「自分にも同じようなことがあったなぁ」と振り返ることができるでしょう。
これらは、親だからこそできる叱責と言えますね。
そして、親だからこそ反発してしまうこともあります。
大切に思うからこそ厳しいことを言ってしまう、それが親子ではないでしょうか?
それだけ思われること、思ってくれる存在がいることは、とても幸せなことだと思います。
友人に
友人に自己中心的な考え方を叱責された。
友人に待ち合わせ時間に遅れたことを?責された。
これは、ありえないとは言えないエピソードですね。
言い方次第によっては、危うく喧嘩に発展してしまいそうなエピソードではありますが、そこで素直になるかならないかは自分次第です。
「悪いことをしたな」と少しでも思う気持ちがあるのなら、いくらでもやり直せますよ。
「仏の顔も三度まで」とあるように、いくら親しい間柄であっても、堪忍袋の緒が切れることはあります。
むしろ、親しいからこそ許せないこともあるでしょう。
自分にとっては些細なこととしか思えないことでも、相手にとっては信じられない!と憤慨(ふんがい)してしまうことかもしれません。
決して軽んじることのないように、誠心誠意をもって相手に謝りましょう。
などの例文が挙げられます。
どの例文も、自分の怠慢や不注意を指摘されていますね。
叱責される側にしたら、「そんなに怒らなくてもいいのに」と思うことがあるかもしれません。
が、相手を叱責することは、叱責する側にとっても辛いことです。
相手が憎くて叱ったり、責めているわけではありません。
全ては、相手を正そう・理解してほしいと言う気持ちの表れなのです。
相手の叱責をまっすぐ受け止めて、きちんと対処しましょう。
類義語
叱責の類義語には、以下のようなものがあります。
?りつける・?り飛ばす・小言・批難
なるほど、叱りつける・?り飛ばすはわかりやすい表現ですよね。
小言・批難は語弊(ごへい)があるかもしれませんが、相手の間違いやたるみを修正しようとしてこその表現と言えますね。
しかし、いくら相手のためを思ってのことでも、度が過ぎれば著しく意味や目的から離れてしまいかねません。
よくよく言葉遣いなどに注意したうえで、使用しましょう。
対義語
叱責の対義語には、以下のようなものがあります。
称賛(しょうさん)
称賛とは、相手をほめたたえることを表します。
確かに、相手を叱って咎めるとは真逆の意味を持っていますね。
叱責と同じように、相手をほめたたえることにも遠慮はいりません。
たとえ相手がライバルであっても、優れていたり・すごいと思うことに垣根はないはずです。
そんな時は、素直に相手を認めてほめたたえることも大切なことです。
相手の実力を認めてこそ、真のライバルと言えるのです。
今回はライバルを例に挙げましたが、それ以外の人にも同じことが言えますね!
どんな相手であっても、素晴らしいと思えることがあるのなら、余計な遠慮や意地は必要ありません。