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叱責をする時の16個の注意点(続き6)

誰にでも間違いはあるものです。

間違えることだけが悪いことではありません。

間違いに気づいて自分の非を認めることができるか否か、そこからどう行動するのか否かなどによって変わってくるのです。

それを教え、諭すだけなら、語気を強める必要はありません。

根本から変える勢いで叱責するからこそ、言葉遣いもキツいものになってしまうのです。

それでも使ってはいけない言葉はあります。

つい口に出てしまった言葉とは、日頃から思っていたり使ってしまっているからに他なりません。

たとえ相手に非があったとしても、それらを使って良い理由にはなりえません。

キツい言葉遣いは言う側も言われる側も、決して気分が良いものではありません。

それは、周りで叱責が聞こえている人たちも同じことです。

なので、冷静である必要があるのです。

「これ以上は言ってはいけない」と制御することで、的確な叱責をすることができるわけです。

時や場所を考えて叱責することも大切です。

周りからしても、自分が叱責されているわけでもないのに、たまたま聞こえてくる叱責に気分が滅入ることもあるからです。

なので、できるだけ人から離れたところで叱責をするようにした方がいいでしょう。

あとは、叱責される側がどう捉えるかは、その人本人の問題です。

ゆっくりと叱責の内容を噛み砕いてから内容や真意を理解するも、叱責に傷つきながらも前に進むも、時間を要すも人それぞれです。

叱責する側は、自分が相手に対して伝えてあげられることを、惜しみなく伝えてください。

そのうえで、あなたからの叱責を自分の糧にするもしないも、相手次第です。

自分が悪者になりたくない、そんなに言わなくてもと思われたくない、と逡巡(しゅんじゅん)してしまうことがあるかもしれませんが、人からどう思われるかは二の次です。

自分が相手にとって正しい・良かれと思うこと、その人のためにならないことを咎めるのに、何の遠慮がいるのでしょうか?

そう思う時点で、それは相手のためでもなんでもありません。

自分が優先になっては、叱責ではなくなります。

叱責をするのにためらうことも、迷うこともありません。

はっきりと相手に言うことは、いつか相手のためになるのです。

これは決して、叱責する側の自己満足でも何でもありません。

叱責される側にとっても良い勉強になることですし、いつか相手の真意をくみ取れた時、一回りも二回りも成長できている証になるはずです。

そうしたことを繰り返していくことで、人は成長を重ね、次の世代になっても自分たちが教えてもらったことを生かすことができるのだと思います。