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中庸とはどういう意味?使い方や例文...(続き3)

そうやって、偏った考え方を持つようになるということも十分に考えられるからです。

簡単に言えばたくさんの影響を受けるからこそ、考え方は変わるのです。

その自分の考え方をずっと変わらずに保ち続けるということは難しいと言うことです。

あなたも毎日の中で、きびきび朝から晩まで頑張って動いた日もありますよね。

逆に、一日中だらけて、何の生産性もない時間を過ごしたようなこともあると思います。

先ほど例に出した『苦しい道』と『楽しい道』という事を照らし合わせると、これらも考えによっては両極端な一日となるはずです。

中庸な考え方でいえば、 頑張りすぎる事も良くないです。

そして、休みの日だからといってダラダラと何もしないことも良くないと考えることができます。

つまりは適度に、毎日規則正しい生活をします。

そして、なおかつ頑張りすぎて無理をしない生活を続けていくことが、中庸な考え方と捉えることができます。

そう考えた時に、誰しもが休みの日はゆっくりお昼まで寝たいと考えます。

全てを中庸にするという事は、なかなか難しい考えであると言うことが理解いただけると思います。

その時々で、物事を偏りなく、判断しなければならない

中庸な考え方を身に付けたいと考えた時には、その時々で今自分が置かれている状況を偏りがなく、冷静に判断しなければいけないということです。

先ほどお伝えしたように、生きていると様々な出来事があったり、たくさんの影響を受けたりします。

その時々で、物事を冷静な判断で見るということは、なかなか難しいことですよね。

例えば、相手の行動でイライラさせられて、冷静な精神状態でいられない時に、仕事などで冷静な判断を下さなければいけないという状況があったとします。

やはり、イライラしてしまうと冷静な判断は下せないですよね。

それに、偏った考え方で物事を判断してしまいがちになってしまいます。

常に自分自身が置かれている状況を冷静に振り返って、あらゆる物事を偏りがなく判断しなければ中庸な考え方は出来ません。

中庸な考え方や判断を行うには、ある程度訓練された考え方や、精神がなければ簡単には行えないのです。

それが人生でとても大事な事である、ということをアリストテレスや孔子は証言しているのです。

かなり大昔でも、このように確信をついた人生において大事な事を理解しているという事は、とてもすごいことです。

言ってみれば、この考えが大昔から現在にいたるまで信じられて、大事なされているということです。

もしかしたらそのこと自体が、中庸であるという事を意味しているのかもしれません。

今でも変わらずにぶれずに、大事な事としてあり続けているのはまさしく、中庸自体がそうであると判断せざるを得ないからです。

中庸の使い方や例文を紹介

ではここからは、具体的に中庸の使い方や事例についてご紹介をしていきます。

例文を交えて使い方などを理解する事で、実際の日常の会話などでも使用できます。

また中庸という言葉が出た時に、文章の内容を把握できるようになり、より中庸という言葉について掘り下げて理解することが出来るでしょう。

最初は難しいかもしれませんが、だんだん慣れていくと簡単に用いることが出来ます。

この機会に中庸という言葉の正しい使い方まで理解してください。

中庸な精神の発揮は健康にいい

中庸な精神という言葉は、「常に変わらない精神を持つ」という意味合いになります。

日常生活を送っていく中で、たくさんの出来事や人との関わりが生じます。

その影響によって、自分の考え方や精神は少なからず影響を及ぼされることが考えられます。

例えば、今まで自分が信じていた事を、それが正しくないということを誰かの発言によって考えさせられたとします。

自分が今まで信じていたことが間違いであったという事実に気付いた時に、少なからず人は動揺します。

そして、それが本当に信じて良いことなのかを考えるようになります。