突然ですが、最近叱責(しっせき)されたことはありますか?
叱責とは、ただ叱られるだけのものではありません。
叱責の意味は後々見ていきますが、叱責は自分の悪いところを指摘されるものだけに、できれば避けたいところではありますよね?
どんなに相手のことを思ったゆえの叱責であっても、相手からすればその時はただただ気持ちが沈むことも多々あるでしょう。
そんな叱責は、叱責する側の言い方や度合によっては、叱責される側を深く傷つけてしまうこともあります。
そこから立ち直るのに時間を要する場合もあります。
そうならないためにも、「叱責をする時の16個の注意点」と題しまして、叱責における様々な工夫などをご紹介します!
叱責するときのポイント
それでは、叱責するときのポイントをそれぞれ見ていきましょう!
理由を述べる
まず、頭ごなしに叱り飛ばす前に、相手に理由を述べることが大切です。
叱られる側が理由もわからないままに叱られては、自分の何が悪かったのか、何を改善したら良いのか、何について相手に謝ったら良いのかなどがうやむやになってしまいます。
理由を述べることで、叱責する側も一息ついて冷静になることもできます。
冷静になったうえでなら、更に的確な叱責をすることができるでしょう。
理由とは言え、長々としたものにならないように気をつけましょう。
そうでなければ、理由を述べているうちに更なる怒りが湧いてしまう可能性がありますし、聞いている側も本題の叱責に入る前から気が滅入ってしまいます。
前置きとまではいきませんが、言いたいことは本題の叱責の中に収めましょう。
短く
叱責と言えども、延々と続いてしまうと、お互いに疲弊してしまいます。
叱責する側は体力だけでなく、神経も使いますし、叱責される側はとにかく緊張して萎縮してしまうからです。
とは言え、あまりに短くし過ぎても、何を言いたいのかが相手に伝わらなければ、本末転倒です。
それでまた同じ過ちを繰り返してしまっては、せっかくの叱責さえも徒労に終わってしまいます。
要所だけをまとめて、できるだけ短く済ませることで、お互いにストレスを溜めることを減らすことができるでしょう。
叱責はパワーを消費するものです。
長いことが全て悪いとは言いませんし、時には必要なものであることに違いはありません。
ただ、その方法が向く時と向かない時があるだけのことなのです。
肝心なことを言う前にパワーを使い果たしてしまわないように、相手にも理解しやすいように、短く・簡潔にまとめましょう。
短い叱責の中に濃縮するのは難しいことではありますが、経験を積む中で培われていくものです。
裏でこっそりと
誰であっても、人前など目立つところで叱責されてしまうことは避けたいところです。
叱責されることに傷つくだけでなく、その場にいた人たちに好奇の目や同情の目を向けられることで更に傷ついてしまうことも考えられます。
それが自分のライバルや友達、苦手な人問わずです。
どの相手であっても、自分の都合の悪いところは知られたくないものです。
人がいるところだから加減してくれる人もいれば、人の前だからと力が入って叱責の度合が強まってしまう人もいます。
叱責だけに限らず、何かをするにあたっては、時と場合、場所を選ぶことは必要なことです。
それらが1つでも違ってしまえば、予期せぬ歪(ひず)みができてしまうこともあります。
叱責をするにしても、できるだけ人の目に触れにくいところで済ませましょう。
改善点も同時に話す
ただ叱るだけで終わってしまっては、改善の余地がありません。
叱責された側には、叱責されたことだけが頭に残ってしまい、そこから全員が全員自己流で改善しようとする人ばかりとは限りません。
何が悪くて、どう改善すべきなのかをしっかりと伝えてあげることで、良い方向へ進むレールへの足掛かりにすることができます。
飴と鞭とまでは言いませんが、叱る鞭の後には、しっかりとアドバイスと言う名の飴も与えることで、やる気を損ねることは避けることができるでしょう。
改善の余地があるかないかで、そこから進めるか進めないかも変わってきます。
叱責するからには、こんなやり方もあるなどの具体的なことを伝えてあげることも必要です。
お酒は利用しない
叱責するにあたって、お酒の勢いを借りることはおススメできません。
お酒の全てを否定するわけではありませんが、相手と対等に話しをしたい時には向きません。
素面(しらふ)の状態で冷静に相手と向き合うことが、叱責をするうえでは必要なことではないでしょうか?
相手を正したいのであれば、まずは自分を律するべきです。
自分を律することもできない人間が、相手を叱責する資格はありません。
聖人君子でいるようにとまでは言いません。
そんなことは不可能です。
しかし、叱責する時にはお酒は利用しないに限ります。
お酒のにおいがする人に言われても、説得力に欠けます。
相手に叱責するのと同時に、自分も同じような間違いをしないように心がける好機にもなりえるでしょう。
質問しながら
叱責をする中で、相手に質問をすることで、自分の何が足りなかったのかなどを自分自身で気づかせる好機になるでしょう。
叱責する側がアドバイスとして伝えることも1つの手段ではありますが、自分で気づいてもらえることこそが成長できる所以(ゆえん)ではないでしょうか?
辛抱強さも必要なやり方ではありますが、優しく諭すやり方とも言えますね!
人に言われて気づくよりも、自分で気づいた時の方が、衝撃は大きいでしょう。
衝撃が大きければ大きいほど、その反動でどこまでも成長し続けることができるでしょう。
自分の欠点に気づくこと、認めることは勇気がいることではあります。
が、この「質問しながらの叱責」が助走やジャンプ台のように勢いをつける起爆剤になるのではないでしょうか?
段階を踏んで、1つ1つ解決に導いていくことで、相手の改善の度合も早まって、質も高まるでしょう。
感情的にならない
?責しているうちに、つい感情的になってしまう場合が少なからずあるでしょう。
人は喜怒哀楽を兼ね備えているだけに、怒りの感情はあって当然ではありますが、怒りに任せて言い過ぎてしまっては後で後悔してしまうことにもなりかねません。
伝えたいことを伝えるのに、必要以上の感情をむき出しにすることはありません。
人を諭したい・正したい側の人間が、感情だけで物を言ってしまっては、たとえ正しいことを言っていたとしても、言われる側の人間からすると嫌な気分しか残らないかもしれません。
感情的にこられては、受ける側も感情的になってしまうことは必至です。
感情的になること自体が悪いのではありません。
感情をコントロールできないことが良くないのです。
天秤(てんびん)のように、どちらか一方にのみ偏ることなく、バランス良く感情を保つことが大切です。
感情は二の次にして、まずは目の前にある叱責に集中しましょう。
キャラクターに触れない
叱責する際、その人のキャラクターに触れることは良くないです。
その人の個性や人格まで否定してしまっては、言われる側の立つ瀬がなくなってしまいます。
そこからどんどん本来の叱責の目的から脱線していってしまうことも予想されます。
そうなってしまっては、「木乃伊(みいら)取りが木乃伊になる」と言っても過言ではありません。
その人のキャラクターを引き合いに出して叱責をする必要はないはずです。
人それぞれの個性やキャラクターがあってこそ、それぞれが輝くことができて、それぞれの長所を生かすことができて、短所でさえも別の形で表すことができるのではないでしょうか?
何にしても言い出したらキリがないことなので、本来の叱責する理由にだけ留めましょう。
比較しない
叱責をすると同時に、他の人と比較しながらと言うのもよろしくありません。
例えば、できる人を例に挙げて、「この人のように段取り良くしたら良いよ。」とアドバイスとして伝えたいのかもしれません。
が、言われる側としては、ただでさえ叱られることで凹んでいるのに、誰かと比較されることで更に輪をかけて凹んでしまうでしょう。
その相手が自分のライバルだったり、負けたくない人であったなら、その凹みは予想以上に大きいものになるはずです。
逆にそれで闘志を燃やしてやる気が芽生える人もいますが、決して良い気分ではないことだけは否定できません。
たとえ自分が引き合いに出された相手の実力をわかっていたとしても、それゆえに反発心が出てしまうこともあるでしょう。
なので、誰かを引き合いに出して叱責をすることは、控えた方が無難でしょう。
根に持たない
怒りの感情は後を引くことが多いです。
が、いつまでも過ぎたことを根に持っていては、せっかく改善しようと頑張っている人の妨げになってしまいます。
叱責が終わった時点で、そのことを手放して、もう一度広い心を持って相手のことを見てみてはいかがでしょうか?
過去に捉われていては、前に進むどころか身動きすら取れなくなってしまいます。
怒りの感情は、使い捨てカイロのように、その日限りで消し去りましょう!
そうでなければ、怒りの感情で支配されて、普段なら見えるものさえも見えなくなってしまいます。
頭のどこかに怒りの感情がくすぶっている限り、いつまでも心に嫌な感情が残ってしまいかねません。
感情は心ありきではありますが、まずは頭を切り替えましょう。
あるきながら考える
何かをしながら考えると言うのも、叱責をする時のポイントとも言えますね。
中でも、あるきながらと言うのがおススメです。
立ち止まって考えると、考えることだけに思考が集中してしまい、叱責の内容が色濃くなって必要以上のことまで口にしかねません。
あるきながら考えることで、少し冷静さが加わることで、叱責の内容を和らげることができるかもしれません。
煮詰まった時は、あるきながら考えてみてはいかがでしょうか?
あるきながら叱責の内容を取捨選択して、言い過ぎず・言わな過ぎずを心がけましょう。
ただし、「あるきながら」なので、周りの人や物にぶつかるなどの注意散漫には要注意です!
ルールを決めること
叱責のルールを決めてみると言うのもどうでしょうか?
勢いのまま、やみくもに叱責してしまうよりも、ルールに沿った叱責の方が余分な叱責にもならず、言葉足らずの叱責になることもなくなるでしょう。
これだけは最低限伝えよう、これ以上は言わないなど前もって決めておくことで、無駄のない叱責をすることができるでしょう。
同じ叱責でも、人それぞれ言い方や内容が違ってきます。
それは、言う側の口癖や価値観などによって中身が変わってくるからです。
自分が言いやすいルールに乗っ取って、叱責をスムーズに済ませましょう。
叱責に限らず、こうした要領の良さは、他のことにも生かすことができるはずです。
ルールは守るためにあるものです。
それを破らない限り、叱責が失敗に終わることはないでしょう。
怒鳴らない
叱責をすると言っても、怒鳴らないことが肝要です。
怒りの感情が上がっていくほど、声の大きさも比例して大きくなってしまうことは、よくあることです。
怒鳴られる側は、ただただ萎縮(いしゅく)してしまい、言いたいことも言えず、叱責を聞くのが苦痛になってしまうでしょう。
必要なことを言うだけなのに、怒鳴る必要はないわけです。
怒鳴らなくても、必要最低限のことを伝え、諭すことはできます。
怒鳴られてしまっては、怒鳴られる側も感情的になってしまいかねないので、要注意です!
叱責なので怒りの感情が沸き上がるのは仕方ないことではありますが、怒鳴るよりも淡々と言われることで実感が増すこともあります。
怒鳴ることだけが叱責ではないと言うことを覚えておきましょう。
直接叱責する
叱責をするのに、直接でなければ意味がありません。
大事にしたくない、手間を省きたい、自分が悪者になりたくないなどの理由から、直接叱責することを避けてしまいたい気持ちはわからなくはないです。
が、何のために叱責をするのかを考えたら、そんな理由は理由にはなりません。
きちんと相手に向き合って、何が悪くて、どうしたら良いのかを導いてあげてくださいね。
相手を前にしたら、色々なことが頭を巡って、心情も複雑になってしまうでしょうが、本来の叱責の目的を見失わないようにしましょう。
今の時代、メールやLINEなどで済ませることも多く、直接会わなくても伝えられることはできます。
が、面と向かって話すこと以上に、伝わる力が強いものはありません。
直接話すことで、相手の気持ちの度合や叱責の重要性を言葉だけでなく、肌でも感じられるでしょう。
直接話すことは、それだけ大切なことだと言えますね。
理念やビジョンを元に
「理由を述べる」の応用とも言えるのが、「理念やビジョンを元に」ではないでしょうか?
理念とは「こうあるべきだ」と言う考え方、ビジョンとは「将来の構想・未来予想図」を表します。
つまり、先を見据えたゆえの考え方や理想を元に、論理的な叱責になると言うことです。
よって、理念やビジョンは、とても大きな意味を為すものです。
それらを以てして叱責されることで、叱責の重大さが一段と身にしみることになるでしょう。
理由を述べる時は自分なりの解釈や経験でものを言いますが、理念やビジョンならばそれらを基本に相手を諭すことができると言うわけです。
そうした軸があるからこそ、それらを守ることで秩序やバランスが保たれるのかもしれませんね。
約束する
叱責の中に「約束」も加えることで、同じ間違いを繰り返さないことにつながります。
叱責される側としても、その「約束」は絶対的なものになるでしょう。
時間が経てば薄れてしまうかもしれませんが、完全に消えるものではないはずです。
一度間違えて叱責されたことは、二度と繰り返したくないものです。
約束の効力は侮(あなど)れません。
「武士に二言はない」と言う言葉もあります。
一度口にしたことは、よほどのことがない限り覆すことはないはずです。
叱責される側も、「これだけは守ろう!」「これ以上は厳禁」と言った判断基準につながるでしょう。
褒めるのはカンタン、叱責するのは難しい
「褒める」と「叱責」では、真逆の意味を備えていますよね?
褒めることは肯定的なことを表し、叱責は否定的なことを表します。
褒めることは相手の気分を良くするもので、叱責は相手の気分を害するものです。
これらのことから、褒めることは楽でカンタン、叱責は決していい気分ではできず難しいことに違いないと言うことが言えるわけですね。
ですが、どちらの行為も相手のことを見ていてこその行いであり、そこに悪意はないはずです。
同じように褒められたリ叱責されたりしても、受け身側の捉え方によっては意味合いが良くも悪くも変わってきます。
どんなに相手のことを思ったり、良かれと思って言ったことであっても、相手が嬉しいと思うか嫌だなと思うかはわかりません。
その時の相手の気分などによっても左右されるでしょうし、伝える側の言い方によっても変わります。
しかし、褒められたにしても叱責されたにしても、どちらも素直に受け止めたら良いと思います。
思っていないことをわざわざ言葉にすることはないでしょうから、自分に向けられた言葉を受け止めることで見えてくるものがあるはずです。
その時は向けられた言葉の真意がわからなかったとしても、後々になってわかることもあるでしょう。
気づくことに、遅いなんてことはありません。
気づいた時から動き出せば良いのです。
そして、いつか自分が誰かを叱責する場面に直面した時、自分が叱責された時に何を感じ、その後どうしたのか、叱責をどう生かしたのかを思い出してみてください。
あなたの叱責を相手がどう受け止めて生かすかは、その人次第として、あなたは自分が正しいと思うことを相手に教え、諭してあげたらいいのではないでしょうか?
難しいことではありますが、何事も動かなければ何も変わりません。
「当たって砕けろ」精神で、相手に体当たりする勢いで相手に向き合いましょう!
叱責とは?
ここまで叱責についてあれこれ見てきましたが、そもそも叱責とはどういう意味なのでしょうか?
「叱って責める」と書くだけに、内容が厳しくて怖そうに感じてしまいますね。
そんな叱責の意味や例を、以下の項目で見ていきましょう!
意味
叱責とは、相手の失敗や怠慢に対して、叱って咎(とが)めることを表します。
とは言え、ただ叱るだけではありません。
相手に期待しているからこそ、あえて叱責と言う名の鞭を打つのです。
その鞭の加減は人それぞれではありますが、どうでも良いことに対して叱責なんでするわけがありません。
叱責をするからには、それ相当の理由があるのです。
それと同時に、相手に対して「次からはこうした方が良い」と言ったアドバイスなども添えてあげられるとベストですね!
使い方例
では、「叱責」と言う言葉を使った例をそれぞれのパターン別にご紹介します!
使い方を間違えてしまうと誤解を生じてしまうリスクがあるので、しっかりと見ていきましょう!
職場で
先輩に職場での態度を叱責された。
上司に仕事以外の言動を叱責された。
これらの例文は、職場ならではのエピソードとも言えますね。
きっと、上司や先輩も同じように指導されてきたのでしょう。
叱責された時はショックでも、相手が自分に期待しているからこその叱責なんだと前向きに考えましょう!
そしていつか、あなたに部下ができた時、同じようなエピソードを経験するかもしれません。
昔の自分と部下を重ね合わせることで、見えてくるものもあるでしょう。
あなたが?責する立場になった時、それらを参考にしたうえで叱責するのもいいでしょう。
家庭内で
母親に学校の成績について叱責された。
父親に夜遊びについて叱責された。
これは、誰しも一度は経験があるのではないでしょうか?
その時は素直になれなくても、自分が親になった時、きっと親の気持ちがわかる時がくるはずです。
「自分にも同じようなことがあったなぁ」と振り返ることができるでしょう。
これらは、親だからこそできる叱責と言えますね。
そして、親だからこそ反発してしまうこともあります。
大切に思うからこそ厳しいことを言ってしまう、それが親子ではないでしょうか?
それだけ思われること、思ってくれる存在がいることは、とても幸せなことだと思います。
友人に
友人に自己中心的な考え方を叱責された。
友人に待ち合わせ時間に遅れたことを?責された。
これは、ありえないとは言えないエピソードですね。
言い方次第によっては、危うく喧嘩に発展してしまいそうなエピソードではありますが、そこで素直になるかならないかは自分次第です。
「悪いことをしたな」と少しでも思う気持ちがあるのなら、いくらでもやり直せますよ。
「仏の顔も三度まで」とあるように、いくら親しい間柄であっても、堪忍袋の緒が切れることはあります。
むしろ、親しいからこそ許せないこともあるでしょう。
自分にとっては些細なこととしか思えないことでも、相手にとっては信じられない!と憤慨(ふんがい)してしまうことかもしれません。
決して軽んじることのないように、誠心誠意をもって相手に謝りましょう。
などの例文が挙げられます。
どの例文も、自分の怠慢や不注意を指摘されていますね。
叱責される側にしたら、「そんなに怒らなくてもいいのに」と思うことがあるかもしれません。
が、相手を叱責することは、叱責する側にとっても辛いことです。
相手が憎くて叱ったり、責めているわけではありません。
全ては、相手を正そう・理解してほしいと言う気持ちの表れなのです。
相手の叱責をまっすぐ受け止めて、きちんと対処しましょう。
類義語
叱責の類義語には、以下のようなものがあります。
?りつける・?り飛ばす・小言・批難
なるほど、叱りつける・?り飛ばすはわかりやすい表現ですよね。
小言・批難は語弊(ごへい)があるかもしれませんが、相手の間違いやたるみを修正しようとしてこその表現と言えますね。
しかし、いくら相手のためを思ってのことでも、度が過ぎれば著しく意味や目的から離れてしまいかねません。
よくよく言葉遣いなどに注意したうえで、使用しましょう。
対義語
叱責の対義語には、以下のようなものがあります。
称賛(しょうさん)
称賛とは、相手をほめたたえることを表します。
確かに、相手を叱って咎めるとは真逆の意味を持っていますね。
叱責と同じように、相手をほめたたえることにも遠慮はいりません。
たとえ相手がライバルであっても、優れていたり・すごいと思うことに垣根はないはずです。
そんな時は、素直に相手を認めてほめたたえることも大切なことです。
相手の実力を認めてこそ、真のライバルと言えるのです。
今回はライバルを例に挙げましたが、それ以外の人にも同じことが言えますね!
どんな相手であっても、素晴らしいと思えることがあるのなら、余計な遠慮や意地は必要ありません。
たとえ言葉にしてほめたたえることができなくても、心の中でなら思うことは自由です。
そうした尊敬の念は、言葉や態度にも表れます。
つまり、心の中で思うことと態度は比例すると言えますね!
叱責するときは言動や感情に注意しよう(まとめ)
以上が、叱責に関する説明や工夫、注意点になります。
叱責する中で、感情が高ぶって攻撃的な口調になってしまったり、ついカッとなって本来の叱責から外れたことを口走ってしまうことがあるかもしれません。
理由があるからこその叱責ではありますが、叱責する側が感情に支配されていては元も子もありません。
相手を前にして感情が先に出てしまうのは、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが、まずは自分自身が客観的になれる余裕を持つべきです。
勢いや感情に任せた叱責ではなく、相手のためを思った・相手のためになる叱責にすることが必要です。
言動には言って良いこと・悪いことがあります。
誰にでも間違いはあるものです。
間違えることだけが悪いことではありません。
間違いに気づいて自分の非を認めることができるか否か、そこからどう行動するのか否かなどによって変わってくるのです。
それを教え、諭すだけなら、語気を強める必要はありません。
根本から変える勢いで叱責するからこそ、言葉遣いもキツいものになってしまうのです。
それでも使ってはいけない言葉はあります。
つい口に出てしまった言葉とは、日頃から思っていたり使ってしまっているからに他なりません。
たとえ相手に非があったとしても、それらを使って良い理由にはなりえません。
キツい言葉遣いは言う側も言われる側も、決して気分が良いものではありません。
それは、周りで叱責が聞こえている人たちも同じことです。
なので、冷静である必要があるのです。
「これ以上は言ってはいけない」と制御することで、的確な叱責をすることができるわけです。
時や場所を考えて叱責することも大切です。
周りからしても、自分が叱責されているわけでもないのに、たまたま聞こえてくる叱責に気分が滅入ることもあるからです。
なので、できるだけ人から離れたところで叱責をするようにした方がいいでしょう。
あとは、叱責される側がどう捉えるかは、その人本人の問題です。
ゆっくりと叱責の内容を噛み砕いてから内容や真意を理解するも、叱責に傷つきながらも前に進むも、時間を要すも人それぞれです。
叱責する側は、自分が相手に対して伝えてあげられることを、惜しみなく伝えてください。
そのうえで、あなたからの叱責を自分の糧にするもしないも、相手次第です。
自分が悪者になりたくない、そんなに言わなくてもと思われたくない、と逡巡(しゅんじゅん)してしまうことがあるかもしれませんが、人からどう思われるかは二の次です。
自分が相手にとって正しい・良かれと思うこと、その人のためにならないことを咎めるのに、何の遠慮がいるのでしょうか?
そう思う時点で、それは相手のためでもなんでもありません。
自分が優先になっては、叱責ではなくなります。
叱責をするのにためらうことも、迷うこともありません。
はっきりと相手に言うことは、いつか相手のためになるのです。
これは決して、叱責する側の自己満足でも何でもありません。
叱責される側にとっても良い勉強になることですし、いつか相手の真意をくみ取れた時、一回りも二回りも成長できている証になるはずです。
そうしたことを繰り返していくことで、人は成長を重ね、次の世代になっても自分たちが教えてもらったことを生かすことができるのだと思います。