でも実際は、自分を客観視出来ておらず、付いて来てくれた人の気持ちを考えていないのはその人なんですよね。
筆者も出会ったころはその人が、人徳がある人の様にも見えていました。
でも到底、人徳があるような人ではありませんでした。
何度も裏切られ、手のひら返されたのはこっちのほうで、それに気付いていないのが残念でならないのです。
一方で人徳がある人は、リーダー性やカリスマ性もあり、人の気持ちも考えることが出来るんです。
それは、その人を慕ってくる人にとって、とても嬉しいことですよね。
気持ちを思いやり合うことが出来るのですから、信頼性も高まるでしょう。
そうやって築かれた絆は、何があっても壊れることは無いと思います。
人の気持ちを考えられるということは、信頼を生み、人に喜びをも与えます。
人徳がある人はそうして、人徳がある人と呼ばれるのです。
人の幸せを喜べる
人の気持ちを考えられる人徳がある人には、もちろん“人の幸せを喜べる”という特徴もあります。
人は時に、他人の幸せに妬みや嫉妬感情を抱きます。
それは何故かと言うと、その人と自分を比較するからですよね。
自分の状況がその人のような幸せな状況じゃなかったり、また、その人との日ごろからの関係性が悪い場合も、恨みや妬みの感情が沸いて来てしまうでしょう。
人徳がある人が、人の幸せを素直に喜べるのは、やはり人の気持ちを考えられるからですよね。
また、常日頃から人への思いやりの気持ちを持っているので、その人の立場に立って気持ちを感じることができ、まるで自分のことのように一緒に喜べるのです。
そこに、自分と相手との比較なんて全くありません。
人の幸せは自分にとっても幸せなこと。
そんな感覚を持っているのが、人徳がある人だと言えるんですよね。
穏やかで落ち着いている
そして人徳がある人が、人の幸せを素直に喜ぶことが出来るのは、“穏やかで落ち着いている”という特徴があるからでしょう。
人の立場に立って気持ちを考えたり、人の幸せを一緒に喜ぶには、まず自分が平常心でいなければなりません。
いくら人間性が素晴らしい人でも、自分が苦しい状況に置かれていたり、深い悩みを抱えていたら、他人のことを考える余裕はありません。
そんな状態で相手の幸せを喜んでいたとしても、それは無理をしているということになってしまいます。
つまり、自分を犠牲にしているということなんですよね。
自己犠牲の精神が持て囃されることもあり、それも確かに素晴らしいことですが、誰かの犠牲の上に成り立つ幸せを、本当の幸せとして受け取れる人は少ないと思います。
有りがたいとは思っても、同時に誰かを犠牲にしているという、罪悪感まで受け取ってしまいます。
人徳がある人と言うのは、相手にそんな重荷を背負わせることはないでしょう。
それは、人徳がある人に、いつも穏やかで落ち着いていられる精神性があるからです。
だからこそ、周囲の人は人徳がある人の気持ちを素直に受け取ることが出来るし、安心して心を委ねることが出来るのです。
前向きな姿勢
また、人徳がある人は、いつも“前向きな姿勢”だったりもします。
きっと、時には悩むことだってあるし、苦しむことだってあるでしょう。
だけど、そんなところをあまり見せないですよね。
いつも前向きな姿勢でいる人と一緒にいると、周囲の人は安心していられます。
後ろ向きだったり悩みがちだったりすれば、周囲の人は心配するし、頼りにすることが出来ません。
人徳がある人は自分を客観的に見られる人ですから、自分の態度によって、周囲の人にどんな影響を与えるかも分かっているのでしょう。
だから、自分が前向きな姿勢でいることで、周囲の人の指標となっているのです。
それに何より、前向きな人は見ていて清々しい印象を与えますよね!周囲の人はその姿に、勇気をもらったり、学ばせてもらったり出来るんです。