とか、「そもそも付き合ったところで何があるの?」とか色々と考えてしまい、時期を逸してしまうことがおおいのではないでしょうか?

5.文系は情熱的、理系は冷静

つづいて性格の面です。

文系は「情熱的」、理系は「冷静」という節があると思います。

実際どんな違いがあるのでしょうか?

文系は感情が行動に現れる

なんども言っていますが、文系は「直感型」なので感情を表に出すことに長けています。

ですから自分の良いと思ったものに対し愛着や情熱が湧きあがるんですね?人の気持ちが通う文系人はきちんと感情も含めて行動をします。

理系は自分を客観的に見ることができる

対して理系は「理論重視」です。

何をするにも理論が大事です。

ですから自分の間違いや、他人との比較、そういった「現状の分析」を日常生活でもまるで職業病が如く繰り返しています。

その甲斐もあってか、理系人は自分を客観的に見る事が出来る人が多いように思います。

6.文系は人付き合いが得意、理系は苦手

では人間関係についてはどうでしょうか?

「文系は社交的」、「理系は内向的」ではないでしょうか?

文系はコミュニケーション能力が高い

先に書いた通り、文系は人と話す事が多いのでコミュニケーションの能力が理系よりも高い人が多いです。

普段から「切磋琢磨」しているということですよね。

コミュニケーション能力が高ければ、自然と社交的な付き合い方が分かってきます。

あまり行き過ぎると、「社交辞令」的になってしまい、逆に人間関係がこじれる事もあるかも知れませんんが…。

理系は会話が苦手

対して理系は感情では動かないため、自己表現も苦手で度々会話に成らない事があります。

自分に興味があることでないと、わざわざ貴重な時間を費やす必要がないとも思っているのかも知れません。

そして、その考えが人話す機会を減少させ、コミュニケーション不足を露呈するような事態を招いてしまうのではないでしょうか?

7.文系は寂しがり屋、理系は一人が好き

では文系理系の比較の最後に「文系は寂しがり屋」、「理系は一人が好き」というのを挙げて終わりたいと思います。

文系は常に誰かと一緒にいたい

文系はコミュニケーションも上手いので、人との関係性を非常に大事にします。

得意分野を好きになる傾向というのもあるのかも知れませんね?

しかしそれが行き過ぎると、「一人ではさびしくて落ち着かない」ということにもなりかねません。

理系は一人の時間を大切にする

対して理系は一人の時間を大切にします。

一人でいる方が「他人に気を遣わず、自分の好きな事が好きなだけ出来る」というところが一番大きいのではないでしょうか?

あとは人からの評価を気にし過ぎることも疲れてしまうという事もあるのかも知れません。

どうせリラックスするなら「一人で」が理系の思考回路でしょう。

まとめ

さていかがでしたでしょうか?

感情で動く文系と、理論で動く理系のお話をさせていただきましたが、このどちらも「社会の中では欠けてはならない重要な人材」です。

どちらも必要なのです。

考えなければならないのは「バランス」なので、どちらかが要らないという訳ではありません。

どちらも理解しがたい面があるからこそ「社会の中できちんと役割分担されており」、社会が正常に回っていく事が出来るんです。

また「文系だからあれこれ…」、「理系だからなになに…」というのもその人が「生粋の文系脳か理系脳か?」つまりは、「その道のプロかどうか?」というところが性格分析では一番重要に成ります。

その人がそんなに文系の見解や経験がない場合にはこの理論は当てはまりません。

「アマチュアにブランクは無い」というものと同じですね?

みなさんも「一方的な決めつけ」には気を付けて下さい。