湯につからなければいけないお風呂へは雪女は自分から好んで入ろうとしていたのではありません。
すすめられて仕方なくです。
でもどうして仕方なく入ったのでしょうか?私たちが生きているとどうしても断りきれないことが発生してきます。
あちらを立てればこちらが立たず的なことです。
この場合の「あちら」と「こちら」は、何も他人や外の出来事だけではありません。
自分の中にあるものに対してもいえます。
雪女のほうからしてみれば、仕方なく、泣く泣くですが、すすめた側からしてみれば良かれと思ってすすめているのです。
そして、それが当たり前だから「お前もしろ」=「風呂に入れ」といったともいえます。
山形県地方の逸話
雪の夜に老夫婦のもとに雪女がくる逸話
山形県上山地方の逸話です。
ある雪の夜、老夫婦の家に美しい娘が訪ねてきました。
ひとばん泊めて欲しいというので中に入れ囲炉裏(いろり)で体を暖めさせてあげました。
夜明け近くになり旅に出ようとする娘をお爺さんは引き留めようとしてその手を握ると、まるで氷のように冷たく、娘はお爺さんの手を振り切り出て行ったというお話です。
そしてもう一つあります。
山形県の物語のあらすじをご紹介します。
あるところに東の家と西の家の2軒が並んでいました。
ひどい吹雪の夜、東の家の扉をトントンと叩く音がしました。
東の家の主が出てみると白い衣を着た女が立っていて、旅の者だけれど吹雪で道に迷ってしまったので一晩泊めて欲しいと懇願しますが、主は家には病人がいるので泊められないと嘘をついて追い返します。
その後この女は西の家の扉を叩きます。
西の家のおじいさんが出て来て、この女を家の中に入れおばあさんとともに温かいお茶を飲ませてあげ、一晩泊めてほしいという願いも快く受け入れました。
翌朝いつまでも起きてこない女の人を心配して見に行くと寝ていたはずの床がぐっしょりと濡れていて白い衣に包まれた小判の山があったのです。
その晩からこの西の家のおじいさんとおばあさんは福づき一生安泰に暮らし、性悪の東の家の主は本当に病気になり貧乏になっていきました。
西の家のおじいさんとおばあさんの心の温かさが雪の体を解かしてしまったというお話です。
北風と太陽のお話を思い出しました。
優しさや愛情が凍りついたものを解かしてくれたんですね。
やはり雪が降る地方には逸話が多く存在するようです。
この山形県の小国地方では雪女郎呼ばれ、月の世界に住んでいたお姫様であったのが、あまりにも退屈な毎日に嫌気がさし、地上に降りてきたのだけれど、月に返る術がわからず雪の降る夜に出没するようになったという逸話があります。
まるでかぐや姫のようですね。
青森県地方の逸話
弘前ではあるひとりの武士が子どもを抱いた雪女に「この子を抱いてくれ」と頼まれます。
雪女に子どもを返すとお礼だといってたくさんの宝物をくれたという逸話がありますが、吹雪の夜に子ども(雪ん子)を抱いた雪女が道行く人々に「この子を抱いてください」と頼みます。
しかしその子を抱くと子どもがどんどん重くなり、抱いた人は皆、雪の中に埋もれて死んでしまうという逸話があり、武士が子どもを抱いても怪異が起きなかったのは腰にさした短刀のおかげだったそうです。
雪んこの重みに耐えかねて皆、雪の中へと埋もれて行くのですが、その重みに耐えることができた者は怪力を授かるといわれています。
子ども(雪ん子)は何を象徴しているのでしょうか?私は、人が生きていく上で誰しも与えられる葛藤や試練ではないのかなと思っています。
そしてそれは時には成功という形をとってやってくることもあるのではないでしょうか?
腰にさした短刀の存在が雪に沈む怪異から免れるために役だったということはどういうことでしょうか?
短刀は武士の命。
肉体や自分の考えなどを超えた、もっと大切なたましいを携えた者は怪異など、ものともしないといっているのかもしれません。
宮城県地方の逸話
宮城県に伝わる逸話は、若侍が現れた雪女に子どもを抱いてくれと頼まれ、抱いてやるとまるで氷のように冷たい子どもが腕の中から離れずに気絶してしまったというものです。