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同調が上手い人の4個の特徴(続き2)

意見を主張したところで周りを納得させることができないと、やってみる前から負けを認めていたり、意見を述べることで周りから反感を買ったり、反論されることを怖がっています。

ただ、流されるままに合わせているということは、自ら考えることを放棄しているも同然です。

人に同調していれば、自分に矛先が向くこともなく、その場のは円満に収まると考えているのでしょう。

もちろん、こうした選択をすることは、ときには賢明な判断だという場合もあるでしょう。

しかし自分の意見と反した行動を取って同調し続けていると、気付かぬうちにストレスやフラストレーションが溜まって心が疲弊していきます。

繰り返し繰り返し、願ってもいない同調をしていると自信のなさに拍車がかかり、考える能力や伝える能力がさらに低下していってしまうでしょう。

無責任


もしも、ある決定事項に沿って対応した結果、トラブルが発生した場合、当然のことながら責任問題に発展します。

こうした時に、自分で責任を負いたくない、責任を押し付けられたくないと考える人は、自分から意思決定を下すことをせず、同調という手段を選びます。

なぜなら同調しておけば「私だけで決めたことではない」「あの人も賛同していたでしょう」などといった逃げ道を作ることができます。

こうした無責任な人は、自分の判断で事が進むことを好まないので基本的に周りに合わせて同調することで、責任逃れや連帯責任という状況を作り出します。

この人のようなタイプは、そもそも同調する判断が正しかろうが間違っていようがなんとも思っていません。

考えていることはただ一つ。

「自分が責任を取るわけでは無いから何でも良い」ということです。

無責任な人は、とりあえず目上の人や立場の強い人など権力者の意見に同調しておけば間違いない、と考えている人も多くいます。

このような人は、組織内で信頼を築きにくく出世することもなかなか難しい立場になります。

無関心


無責任と無関心は似ているようで異なるものです。

実は無関心ほど、厄介なものはありません。

無関心というのは、対象となる議論にそもそも興味を示すことをしていない状態です。

関心がなければ、同調することにも躊躇いもなく、ただただ都合のいいように流される存在になります。

無関心な人は、自分の判断により決断が左右されることや責任が発生することさえも深く考えていないので、責任逃れをしようと目論む人よりもタチが悪いと言えます。

こうした人は、大前提として自分の関心の向くもの以外の全てに無頓着ですので、「どうして同調したのか」という答えすら曖昧。

同調するのが大多数か少数派かなどわそんなことさえもどうでも良いという態度です。

確かな意志を持って行動していないため、同調すること自体にも大した意味や考えが無いということもしばしば。

優柔不断


優柔不断で自分の考え上手くまとめることが苦手な人は、自分の意志が固まらないうちに致し方なく同調しているというケースも少なくありません。

優柔不断な人は、無責任な人や無関心な人とは違って、自ら考えようとする意思があることが大きく異なる部分です。

良い結果を出そうと考えてはいるものの、周りから入ってくるあらゆる情報に惑わされて、的確な判断をすることができないのが弱点です。

答えを決めあぐねている間に決断に迫られて、自分の中で決着がつかないままフラリフラリとなんとなくの理由から同調してしまうのです。

しかし、後になって「やっぱり別の方が良かった」なんてことになっても、取り返しがつかないこともあります。

こういうタイプの人は、自分の中の価値観や考え方に一定の基準や判断するラインを設けるとあとあと後悔する結果にならないでしょう。

八方美人


八方美人で、周りにいい顔をしたい、好意にしている相手から良く見られたいと私利私欲ばかりを優先する人は当然のように自分の意見を持たずに同調することを選びます。

八方美人は自分がどうしたいかと言うよりも、周りの人はどうするのか、あの人はどうするのか、という部分に着目して意見を決めるため厳選な投票の場などにおいては大変迷惑で、公平さにかけるジャッジになる可能性もあります。

このようなタイプの人は同調した結果はどう転んでも構わないと考えています。

同調したという事実をバネに、人脈やコネをつくったり、貸し借りをつくったりすることが重要ですので、結果は二の次、三の次というわけです。

あちらこちらに方面にいい顔をして、統一性のない言動ばかりをしている人は、本当に頭が良くて要領のいいタイプでもない限りいつかとばっちりを食らう可能性があるので注意しましょう。

依存体質


自分ではない誰かに依存してしまう体質の人は、自分の意志を持って決定することや、意見を発信することができません。