CoCoSiA(ココシア)

中庸とはどういう意味?使い方や例文・類語・対義語・英語表現を紹介します

中庸という言葉の意味を、あなたは知っていますか?

おそらく中庸という言葉の意味を知らない方も多いと思います。

今回は、中庸とはどういう意味なのか、具体的に使い方や例文、類語などをご紹介していきます。

中庸の読み方は?

中庸は「ちゅうよう」と読みます。

「庸」という漢字には、「かたよらない、ふつう」などの意味があります。

中庸の意味は?

中庸には「①かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。」「②アリストテレスの倫理学では徳の中心になる概念」という意味があります。

かたよることなく、常に変わらないこと

中庸には「かたよることなく、常に変わらないこと」という意味があります。

これは「それが何かしらの基盤である」と考えることができます。

難しい言葉で言ってみれば、世の中の真理や世の中の仕組みという部分で、どんな状況になっても、それが一方に偏ったりすることや変化するようなことがなく、常にそのままの状態であり続けることというような解釈をすることができます。

過不足がなく、調和がとれていること

中庸は、「過不足がなく調和がとれていること」という意味もあります。

これは、様々な場面で用いることができる言葉です。

例えば、過不足がなく調和がとれているような精神状態のことを、「中庸な精神」と表現することができます。

中庸な状態にあるという事は、何事も過不足がなく、安定している状況である、ということを意味しています。

今の状況などを簡単に説明するときに用いられる言葉として使うことが出来ます。

アリストテレスの倫理学では徳の中心になる概念

中庸という言葉は、アリストテレスの倫理学においては、「徳の中心になる概念である」と表現することができます。

紀元前384年前に生誕しているアリストテレスは、古代ギリシアの哲学者です。

アリストテレスが論じている倫理学の中で、『理性的に生きるためには中庸を守ることが重要である』と説明をしています。

「中庸にあたるものは恐怖と平然に関しては勇敢が必要であり、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華が必要であり、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知が必要である」と説いています。

そして、それらを徳として表現しているのです。

中庸という言葉はもともとは儒学からきている

中庸という言葉は、もともと儒学という学問からきています。

儒教の中でも四書と呼ばれるものの中の一つであり、儒学において中庸という事は欠かせない存在です。

具体的にどういう事なのか、簡単にご紹介します。

儒学の中心概念として尊重されてきた言葉

まず儒教というものは、人間の中の徳性を尊ぶことによって、様々な人間関係を円滑に維持するということを目的としている教えです。

ここでも徳という言葉が出てきます。

この徳性を意識する事によって、人間関係をより良いものにして自分の人生を円滑に進めるという事の必要性を教えてくれる学問です。

儒教の中でも人間の徳性に関してはいくつか存在しており、その特性は仁、義、礼、智、信という5つのものを五常という風に表現をしています。

つまり、これらを簡単にいうと、 仁とは人への思いやりであったり愛など、儒教の根本をなしている大切なものです。

次に義とは、損や得などにとらわれずに、人が本来すべきことを意味しています。

つまり、損得などを考えて情に流されやすいような考えをしないという事です。

そして、礼とは仁を行動で表すような事であり、具体的な慣習を意味しています。

智は学問に励む事、信は約束を守る事という意味合いをそれぞれ持っています。

これらを守り、意識する事が大切であるという事を教えてくれるのが儒教です。

その儒学を広めたのが孔子です。

孔子も中庸の徳たるや、それ至れるかな、という発言を行っており、それが文献にも残っています。

これは、中庸の考えが徳に通じる、という意味合いを持っているので、儒学の中心概念としても存在していると考えることが出来ます。

仏教でいう「中道」と同じ概念ではない?

仏教用語の中には「中道」という言葉が存在しています。

中道とは、簡単に言うと「両極端の考え方や態度を避ける」という事です。

例えば、両極端なものの例としては、「苦しい」と「楽しい」です。

苦しいの極端を考えると、自分を苦しめるばかりの苦行の道と考えることができます。