打算という言葉の意味は、デジタル大辞泉によると、勘定すること、利害や損得を見積もること。
「打算的な人」「人間の年月と猫の星霜を同じ割合に打算するのは」<夏目漱石、吾輩は猫である>となっています。
漱石は勘定をする意味で使っています。
現代では、利害、損得を見積もることを指すのが普通になっています。
またおもしろいことに現代中国語の「打算」には、日本語の持つ意味はありません。
あなたの予定は?どうするつもりですか?と聞くような語感です。
それでは現代中国人に打算はないのか、と問われれば、その答えは、彼らは打算のかたまりです、というしかありません。
四六時中常に有利か不利かの損得勘定が働いています。
これは中国社会の前提になっています。
改めて考えるまでもないことなのです。
このように言葉の意味は時代と場所によって変化しています。
言葉は生きていることがわかります。
打算的な人という言葉の意味も、今よりもさらに悪い意味にとらえられるようになるかもしれません。
それは私たち次第なのでしょう。
打算的な人を分析してみる
打算的な人がどんな人なのか、分析してみましょう。
そうすれば、付き合い方がわかってくるはずです。
打算的な人への印象
日本で「打算的」というと、あまり良い印象は持たないのではないでしょうか。
でも、その実よく見てみると、自分も取り入れた方がいいかもしれないメリットが見えてきます。
中国語の「打算」
中国語の「打算」は人の「利益や幸福を考える、計画する」「~するつもりである、予定である」という動詞と「つもり、考え、予定」の名詞としての使い方があります。
「あなたのことを思ってのことよ」と言いたいときなどに使う言葉ですね。
日本語の「打算」の意味の言葉は「算计」です。
「计」は「計」の簡体字で、「人を落とし入れようとたくらむ、陰謀を企てる」といった意味で用いることがあります。
ただ、この単語も「計算する」「考慮する」といった意味でも使うので必ずしもマイナスなニュアンスを含んでいるとは限りません。
中国人の性格について
中国人は打算的、と思えますが、それは日本人の感覚からすれば、という話でもあります。
中国の友だちができると分かるのですが、彼らはびっくりするほど素直なのです。
自分に直接関係のないことは「知らんがな」という感じなだけで、家族や友人はとても大切にしています。
お店の人や近所の人など、積極的に関わる必要のない相手にまで笑顔で接したり丁寧な言葉を使ったりしないだけです。
公共の場という感覚があまりないのも、知らん人達の集まりだから気を遣わなくてもいいや、くらいの認識なだけ。
でも、国際的な社会になって都市部では変わってきています。
普通に行列に並ぶし、公共の場を汚したらダメだよね、という感覚も根付き始めています。
日本を訪れる観光客も、日本的なマナーを理解しようとしています。
それは、そういった感覚が「大切にした方がよさそうなこと」と認識されてきているから。
大切にしたいものだけを大切にするという感覚は、何かと他人のことに首を突っ込む窮屈な日本社会に疲れた人には新鮮に映ることでしょう。
古くからの中国のビジネス文化
中国とビジネスをすると、最初に「家族になれるか」という壁にぶつかります。