怒りの感情が上がっていくほど、声の大きさも比例して大きくなってしまうことは、よくあることです。
怒鳴られる側は、ただただ萎縮(いしゅく)してしまい、言いたいことも言えず、叱責を聞くのが苦痛になってしまうでしょう。
必要なことを言うだけなのに、怒鳴る必要はないわけです。
怒鳴らなくても、必要最低限のことを伝え、諭すことはできます。
怒鳴られてしまっては、怒鳴られる側も感情的になってしまいかねないので、要注意です!
叱責なので怒りの感情が沸き上がるのは仕方ないことではありますが、怒鳴るよりも淡々と言われることで実感が増すこともあります。
怒鳴ることだけが叱責ではないと言うことを覚えておきましょう。
直接叱責する
叱責をするのに、直接でなければ意味がありません。
大事にしたくない、手間を省きたい、自分が悪者になりたくないなどの理由から、直接叱責することを避けてしまいたい気持ちはわからなくはないです。
が、何のために叱責をするのかを考えたら、そんな理由は理由にはなりません。
きちんと相手に向き合って、何が悪くて、どうしたら良いのかを導いてあげてくださいね。
相手を前にしたら、色々なことが頭を巡って、心情も複雑になってしまうでしょうが、本来の叱責の目的を見失わないようにしましょう。
今の時代、メールやLINEなどで済ませることも多く、直接会わなくても伝えられることはできます。
が、面と向かって話すこと以上に、伝わる力が強いものはありません。
直接話すことで、相手の気持ちの度合や叱責の重要性を言葉だけでなく、肌でも感じられるでしょう。
直接話すことは、それだけ大切なことだと言えますね。
理念やビジョンを元に
「理由を述べる」の応用とも言えるのが、「理念やビジョンを元に」ではないでしょうか?
理念とは「こうあるべきだ」と言う考え方、ビジョンとは「将来の構想・未来予想図」を表します。
つまり、先を見据えたゆえの考え方や理想を元に、論理的な叱責になると言うことです。
よって、理念やビジョンは、とても大きな意味を為すものです。
それらを以てして叱責されることで、叱責の重大さが一段と身にしみることになるでしょう。
理由を述べる時は自分なりの解釈や経験でものを言いますが、理念やビジョンならばそれらを基本に相手を諭すことができると言うわけです。
そうした軸があるからこそ、それらを守ることで秩序やバランスが保たれるのかもしれませんね。
約束する
叱責の中に「約束」も加えることで、同じ間違いを繰り返さないことにつながります。
叱責される側としても、その「約束」は絶対的なものになるでしょう。
時間が経てば薄れてしまうかもしれませんが、完全に消えるものではないはずです。
一度間違えて叱責されたことは、二度と繰り返したくないものです。
約束の効力は侮(あなど)れません。
「武士に二言はない」と言う言葉もあります。
一度口にしたことは、よほどのことがない限り覆すことはないはずです。
叱責される側も、「これだけは守ろう!」「これ以上は厳禁」と言った判断基準につながるでしょう。
褒めるのはカンタン、叱責するのは難しい
「褒める」と「叱責」では、真逆の意味を備えていますよね?
褒めることは肯定的なことを表し、叱責は否定的なことを表します。
褒めることは相手の気分を良くするもので、叱責は相手の気分を害するものです。
これらのことから、褒めることは楽でカンタン、叱責は決していい気分ではできず難しいことに違いないと言うことが言えるわけですね。
ですが、どちらの行為も相手のことを見ていてこその行いであり、そこに悪意はないはずです。