また、頑張って話してみてもそのような先入観などから、普通に話すことが出来ません。
頭の中では話したいことや伝えたいことははっきりしているのに、もしかしたら自分の声が通じないのではないか、届かないのではないかという気持ちが声をどもらせてしまうのです。
その結果として考えていたことは現実となり、どんどんしゃべるのが苦手になります。
そして、喋らなければならない集団行動に対して苦手式を感じてしまうようになるのです。
面倒くさがり
面倒くさがりな性格の人も集団行動が苦手な傾向があります。
面倒くさがりな性格と集団行動って全く関係ないように感じられますよね。
しかし、実は密接な関係があるのです。
集団行動では、何かと誰かに意見を話したり、その意見を聞いたりしなくてはなりません。
またそのグループのルールをしっかり守らなければなりません。
もしも、少しでもルールを破ってしまうと後ろ指をさされたり、仲間はずれにされてしまうんですよね。
集団行動が苦手な人は、そのような人付き合いそのものが苦手だと感じているんです。
そのため、誰かと関わることをしなければ面倒くさいことが起こらないと感じています。
たしかに人付き合いをするからぶつかったりするんですよね。
それってとても大切なことなのですが、もともと人と付き合う生活を送っていないのであれば、またはこれまでに人付き合いをしているなかで問題が発生した過去をもっていると面倒くさいと思うようになってしまうのです。
価値観が人と異なる
十人十色という言葉があるように、十人いれば十通りの価値観が存在するものです。
しかし、多くの人はその自分自身の価値観ニ目をつむったり誰かにさらすことなく、皆に合わせて活動しています。
そうもしないと、集団行動が成り立たなくなってしまうからです。
しかし、集団行動が苦手な人というのは、そのよに誰かにあわせることができません。
というより、価値観そのものが本当に異なっているのです。
そうもなれば、誰かにあわせるなんていう考えは浮かびませんし、自分だけの道を貫こうとします。
しかし、現代ではこのように価値観が違う人を異端者として扱う傾向が多いですよね。
いわゆる一般的に”普通”とよばれていることを行なうことができなければ、たったそれだけで「変な人」として捉えられてしまうからです。
一般常識といわれていること、そしてこの価値観を持つことが当たり前だといわれていることが本当に当たり前なことなのかは、分からないものです。
それはたくさんの人々が集団行動を行なっていくうえで決めた暗黙のルールなのです。
そのような縛られた価値観にあわすことを”あえてしない”のが集団行動が苦手だと思う人なのかもしれません。
人が嫌い
そもそも根本的に人が嫌いという人は、誰かと交流することを嫌がります。
その結果として、集団行動が苦手になってしまうのです。
集団行動をしていれば、集団に属するわけですから嫌でもどんなに落ち込んでいる日であっても、誰かと交流しなければなりません。
それに何をしても周囲の目がありますし、いやなことを言われるかもしれませんね。
また、人が嫌いな人は一人で行動することを好む傾向があります。
誰かといれば何か問題が起きないように気を遣わなければならないですし、それが面倒くさいとも感じますし、いや、そもそも人間そのものが嫌いなんですね。
人間そのものが嫌いだと生きていく上では、少し困難を伴います。
それでも好きになろうとしないのは、人という心や状況に左右されてしまう性質を嫌うからなのでしょう。
あなたは、人が好きでしょうか?
本当は好きではないのに、すきなフリをしているのではないでしょうか?
ひねくれている
ひねくれた性格の人も集団行動を苦手だと考えがちです。
ひねくれている人は、一筋縄ではいかないところがありますよね。
普通ならこうするところを、別の態度で示す。
または、相手が何か良いことをしてくれたとしてもそのことには何か裏があるのではないかと疑ってしまいます。
そのようにすべてのことをそのまま素直に受け取ることが出来ないのです。
また、ひねくれている本人は自分自身がひねくれているという自覚を持つことはありません。
しかし、ひねくれているのです。
そのような態度をしていると自然と人が離れていくものです。
だって、素直ではなくていつも疑っているような人と一緒にいても楽しくないですし、気持ちが悪いですよね。
そのため、周りの人が離れていってしまう=集団行動が苦手だと思うようになってしまうのです。