つまり、その意見は中庸を得るという事で表すことが出来ます。
別の言い方で中庸を得た意見というような表現の仕方も可能です。
日常生活においても、 例えば、あなたが付き合っている異性の相手と喧嘩をするようなことがあったとします。
相手と喧嘩をするのは、自分が正しいと思ってることを否定されたり、自分が間違っていると思っていることを、相手は正しいと思っているからです。
自分と相手の意見が対立する場合がほとんどですよね。
その時には解決策として、中庸を得ることが大事だと考えられます。
このようにして、中庸という言葉を使う事もできます。
物事の解決にも繋がる考え方のひとつとしても存在しています。
中庸の徳が説かれる
中庸の徳が説かれるという言葉は、一見すると全く何を言っているか意味がわからないかもしれません。
冒頭の部分でご説明した通り、中庸という言葉は、「アリストテレスの倫理学のなかの徳の部分にあたる」ということをご紹介したと思います。
また、孔子の儒教の中の大切な考え方でもあるという事をお伝えしました。
それを踏まえれば、中庸の徳が説かれるという言葉は、倫理学の主要な概念の一つであるという言葉の意味として考えることができます。
倫理学はアリストテレスが導き出したひとつの答えです。
その概念の中でも、比較的大部分の大事な意味合いとしてとらえられています。
そのままの意味として用いることが出来ます。
しかし、なかなか日常生活なのでアリストテレスの倫理学の話や、孔子の儒教の話などは出てこないと思います。
用いる機会としては少ない例文になると思います。
ですが、中庸と言う言葉の意味を正しく理解している方であれば、そこまで難しくはありません。
この意味を知っておくと、アリストテレスの話が出た時に、十分に理解をすることができます。
中庸を維持する
中庸を維持する、という言葉はそのままの意味ですね。
「過不足のない調和の取れた状態を維持する」という意味合いです。
または「常に変わらない事を維持する」という意味合いとして捉えることが出来ます。
どういう風に解釈するかで若干意味合いが変わる言葉です。
しかしながら、そこまで大きく意味が変わる事はありません。
例えば、先ほどご紹介したように、何らかの影響によって、自分が考えていることは信じていることに揺さぶりをかけられるようなこともあると思います。
もしくは、スポーツなどの場面で、相手が自分よりも優れたパフォーマンスをします。
そして、それに動揺して、自分に自信をなくしてしまう精神状態へ移行する場合もあります。
しかしながら、そんな時に相手の影響を受けないために、中庸を維持するという言葉を用いることができます。
例えば、中庸な精神を維持する、という言葉であれば、周りの影響を受けない精神を維持する、という意味合いでも通じます。
過不足のない調和のとれた精神状態を維持する、という意味としても解釈できます。
いずれにしても、「自分がやってきた事を信じて、周りの影響を受けずに自分を信じて貫く」という言葉として捉えることが出来ます。
難しい言葉ですが、正しく意味を理解して用いるとかっこ良い言葉として使用できます。
中庸主義者である
中庸主義者であるという例文は、「正しい中間の立場を好む」という意味になります。
中間の立場であるということです。
主義者という言葉は、その思想を持っている、好んでいる人だと証明する言葉なので、中庸主義者はこのように解釈できます。
「平和主義者」という言葉が若干ですが、似ている言葉になるかもしれません。