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無心な状態の解説と、それくらい没頭できる趣味を作るべき7個の理由

あれもこれも、ストレスで頭も心もいっぱいになっていると、すごく疲れてしまいますよね。

そんな時には、何も余計なことを考えなくてもいいような無心の状態になれたらいいな~と思う時があるかもしれません。

ストレスになっている出来事や、消極的な感情から解放されて、自分の世界に没頭できたら気持ちも少しは休まるかもしれませんね。

でも、よく「無心状態」とか「無心になる」っていうけど、「無心」っていったいどんな状態なんでしょうか?

どうやったら無心になることができるのでしょうか?

今回は、「無心」という言葉の解説とともに、無心になれるおすすめの趣味についてご紹介していきたいと思います♪

この記事の目次

️無心とはどういう状態なのか

頭がごちゃごちゃして、心もストレスでいっぱいになっているときはすごくイライラしていたり、もう疲れ切ってしまうことがありますよね。

そんな時には無心になって、ストレスとなっていることや、自分を悩ませていることからちょっと解放されたいと思う時があるのではないでしょうか?

でも、みなさんが無心になれるときってどんな時でしょうか?

というか、無心とはいったいどんな状態なのでしょうか?

漢字を見ると「心が無い」ということですけど、「心を無くす」というとちょっと恐い感じもしますよね。

無心とはいったいどんな状態のことなのか、正しい理解を確認してみましょう。

邪念がない

無心とは、邪念のないこと、と言われることがあります。

邪念とは、悪いことを考えている心のことです。

わたしたちの心はいつもいいこと、積極的なことばかりではなく、人へのイライラとか、人への憎しみ、文句など、負の部分を持っているのではないでしょうか?

そんな心の負の面を持たない、ということが無心ということです。

つまり、心がきれいで、邪なところがない状態です。

逆に邪念があるとは、動機などが純粋ではなく、下心があったり、偽善的であったりすることです。

悪い心がない、なんて難しいけど、悪い心とか悪意などを持っていると、自分自身が疲れちゃったり、自分に大きなダメージがきますよね。

他人への憎しみの気持ち、憎悪などを抱いていると、他人に害がある以上に、その気持ちを宿している本人を一番害する、と言われています。

ですから、そのような心の中の負の部分、時には邪な部分があるとしても、それを無くすということが無心になるということなのです。

余計なことを考えない

無心には、雑念がないということで、余計なことを考えないということも含まれています。

仏教を信仰している人たちが目指したものでもあります。

「無念無想」「無我の境地」などという言葉を聞いたことがあるかもしれません。

「無念無想」とは、何も考えない、ということです。

そして、思慮がなくなることを、思想念を離れることを「無我の境地に入る」と言います。

つまり、あらゆる雑念を無くして、心がまっさらになった状態のことを「無心」と表現しているようです。

昔の禅僧の一人は、「無心とは一切愚痴の心な気を言う」という言葉を残したようです。

よく、座禅を組んだり、修行として質素な食事をしたり、お寺をお掃除したり、さらには托鉢に行く姿をテレビで見ることがあるかもしれません。

そのようなことを「なんでこんなことをしなくてはいけないんだ」とか「こんなことに何の意味があるんだ」「めんどくさい」「いやだな」、というようことを一切考えない、というのが無心だと言っているようです。

そうすると、無心ってかなりレベル高いですよね。

だって、嫌なことやめんどくさいことに対しても、何も考えずに事に当たるってことです。

まあ、余計なことを考えるのをやめた状態、何も考えない、それが無心になるということなのでしょう。

集中している


一つの物事に集中しているときにも「無心になる」ということがありますよね。